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『哀愁シンデレラ』渡部亮平


あらすじを簡単にまとめると次のようになる。しがない自転車屋の娘小春(土屋太鳳)は,お金持ちの開業医泉澤大悟(田中圭)と出会い,玉の輿に乗る。しかし,幸福な結婚生活も束の間,小春はすぐに大吾とその連れ子ヒカリ(COCO)がどこか異常なものを抱えていることに気が付く。そこから逃げ出すことのできない小春は,ゆっくりと精神を蝕まれ,その異常な家族に取り込まれる。

注)ネタバレを含むのでご注意ください

『哀愁シンデレラ』では,モチーフの反復や場面の繰り返しが効果的に用いられているので,今回は「靴」と「目」と「母親」というテーマに注目しながらこの映画を解釈してみたい。

1. 「靴」 
映画のタイトルの通り,童話の『シンデレラ』を想起させる場面に満ちている。シンデレラといえばガラスの靴であるが,この映画でも「靴」は効果的に使われている。
ファーストカットは,着飾った福浦小春(土屋太鳳)が履くハイヒール。小春がハイヒールを履いて小学校の教室の机の上を歩くシーンが上下逆さまに映し出されるが,これから始まる倒錯したシンデレラストーリーを暗示させる印象的なカットだ。
 また,小春と,開業医でお金持ちの泉澤大悟(田中圭)が出会う場面でも,「靴」は二人を結びつける役割を担う。祖父の入院、家の火事、彼氏の浮気…,不幸のごった煮のなかにぶち込まれて意気消沈する小春は,酔いつぶれた大悟が踏切のなかで倒れているところに出くわす。なんとか踏切の外に引きずり出し、事なきを得るのだが、その直後に大悟は小春の「靴」へと盛大に嘔吐する。(確かリリーフランキーが飲み会で好きな人の気を惹くには、ゲロをかけろと言っていたようなきがする。)とにかく,シンデレラ物語がロマンティックに描き出すような拾った靴を手掛かりに一目惚れした相手を探す王子様ではなく,酔いつぶれた金持ちからゲロを靴に引っ掛けられることによって,二人は結びつけられるのだ。この演出にも,ファーストカットが暗示するような,シンデレラストーリーの捻りが現れている
 小春と大悟の関係はトントン拍子に進み,出会ってから一ヶ月足らずで二人は結婚する。もちろん,ひっくり返ったシンデレラストーリーなのだから,二人の結婚がうまくいくはずはない。婚姻届けを出した後,海辺に面した公園で小春,大悟,ヒカリで踊る場面があるが,暗雲が垂れ込めるどんよりとした雰囲気と,幸せそうな家族の際立ったコントラストは,この家族の行く末が決して明るくないことを暗示している。案の定幸せな生活は,すぐに終わりを告げる。この破綻した生活のなかで目を惹くのもまた「靴」だ。

しかし,今回は,小春のではなくヒカリの「靴」である。しつこいくらいにヒカリが靴を履くシーンは繰り返される。赤い靴がお気に入りのヒカリは,同級生の葬式すら黒い靴を履こうとしない。本来ならば王子様に靴を履かせてもらうはずの小春が,苦労してヒカリに靴を履かせようとする場面にも,シンデレラストーリーの反転を読み取ることができるだろう。

結婚生活が始まるやいなや小春を待ち受けていたのは,母としての役割であり,その役割の理不尽な押し付けなのだ。余談ではあるが,葬式に黒い靴ではなく赤い靴を履いていこうとするヒカリの姿は,アンデルセンの『赤い靴』をどこか想起させる。

2. 「目」

画竜点睛(がりょうてんせい)ということわざがある。『スーパー大辞林』によれば、「物事全体を生かす中心。また、物事を完璧なものにするための最後の仕上げ」であり、絵の龍に最後に眼をかき入れると、龍が空へと登っていったという伝説からきているという。映画のなかでは,この目を書き入れるという行為も印象的だ。映画のなかでこの眼を書く場面は,2度出てくる。

 1回目は、小春が初めて大吾の連れ子と出会うとき。内向的な大吾の連れ子ヒカリは、初対面の小春になかなか心を開こうとしない。小春は目を怪我したヒカリが着けていた眼帯にアニメのような目を描いてやる。ヒカリは眼帯の目をとても喜び,小春に心を開く。

 2回目は、大吾の不気味な絵の最後の仕上げとして,大悟と小春が一緒に目を書き入れる場面。この場面は,ヒカリに手を挙たことで大悟から家を追い出された小春が,再び大悟との家庭をやり直すために家に戻るシーンに続くものである。
1回目と2回目の場面を並べると,目を書き入れるという行為は,小春が家庭へと入る儀式のような意味合いを持っていることがわかる。小春は,ヒカリの眼帯に目を描いてやることによって,ヒカリの好意を得る。そしてヒカリの好意を勝ち取ることで,小春は大悟の家庭へと迎え入れられることとなる。つまり,目を書くことで小春は,家庭への加入が許可されるのである。

