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みんなが羨むイクメンの優しい夫と離婚した話

はじめまして。離婚しました。

小学一年生と8ヶ月の2人のこどもと猫を抱えて、シングルマザーとして歩むことになりました。

所謂、コロナ離婚産後クライシス。流行りの離婚タイトルを2つも獲得!

なんで離婚したの?という質問に一言でスパッとはなかなか答えられず、自分の整理のためにも書いてみようと思います。

元夫はイクメン

元夫はきちんと仕事しています。それなりに収入もあります。借金とか暴力、浮気なんて勿論ありません(たぶん)。家族思いで温厚な性格です。

夫婦共にフルタイムで働いていましたが、保育園の送りはほぼしていましたし、私が残業や飲み会のときは迎えもしていました。迎えに行って、ごはんをつくって、お風呂に入れて寝かしつけまでできます。夕飯の皿洗いもほぼしていました。

さらに、料理が好きなため私は土日にはほとんどキッチンに入りません。

次男の出産では、新小1と新生児の面倒を見ることが難しいという私のリクエスト通り、会社に掛け合い2ヶ月近く育休を取得してくれました。こどもが大好きで、一人で任せておいても不安はありません。

肩こりの私のマッサージもたくさんしてくれました。優しいし、協力的なイクメンで羨ましい、とよく言われました。

私も、そう思っていました。

では、なんで離婚したか。

離婚に至った問題

※これは私の視点なので、元夫からすると異なる部分もあるかもしれません。

まず、離婚に至った問題は2つあります。

1.タバコとお酒

私は結婚当初からタバコをやめてほしい、お酒を減らしてほしい、と伝えていました。私も元夫も、それぞれ家庭の問題があり若い時にお金で苦労しています。私は進学を諦めており、子供にはお金の問題で進学を諦めるような思いはしてほしくないと強く思っていました。

そのため健康には気をつけてほしかったのですが、止めると言っては、今忙しいから、ストレスがたまっているから仕方ないと結局やめられませんでした。糖尿病の家系であるのに関わらず、アルコールの量も異常な量を飲んでおり、アルコール依存の可能性もある状態で保健所にこっそり相談したくらいです。

約束しても破られる。注意を聞かず病気になっても、家計を背負いながら子育てと家事と病人の看護まで、私にはできません。
(山口メンバーの飲酒運転のニュースを見てかなり危機感を覚えました)

2.家庭運営の当事者意識

私は共働きなのだから、夫は当然家庭の共同経営者なのだと思っていました。でも、多くの夫がそうではないように、やはり元夫も当事者意識が全然ありませんでした。冒頭に書いたことは、7年かけてそこまで辿り着いた話で、当初からそうだったわけではありません。

それに、家のことというのは、家事だけではありません。将来の貯蓄の計画、家計の管理、子育て、教育、保険の設計や防災対策、親戚付き合い、息抜きのリフレッシュ計画…調べること、考えること、やることがたくさんあります。

日常のルーチンの分担が私の方がずいぶん多いとか、完璧にされていないという不満もありましたが、そういうマネジメント的な業務を一緒にやってくれないことは大きな不満でした。任せたよ、ということは、責任ももたいないということです。責任感がないので、何か相談してもすぐ忘れていたり、トンチンカンな答えが返ってきます。

家庭の共同経営者のつもりだったのに、夫はバイトです。やりたくないことはやりたくない、と言えてしまうくらいの意識の低さ。私が時間をかけて調べて検討し、最後細かいタスクに落としたところを依頼しても、それすら何度言ってもやってくれない。リマインドして確認する、までが私の仕事になりました。

家事代行を使ったり手を抜けるとこは全て手を抜いても、仕事も多忙な上、子育てに家事にと私の脳は常にフル稼働でした。

保育園にもっていくエプロン探さなきゃ、子供の冬服買うために去年の服棚卸ししよう、そろそろ義実家行った方がいいか、トイレマット洗濯しなきゃ、ゴミ袋ストック少なかったな、子供にゲームってどれくらいさせていいんだろ、ポケモンの新しい情報子供に教えよう、2時間くらいでいける温泉行きたい、こどもがピーマン食べるレシピさがそう、保育園のお友達と喧嘩したってどう対応すべきなの…

この2つ、毎年私が爆発して言っては、その度に直すからと夫は謝るのです。

「家計を考える!まず家計を見直そう!エクセルで収支つくって一緒に考えよう!」→結果は、一度エクセルつくって終わりです。

「お酒控える!休日だけにするよ!」→結果は、1ヶ月だけです。

私は子育てや、仕事と家事の両立について試行錯誤してだんだんアップデートされて進化しているのに、たまーにしかアップデートされない夫にイライラが募っていきました。

片方がどんどんアップデートされて、バージョンの相性が悪くなってしまったんですね。プログラムも人間も一緒です。

そんな不満が溜まっていたところに、あいつらがやってきます。

女性ホルモンのビッグウェーブとコロナがやってきた・・・!

