価値は自分で作る!〜リトミック国際免許に意味はあるのか?
去年、リトミックの国際免許を取得しました。8年くらいかかりました。
リトミック国際免許の試験とは?
まず200時間、認定された講座を受講します。これはあっという間です。必須というより、最低でもこのくらいは勉強しないと無理なので。
その後、実技試験として、リトミック、ソルフェージュ、即興(作曲、編曲含)、プラスティックアニメを国立音大にて、大勢の先生たちや試験管が見守る中、一人で受験。1科目あたり60分くらいだったかな、もっとかな。
全部一気には無理なので、初年度はリトミックとプラスティックアニメ、2年目にソルフェと即興を受けました。体を動かす系は得意だったので、緊張しながらもまぁ大丈夫でした。
問題は即興とソルフェ。受けた時点で「あぁ、落ちた」と思って、「ありがとうございました」って言いながら涙が出てきました。帰りの新幹線でも、自分の試験を思い出しては「うあぁぁぁっ(゚Д゚;≡;゚д゚)!」と声が出たり、頭をブンブンと横に振ってしまったり、ものすごい挙動不審で帰りました・・・。結果は合格してたんだけど・・・。
わたしは音大を出ていないし、元々エレクトーン出身で、ピアノは20歳から習ったので、それはそれは苦労しまして、その分、ものすごく努力もしました。仕事と子育ての合間に毎日5-6時間ピアノを弾く時間を取ったり。出張に行った先でも練習室を借りて練習を欠かさなかったり。当時作ったノートは何冊になるか分からないくらいです。
プラスティックアニメの動きは自分で考えますが、誰に動いてもらってもいいので、会社員時代の友人でベリーダンサーにお願いしました。お互いに仕事が終わった夜中に集まって、何度も練習に付き合ってもらいました。
試験前に指導を受けるために名古屋音楽学校まで一緒に行ったり、試験のために国立音大まで来てもらったり。それは思い出になりました。試験を受けなかったら、彼女とそういう日々を送ることもなかっただろうなー。
努力の栄養と不合格
この8年間の間に、息子たちは中学生から大学生になっていました。
彼らの努力がすごかったんです。行きたい道、入りたい大学へ向けて目標を立て、腐らず、くじけず、おごらず、一直線に夢に向かって努力を重ねていました。「無理だ」と言われたことを次々成し遂げていく姿に、「こうなるように育てたのはわたしじゃんか。そのわたしが実践しないっていうのはナシだろう」と勇気づけられました。
いや、勇気とかじゃないですね。
親として、申し訳が立たないというか。言ってるだけじゃダメだろう、というか。そして、息子たちが着実に力をつけていく様子に、「あぁ、ちゃんとやればちゃんと合格できるんだ」という実例を見せてもらいました。これまでの人生、わたしが成し遂げられなかったのは実力不足じゃない、ただ自分が諦めただけだな、と。
さて、試験は続きます。
実技試験の後は、論文や定義を書面で提出、実際の指導を録画して提出。論文は得意なので大丈夫でしたが、指導法に苦労しました・・・。合計3回落ちました。いや〜・・・、あの日々も泣いたな〜。実際にレッスンはやっているわけなので、「こんな自分が教えてていいのか」と、子どもの前に立つのが怖くなったりしました。
あんまりにも何度も落ちるので、指導してくださっていた、キャロルリトミックスクールの北大路範子先生も悩ませちゃって💦、申し訳なかったです。
しんどかったなー・・・、受け続けることよりも「自分なんかダメなんじゃないか」と、(めったにそう思わないわたしが)自尊心がペシャンコになった日々が辛かったです。
普段のレッスンをしてても、どこかで自分の中の「受験生」が監視してるんです。「そんなんでいいのか」「そんなんだから落ちるんじゃないのか」って。
何が申し訳ないって、あの頃の生徒に申し訳ない。わたし自身が全然リトミックを楽しんでいなかっただろうと思うし、(そんなつもりはないけど)子どもたちが理解してくれないことを自分のせいにしたくなくて、イラついていたかもしれません。子育てみたい・・・。
取得して意味があるのか
そういう辛い日々に、どうしても「このまま受け続けることって意味があるのか」という考えが頭をよぎりました。
今、これを読んでいる方の中でリトミック関係者以外で、「国際免許がどんなものか」を知っている人はいないでしょう。リトミック関係者でも知らないかもしれません(涙)。
実際には生徒も集まってるし、日本国内向けの免許は持っているので、仕事上、困ることは何もないのです。
こんなに苦労して取得したとして、何か仕事に良い影響があるのか。取得していないからといって、何か不具合があるのか。←ない。
とにかく「不合格に対する落ち込み」と「試験に費やす時間と労力と費用」がどんどん負担になっていきました。
自分自身の中の問題だけではなく、周りからも疑問の声を聞くことが増えました。「持っているからって何の意味があるのか」って。
ほんまにそうじゃ。
かかる労力と費用に対して、権威性が釣り合っとらんのんよ!(`Д´) ムキー!
・・・と、思っておりました。最後の方は、努力っていうより、もう、「早く終わりたい・・・」、その一心でした。
じゃあ何故わたしがリタイヤしなかったのかというと、今だから申し上げますが、もう、最後は「範子先生のためにわたしが取得しなくちゃ!」、お世話になった御恩、手のかかるわたしに最後まで一生懸命ご指導くださったことに対するお礼というかお詫びというか、そんな気持ちで続けていました。
範子先生門下生で国際免許受験生は、たぶんわたしだけだったので・・・、第一号が挫折では、続く皆さんにも範子先生にも申し訳ない。「範子先生に教わって取得できました」と前例にならねば!そんな思いでした・・・。
合格の瞬間
最後の試験の合格通知が届いたとき、封を開けながらわたしは会社のスタッフと話をしていました。
「ちょ!
