見出し画像

【小説】次元の狭間VS生活委員会の僕

「ねーねー七ノ木ななのき、次元の狭間に落とし物しちゃったんだけど取ってきてー」
 休み時間。同じクラスの柚子見ゆずみさんが笑顔でそんな依頼を持ってきた。
 僕が所属する生活委員会は確かに学校内での落とし物全般についての相談を受けるのが仕事のひとつなんだけど、だからって次元の狭間に落としちゃった物はさすがにどうしようもない。ので、
「さすがにどうしようもないよ」
と素直に返す。
「そっかー、どうしようもないかー。えー困ったなー」
 柚子見さんは、むうっと頬を膨らませて腕を組み、ふわっと髪をなびかせながら小さく首を傾げる。そこはかとなくアニメキャラ風のちょいオーバーリアクションだけど、そもそも柚子見さん、髪の毛が真っピンクだったり目がカラコンで左右違う色だったりで見た目もそこはかとなくアニメキャラっぽいので、わりとそういうアクションが様になってる。うん、まあ、それはさておき、
「次元の狭間になに落としたの?」
「あのねー、スマホ」
 ええー。普通にスマホ落とすだけでも相当困るのに、よりによって次元の狭間に? もう絶対手元に帰ってこないじゃん。なにその絶望的状況。
「あーあー、どうしよっかなー」
 言いながら僕の机にどっかり座って髪をクリクリいじりだす柚子見さん。言葉とは裏腹にそんなに困ってなさそうな表情で、なんならちょっと鼻歌とか歌いだしてる。いや、次元の狭間にスマホ落としといてすごいなこの子のメンタル。なにか鍛えてるのかメンタルを特殊な方法で日頃から。
 ……と、まあ、それはいいとして。
「あの、柚子見さん、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん? ソフトバンクだよ?」
「いや落としたスマホのキャリアなんて別に聞かないよ。……そうじゃなくて、あのさ」
「080のー、77」
「いや電話番号も聞かないよ。てか、そんな簡単に人に教えないほうがいいよ番号。……そうじゃなくて、あのね」
「先月は7万6000円だったかなー」
「いや先月の料金も聞かないよってかいくらなんでも高すぎるよ! 絶対プラン見直したほうがいいし、むしろほんとにソフトバンクかどうかちゃんと確認したほうがいいよ。騙されてるかも知れないから、なんか『リフトバンケ』みたいなよく似た変な業者とかに。……いや、あのね、そうじゃなくて」ふう、と一息ついて僕は言う。「次元の狭間ってさ、どこにあったの?」
 ごくごく当たり前の疑問をぶつける僕。だって学校に次元の狭間なんてある? いや、学校じゃなくてもないと思うけど基本的には。
 と、柚子見さんは、きょとんとした顔で、
「え? そこだよ?」
 と、真下を指差す。
僕の机に座る柚子見さんから見て真下、それはすなわち僕の足元ということだ。というわけで、体を屈めて机の下を覗き込んでみる。
「あ」
 そこには、ぽっかりと大きな黒い穴が空いていた。床に空いてるわけじゃなく、なにもない宙に穴が浮かんでいる形。穴の奥は真っ暗を超えて真っ黒を超えて真っ暗黒(まっあんこく)でなにも見えず、ついでにザザ、ザザザッと砂嵐っぽいのがしばしば走ってる。おお、これが次元の狭間なんだ。初めて見たけど不思議と納得感のあるフォルム。……ん?
 顔を上げて柚子見さんに向き直り、尋ねる。
「あのさ、なんでこれが『次元の狭間』ってわかったの?」
「なんでってなに?」再びきょとん顔の柚子見さん。
「だってほら、わかんないけど、空間に突然開いた穴ってだけなら『時空の歪み』とか『深淵の覗き穴』とか『暗黒への入口』とか『虚無への供物』とかそれっぽい可能性も色々考えられるでしょ」
「えー違うよー、最後のはドグラ・マグラ、黒死館殺人事件と共に日本探偵小説史上の三大奇書と称される中井英夫の著作でしょー」
 わー、すごくwikiめいたツッコミが来た。と、柚子見さんが僕をまっすぐ見て、
「なんで『次元の狭間』ってわかったかって、それはあたしがこれ通って別次元から来たからだよー」