第二子が生まれたのは今年の3月です。ここに、第一子の卒園、入学、引越しが重なっていました。(1ヶ月の間にライフイベント重なりすぎ!)

私は出産前から仕事が忙しかったのですが、つわりやマイナートラブルで体調が悪かったり、頭がうまく働かずいつも通りの仕事ができずに自信をなくしたりしていました。

立場上、とにかく元気に振舞わなければと日中は頑張るものの、夜中に泣きながら仕事をしたこともあります。新しい生命を授かったのは素直に嬉かったですが、忙しい時期に休むことになって申し訳ない、このタイミングでやりたいことがあったのに悔しい、体調悪いと言っているのに仕事も減らず休ませてもらえず絶望、いやそんなことよりとにかく目の前の仕事をしないと、とストレスフルの状態でした。「胎動懐かしいなぁ!嬉しいよね〜」なんてよく声をかけられましたが、正直「じっとしててよ!」くらいにしか思えず、そんなことを思う自分にも嫌気が差していました。

そこに出産準備、卒園や入学、家の売買、引越しの準備。わからないことだらけで、調べるところからスタートのことも多く、これをほぼ一人で抱えた結果、タスクが膨大すぎて私のキャパも限界に近くなっていました。

無事するっと出産したものの、ちょうどコロナがピークを迎えます。新生児を抱えて未知のウイルスに怯え、普段は「菌にまみれて強く成長するんだよ〜」と衛生観念がちょっと不足気味な私が、マタニティーブルーの時期と重なったせいか家の外はバイオハザードの世界に思えて玄関から出られないほど神経質になりました。

さらに、新生児を抱えつつ小学校入学と同時に休校となった長男をまだ片付けきらない新居で座らせ、勉強をさせなければなりません。勉強ってなに?状態の長男を前に、うまく教えられずイライラしてしまっては反省するの繰り返し。それでも時間割をつくり、半日つきっきりの家庭教師状態で勉強しました。(夫は引越しの片付けをしていたので何もしていないわけではありません)

ママ友は皆働きながらそれをやっており、忙しさは想像に難くありません。疲れ切っているところに相談するのも申し訳なく、だんだんとひとりで抱えていくことになりました。

みんなそうやって大変なときに、自分は社会に何も役立っていないという悔しさや焦りが募りますが、何もできない自分に苛立ちます。

また、産後2ヶ月の時点でもずっと微熱が下がらず、寝汗ぐっしょり、目眩や立ちくらみという謎の体調不良にも悩まされていました。緊急事態宣言のなかで病院にいく気にもなれず、ただ不安に過ごしていました。

上の子かわいくない症候群にも悩みました。長男のことを頭ではかわいいと思っているのですが、触られるのが生理的に無理になってしまい、邪険に振り払って傷つけてしまったのではないかと気に病みました。(今は治ってまたかわいい最高の長男です)

ただでさえ女性ホルモンの奴隷として情緒不安定になる時期というのに、それらが重なり、苛立ち、焦り、不安、いろいろな感情のジェットコースターです。もう自分のメンヘラっぷりに自分が疲れきっていました。

なんで私ばっかり?なんでやってくれないの?という不満がいつも以上に頭の中をぐるぐるします。

家を少し移動する度、ナンデ?はつきまといます。

朝ごはんをつくる(ナンデ)、電気点けっぱなし(ナンデ)、子供を寝かしつける(ナンデ)、トイレのタオルを変える(ナンデ)、洗濯機をまわす(ナンデ)、コップ出しっぱなし(ナンデ)、保育園どうする(ナンデ)・・・