ちょっと待って!!
ごめん、話を切ってごめん!
受かった〜〜〜〜〜!!!!!!!!」
と叫びましたwww
わたしがこれまでどんなに苦労してきたか知っている元生徒スタッフのみゆさんは、「うわぁ!!おめでとうございます!!」と言ってくれたんだけど、リトミックに無関係の健太さんは、半笑いでポカーンとしてましたwww
なんなら、会社の書類と同様に、封を開けようとしてたらしいですw
あっぶなー!
危うく、超重大な合格通知を、あっさりと「なんかに受かってましたよー」と健太さんの口から聞くところでしたwww
取得して何か変わったか
「取得」というより「これで終わった」の安堵感の方が強くて、あれほど目指していたのに、しばらく、このことには触れもしない日々を送っていました。自分のレッスンも大きく変わった気がしません。
そんなある日、親子を対象に「むすんで、ひらいて」を歌っていたわたしは、ふと気づきました。
「待って、わたしの「むすんで、ひらいて」、めっちゃリトミックじゃない?!」
って。
あれ?
待って、あれもこれも、普通に音楽やってるだけなのに、わたし自身がめっちゃリトミックじゃない?!?!
そうじゃ、これがリトミック講師じゃ(広島出身の血)!!!
なんだか目が覚めた瞬間でした。
試験の最中は、「これはリトミックなのか」「これはリトミックじゃないのか」って、必死で分類していました。評価ばかり気にして、正解か間違いかをずっと考えていました。今思うと、そもそも、音楽を楽しんでいない時点で、そういう問題じゃないんよ!って思いますが、当時は余裕がありませんでした。
今は、わたし自身の中にリトミックがある、という感覚があります。わたしの場合は得意なのが動きや歌なので、その表現が一気に音楽的になった実感があります。
試験に受かったからというか、これまでの8年間で確実に蓄積された何かがあった、ということだと思います。試験が無ければこんなに一生懸命やらなかったでしょうから、そういう意味では取得した甲斐があったということかもしれません。
また、リトミックについて語るときも、「これで合ってるのか?」と考えなくなりました。自分が習得したこと、ダルクローズ先生が言っていたことを、自分の言葉で真摯に後世に伝えるしかない、自信がなかったら勉強するしかない、そんな感じです。
教室運営に関しては、聞いて回ったわけではないですが、初めてお会いしたお父さんたちがわたしを信頼してくれるようになったように感じています。男性は権威性を重視する方が多いですからね〜。
価値は自分で作る
さて、こうして苦労して国際免許を取得したわけですが、「一体、こんなにまでして取得したことに意味があるのか」という疑問について考えてみました。
なにしろ認知度が無いのでね。
プロフィールに書いたとて、それで生徒が集まるわけでもない。
わたしが運営する「ダルクローズ・リトミック浜松研究会」では何故か、パスポート(受験のための単位取得エントリー)を取る人が多いんです。
「パスポートは取った方がいいのか」「協会に入った方がいいのか」「免許は必要か」と質問を受けると、答えに困ってしまいます。
道のりがめちゃくちゃ大変な割に、誰にでも分かりやすい成果が付いてくるわけじゃないから。
なんか「やりたかったらやったらいいんじゃないカナー」みたいな煮え切らない返事をしてしまっていました。
今、わたしは少し考えが違います。
今のわたしは、ガツガツと自分を「国際免許を取得しました(`ω´)キッパリ!!!」「日本ジャック=ダルクローズ協会の理事もやってます!!」とアピールしています。
「静岡県で一人です!」とかも言ってますw。登録としては事実なので、使えるものは何でも使います。「は?登録してないだけでわたしも持ってるし!」というチェックが入ったら、「静岡県で二人のうちの一人です!」に訂正しますw。
もしかしたら、わたしよりずっと楽勝で取得した先生方から「あんなのでガツガツアピールしちゃってwプププ」と思われるかもしれません。でも、いいんです。背に腹は変えられません。
相変わらず、ここ、浜松でリトミックの国際免許についてご存じの方はいらっしゃらないでしょうし、それで検索してご入会くださる生徒さんもいません。
でも、わたしが鼻息荒く「国際免許持ってて!!静岡で一人で<(`^´)>!!!」という勢いに「お・・・、おぅ・・・。なんか知らんけど、たぶんすごい(;゚∀゚)」と思われていると思うのです。
つまり、価値が高まるのを待つのではなく、こっちから取りに行く!!!
自分で価値を上げる!!!
わたしは、社長として社員を3名抱えています。(いや、抱えられている、か)100名以上の保護者様がわたしに「何やらよく分からんけど、たぶんすごい先生」と信頼してお子さんを預けてくださっています。わたしの背中を追ってるかどうかは分からないけど、「リトミック講師として仕事が成り立つ」と信じて浜松研究会で研修を重ねてくださっている先生方がいます。家族にも社員にも迷惑をかけながら受験してきました。
それで取得して、「イヤイヤ~、ソレホドデモ~ (*>ω<*)」なんて、わたしには言えない。ガッツガツに活かして、これまでの時間と労力と費用を回収せねば!
だって努力したもの。ものすごく。
お金さえ払えば、通いさえすれば取れるものとは違う。
音楽専門の大学を出ていないわたしが、音楽で食っていくために、信じてくださる皆様への証。
「有名な資格じゃないから」と、先人のわたしたちがゴニョゴニョしていては、後に続く若い人たちがどう夢を持てるでしょうか。
なので、わたしはガツガツとアピールしますよ〜、価値は自分で作ります!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?