また,この目が少女漫画のような目であることも象徴的である。それは,これから小春の思い浮かべる結婚生活が少女漫画のように非現実的で虚構に過ぎないことを示しているのかもしれない。あるいは,その眼帯の下にヒカリの隠された眼差しが潜んでいることを仄かしているのであろうか。

 2回目に目を書き入れる場面は,小春が大悟の家庭に完全に取り込まれてしまうことを示している。小春は狂気じみた家庭から逃げ出すのではなく,その狂気に自己を適応させる。大悟が書いた家族の肖像画に目を書き加えることで,小春はこの狂った家庭に取り込まれるのである。画竜点睛。ここに大吾の家族は完成する。もはや,この家族にブレーキをかけるものは誰もいなくなり,クライマックスまで突き進むのだ。

3. 「母親」-シンデレラストーリーのはずが?-
 最後に,この映画は母たちの悩みを描いた物語と解釈することができる。そしてその特徴は,彼女たちの苦悩が誰の耳にも届くことがないことにある。この点においてまず印象的なのは,小春の脳裏にたびたびフラッシュバックする,幼い頃の母親が家族を捨て家を出るときの記憶であろう。

大吾との結婚生活に綻びが生じる以前の小春の目に,母親は無責任で自分勝手な存在としてしか映ることがなかった。小春は,母親の身勝手を非難するばかりで,出て行った理由に思いを馳せることはないのである。しかし,小春が家を追い出される場面で,彼女の脳裏に母が出ていく姿が再び蘇る。

ここで初めて小春は,母親の気持ちに思いを巡らせるのである。幼い頃に自分を捨てて出て行った母親にも母親なりの事情があったのではないか?母親は本当にただ自分勝手だっただけなのだろうか?作中で小春の母親が家族を捨てた理由が明かされることはないが,小春の母親もまた人知れず苦労していたのではないかと思わせるシーンである。

そのように家を出た小春の母親に思いをめぐらせると,そもそもこの映画に登場する母親たちがことごとく理解されない存在であることに気が付く。物語の冒頭,児童相談所に勤める小春が,担当の女の子の様子を見にある家庭を訪問する場面がある。この母親は,小春が子どもに会うことを拒絶し,つっけんどんに追い払おうとする。

結局,小春は,部屋の奥で微笑む子どもを一瞬目にすることしかできない。女の子について確かなことを知ることができなかったにもかかわらず,小春は直ちにその子どもの笑顔を偽りとみなし,酷い扱いを受けていると思い込む。おそらく映画を見ていると,小春と同じように,この母親について悪い印象を抱いてしまうであろう。

しかし,小春が大吾とヒカリの裏の顔を見抜けなかったことを踏まえると,この母親が実際に冷酷で無責任な母親ではない可能性が開けてくる。改めて思い返すと,この母親が娘に手をあげる場面も,娘が苦悩する場面も描かれていない。本当にこの母親は児童相談所の監督が必要なほど酷い母親だったのであろうか?後に缶ビールを飲みながらブランコを押す母親と小春が再開する場面があるが,そのシーンからは,この母親は世間から理解されず冷たい眼差しを受けるシングルマザーであるように読み取れる。ここでも,小春の消えた母親のように,理解されることのない母親が描かれているのだ。

 さらにもう1人母親が登場する。それは,小春の友人だ。小春の友人(安藤輪子)もすでに結婚し子どもを持つ母親である。彼女も夫の浮気(?正確な理由を忘れてしまいました…)で悩むが,そんな彼女に対して,小春は,そんな身勝手なことで離婚すると子どもがかわいそうだと批判する。それも小春の結婚生活が上手くいかなくなっているにもかかわらずだ。小春とその友人の間には,母親同士の連帯が生まれることだってあっただろう。共感の代わりに,その友人は玉の輿に乗った小春を羨み,小春の方はその友人の離婚を無責任だと非難する。ここにあるのは,母親同士の連帯よりも,相互の不理解だ。

 ことごとく理解されることのない母親たちを見ていると,この映画が母親たちの声にならない悩みに溢れていることに気が付く。『哀愁シンデレラ』は,シンデレラの物語から,母親たちの苦悩の物語へとスライドしていく。そして,その苦悩が決して解消されないのもこの映画の特徴であろう。すでに目のモチーフのところでも述べたように,小春は,家庭から逃れることも誰かに相談することもできない。むしろ,狂気じみた家族へと同化していくことによって,苦しみから逃れようとするのである。しかし,一度小春が同化したが最後,誰もこの家族にブレーキをかける存在はいなくなる。この一家に残された道は,思い通りにならない人間を徹底的に排除する意外に残されていないのである。

・最後に
作品のなかのモティーフについて書いたので,まとまりに欠きますが,備忘録も兼ねて書きました。最後のシーンを含めて好き嫌いが別れる作品ですが、個人的にはとても面白かったです。



トップの画像は、Piyapong SaydaungによるPixabayからの画像を使いました。

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