私は色々なことを我慢しているのに。夫がタバコを外で吸うためにドアを開ける音、お酒の缶を開けるプシュッという音がする度、イライラはさらに少しずつ募ります。

イライラして夫と話す気も起きず、家の中の空気を悪くしていることもわかっていましたが、どうしたらいいのかもう自分でもわかりませんでした。

そんななか、大したことではないことで私が号泣してしまい、私の不満を聞く会が開かれました。産後の情緒不安定の中、なんで正論言ってくるんだ、なんで産後の女性の状態も興味もたないんだ(意地張って自分からは言えなかった)そう思いましたが、とりあえず結論。

夫は「禁煙外来に行く。緊急事態宣言が終わったら、病院に行く。お酒も平日だけにする。家計もちゃんと口座を見る。」

そう言いました。

緊急事態宣言が終わり、病院に行く気配はありません。お酒も元通りです。家計も見ていません。

どうしたらわかってもらえるだろうと、色々な記事を読み漁りました。

そして心のドアがしまった音がした

性差もある、育ってきた昭和時代からの意識もあるから仕方ない。そう自分を宥めつつ、いくつか男性でもわかってもらえるのではないかという記事をピックアップでき、言いたいことのメモをまとめました。これでついにうまく行く!!!

わくわくして話すタイミングを探して一日機嫌よく過ごしました。

でも、ふと、たぶんまた変わらないんだろうな、と思ってしまったんです。

話しても、どうせわからない。また、変わるよ!と言ってすぐ元通り。がっかりするならもう期待しない方がいいじゃないか。諦めて自分で全部やった方が楽じゃないか。

心のドアが完全にバタンと閉まりました。理解者であることを求めなくなった瞬間、夫が赤の他人に思え、肌が触れることも嫌になりました。

今度こそ、と夫に言われても8年かけて私が失望してきたことを、また希望を持って信じられるようになるとは思えませんでした。

どうやったら、また信じられる?どうやったら、情が戻る?

考えても考えも考えても、答えがでません。

信じたいけど信じられない、夫婦としての情も湧かない。口も聞きたくない。家で笑えないことがとても苦しくなっていきました。

子供にとってこんな家でいいのだろうか。夫も私の機嫌を伺って生活しているのを感じとれます。家庭のなかで、誰も安心して過ごせていない。それまで離婚なんて考えたこともなかったのに、離婚したいという気持ちが湧き上がりました。

でも、離婚を決意できない理由が2つありました。

ひとつは、子育て。私には頼れる実家はありません。ひとりで2人の子供を育てる大変さ。自分や子供が風邪をひいたり病気になったら?こどもが大きくなる前に私に何かあったら?

もうひとつは、夫への申し訳なさ。夫に恨みがあるわけではありません。不満はたくさんあり、夫婦としての情はなくなったものの、幸せな時間はたくさんありました。人生で一番幸せな時間をくれました。

私がもっと伝えるのが上手だったら。もう、と言いながらも率先して家事をできたら。楽な仕事を選んでいたら。(今思うと、この考えは自分を歪めて無理しようとしていますね)子煩悩な夫から子供を奪ってしまっていいのか。

出した結論

冷ややかな空気が限界を迎え、ふたりで話し合った結果、離婚することになりました。

離婚しても、近所に住んで子育てを協力してやってほしい。私の希望を夫は了承し、決意することができました。

夫は子供に会える。子供は父親という存在がなくならない。私は一人で子育てを抱えなくて済む。全員にとってこの形がいいのではないかと思ったのです。

無理をして限界ギリギリまで引っ張って、夫に憎しみしかなくなっていたらこの形にはできなかったかもしれません。そう思うと、離婚のタイミングはきっとこれでよかったんだと思っています。

現在

ナンデ?から開放され、息苦しさがなくなりました。産後のホルモンバランスやコロナ渦のいっときの感情で出した結論ではなかったか?と思うこともありましたが、私は家で笑えるようになりました

こどもたちにぎゅうぎゅう抱きついて笑う時間、幸せだなぁという気持ちが久しぶりに心から湧き上がりました。

きっかけは、ライフイベントが重なったことや産後クライシス、コロナうつ(?)だったかもしれません。でも、あくまできっかけです。

子育てパートナーとしての関係は、まだいろいろ手探りです。既に気づいた点としては、「共同で育児をする」と思うと「半分やってよキィー!!」となるので、私がメイン、夫がサポーターとしてうまく関係を築いていけるようにしていきたいと思っています。

この辺の経過は、またnoteに書いていこうと思います。



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