「ああ、なるほどね。いやいや」思わず小気味よくノリツッコんでしまう僕。「え、別次元から来たの? 柚子見さんが?」
「そうだよー。あたし、2.5次元出身だよ」
「いや2.5次元ってアニメの舞台化とかみたいなあれ? それの出身? どういうこと?」
 三発ほど連続で疑問を呈してみたけど、よくよく冷静に考えてみたら、そしてよくよく柚子見さんの容姿を改めて見てみたら、ピンク髪やカラコンオッドアイなどなどでアニメキャラっぽさが全然あるわけで、2.5次元出身というのも意外と頷けるかも知れない。うんうんうんうん。
「どーしたの七ノ木、すっごい首振って。ヘドバン? 赤べこ? 首振り自動人形?」
「うん、どれでもないし最後のは全然知らないけど……まあ、とりあえず柚子見さんがこの『次元の狭間』から来たってことは、人間が入って害があるもんではないってことだよね、おそらく」
「そうじゃない? あたし至って元気だし、生涯無遅刻無欠席だし」
「じゃあ……僕、ここ入って、柚子見さんのスマホ拾ってこようか?」
「ええーいいの? ありがと七ノ木! 死なないでねー」
 そう言って柚子見さんは僕にニコッと微笑みかけたかと思うと、ふふーんとまた適当な鼻歌を歌いながら髪をクリクリし始める。……うーん。なんか柚子見さんスマホないのあんま困ってなさそうだし『死なないでね』がすっごく引っかかるからやっぱ行かないでおこうかな……とちょっと思ったけど、まあでも委員会の仕事だしやれることはきっちりやらなきゃな、と考える職務に忠実な委員会の犬の僕。
 意を決して僕は椅子から立ち上がり、そして椅子をずるずると大きく引いて、避難訓練さながらに机の下へ潜り込む。目の前にはザザザッと砂嵐が走る例の穴。……よし、行ってみよう。
 熱いお風呂に入るみたいな感じで、まずは右足の先をそろーっと狭間の中に突っ込んでみる。お。意外と大丈夫。
「意外と大丈夫でしょー?」
 僕の心を読んだかのように柚子見さんの声が上方から。
「うん、意外と大丈夫だねー」
 と返して、続いて左足もゆっくり突っ込んでみる。……うん、やっぱり意外と大丈夫。あっという間に両ふとももが次元の狭間に入ってしまった。こうなると次は、いよいよ全身で次元の狭間に入るターンだ。
 ふー、と深呼吸をひとつ。
「じゃあ、ちょっといってくるねー」
 机の上にいるであろう柚子見さんに声をかけて、いち、にの、さん、で次元の狭間にひょいっと飛び込む。一瞬ふわっと体が浮かび上がり、そのままスーーッと体が闇の中に落ちていく。『落ちていく』と言ってはみたもののこの暗黒空間には上下がないので、下降してるんだか上昇してるんだか正直ちゃんとはわからない。うーん、当たり前だけど初めての感覚。
真っ暗な空間を静かに漂いながら僕は、ふんふーんと、彼方で柚子見さんの適当な鼻歌を聞いた気がした。
 
 ……で。
 僕は今、ひとつの点になっている。
いや、なんかの比喩とかじゃなくて、ほんとに体が点になってしまったという意味だ。次元の狭間をどう漂ったのかわからないけど、僕はどうやら0次元に到達してしまったらしい。
うーん、そっかあ。そういう次元に行っちゃう可能性を考えてなかった。柚子見さんが2.5次元人だって言うから、てっきり僕も2.5次元に落ち着いて髪が金色のツンッツンになったりワイヤーに吊られて空を飛んだりするもんだと思ってた。まさかの0次元かー。体が点になっちゃうと、そのまんまの意味でまったく手も足も出ない。
ごめん柚子見さん、スマホ、拾って帰れなかった。
 こんなんじゃ生活委員会失格だなという己の無力感と、こんなことなら図書委員とかになっとけばよかったなというぼんやりした後悔の念を抱きながら、点の僕は、ただじっと虚空を見つめ続けるのだった。……うーん、変な学生生活の終わり方。
 
おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?