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自分で高校を選ぶために、本当に知っておいてほしいこと〜10歳から15歳までのきみへ〜

こんにちは。
わたしは、浜松で音楽教室をやっている坪井佳織です。みんなから佳織先生と呼ばれています。

20年前から教室を開いていて、小さかった子が15歳になり、高校受験をする様子を何度も見てきました。それで気づいたことがふたつあります。

ひとつは、きみたちが高校のことを自分で考えられるだけの情報がもらえていないこと

もうひとつは、どんなに受験勉強をやろうとやらなかろうと、だいたい、小さい頃から想像通りの高校へ行くこと

きみたちは、それぞれ、いろんな個性があり、やりたいこともいろいろだと思います。それなのに、きみたちの周りの大人はほとんどみんな、「勉強をがんばって成績を上げて、少しでも偏差値の高い高校へ行くといい」って言います。その方が幸せになるし、夢も叶う、って。

でも、たくさんの子どもたちのその後を見てきたわたしは、それは違うと思うんです。

本当に考えなくてはいけないことは、「自分がどう生きたいのか」っていうことです。そんなこと、10歳や11歳で考えられるはずがないって思うかもしれません。けれどそれは違います。きみたちは十分、自分で自分の人生について考える力があります。今まで誰からも問われていないから、考えたことがないだけ。

今日は、「自分で高校を選ぶために、本当に知っておいて欲しいこと」をお話します。


選択肢はいっぱいあるんだよ

まず最初に知っていて欲しいことは、きみたちが思っているより、高校の選択肢はいっぱいあるってことです。

公立/私立

簡単に分類すると、次の2種類があります。

公立高校(国立高校含む)
私立高校

きみが通える範囲にはいくつの公立高校がありますか。普通高校の他に、商業高校や工業高校もあるんじゃないかな。

私立高校は、病院や教会、私立大学などが運営する高校で、公立に比べるとそれぞれの高校が特色のあるカリキュラムにすることができます。

どの高校に行っても、ご両親の年収によって国から補助金が出ます。(住んでいる地域によっては、年収に関係なく、みんな補助を受けられるところもあります)

補助金をもらえたら、公立高校はほぼ無料になって、私立高校は足りない分だけ支払うことになると思います。公立高校と私立高校は、たぶん、思っているほどの差はありません。「私立は高いからダメ!」と言われても、それはもしかすると「勉強をがんばって公立へ行きなさい」ということかもしれないから、本当のところを調べるといいです。「◯◯県 高校 就学支援」で調べると出てきます。

国公立、私立をいくつどのように受けられるかは、県によって違うので、調べてみるといいですよ。両方受けてもいいし、「私立単願」といって、最初から私立高校1本に絞るやり方もあります。

わたしが中学生の頃は「公立の方がいい高校」というイメージがあったから、もしかすると、きみたちのおじいちゃんおばあちゃん、ご両親は「公立の方が優秀」「(地域によっては)私立の方がいい」と言うかもしれないけど、そんなことはないです。公立と私立は、だれが運営しているかが違うだけで、どちらがいいとは言えません。

通信制・定時制・高専など

通信制高校は、「通学はせずに家で勉強するコース」、「週に2日とか3日は通学して残りは家で勉強するコース」、「週に5日、他の高校と同じように通学するコース」など、自分のスタイルで通える高校です。

昔は数も少なく、「特殊な高校」というイメージがあったけど、今は、みんなが思っているよりたくさんあるはずで、「やりたいことがあるからあえて通信制を選ぶ子」がどんどん増えています。2023年は12人に1人が通信制高校を選んでいます。

わたしは通信制高校で歌を教えていたことがあるんだけど、通っている高校生たちは当たり前に青春したり勉強したりする10代でした。何も特殊なことはありません。

定時制高校は、全日制(昼間に通学する高校)の校舎を使って、夕方から夜に通う高校です。働きながら通う子が多いですが、働いていなくてももちろん行けます。実際に通った人の話を聞くと、「すっごくいろんな人がいて、型にはまっていなくて、とてものびのびと楽しく通えた」と言っていましたよ。

始まる時間が遅いから、起立性調整障害などで朝起きるのが辛い子が行くこともできますよね。そんな風に、自由に選択してもいいんです。

高専は、高等専門学校の略で、5年間通い、卒業すると短大卒の資格がもらえます。理系科目が好きな子が通うことが多いです。わたしの教室にも、ある一定の割合で「理科オタク」みたいな子がいます。「学校では話が合わない」って言っていますが、高専に行けば似たような子にたくさん会えるでしょう。

全日制と同じように、国公立と私立があります。数が少ないので、全寮制も多いみたい。

興味があったら、イベントに行ってみると、より詳しく知ることができると思います。

高等学校卒業程度認定試験

略して「高卒認定試験」といいます。高校へ行かなくてもこの試験を受けると、大学受験をすることができます。「高卒」という学歴になるわけではないので注意が必要です。

もし学歴が欲しかったら、高校入学には年齢制限がないから、通信制でもなんでも、何歳からでも高卒の資格を取ることはできます。

いろんな理由で数年ズレている子は、きみたちが思っている以上に「普通に」高校にいるし、定時制には大人もいっぱいいます。


国公立、私立、通信制、定時制、高専。みなさんの住む地域にはいくつあるか調べてみてください。思ったよりたくさんあるのではないかな。それに加えて高卒認定試験も加えると、いつからでも、どうにでも選択肢はいっぱいあります。

大人の言う嘘

「そんなんじゃ行く高校がない」

ほとんどの大人は受験をきっかけに、きみたちに勉強をさせようとします。「それが普通」だからです。

昭和の時代は、少しでも偏差値が高い方がいい大学へ行き、いい会社に入り、生活が安定するという価値観でみんなが動いていました。だから誰もが少しでも「勉強をがんばる」時代でした。その名残です。今は違います。インターネットの普及により、学歴がなくても活躍する人が増え、いい会社(大企業)に入ったからといって安泰とは限りません。

昔の名残で、受験期(だいたい中3の夏以降かな?)に勉強していない姿を見ると、こう言われることがあると思います。

「そんなんじゃ行く高校がないよ!」って。

でも、それは嘘です。現在、高校への進学率は97%。行きたければほとんど全員がどこかの高校へ行けますから安心してください。

受験勉強はやってもやらなくてもさほど変わらない

きみは勉強が好きですか。これまで、出された宿題はまじめにやって提出するタイプでしたか。教科書を読むと内容が理解できますか。授業は退屈でしたか。文字を書くことは好きですか。負けず嫌いですか。納得できないことをやらされる意味が分からないと思ったことはありませんか。

これらの答えが、そのまんま、受験期も続きます。

つまり、これまで勉強が好きで、宿題をやっていた子は、受験勉強も塾でも同じようにします。出された課題をこなし、真面目に授業を聞いていれば、少なからず結果にも現れるでしょう。ですが、周りの似たタイプの子も同じですから、同じようにみんな上がっていきます。

これまで勉強が嫌いで出された課題をこなすのが面倒で、授業は眠気をこらえるのに必死だった子は、塾に行って受験勉強をさせられても同じようにします。安心してください、塾に入ったら急に変身したようにはなりませんから。やらないよりは少しは上がるかもしれませんが、周りには元々まじめにやる子というのがいて、その子達はもっと上がります。

結果として、ふたを開けたら「どの子もそれまでとあまり変わらない」ということになります。

そして、これは大事なことですが、人生において、「勉強をやる方が格段に幸せになれる」ということもありません。

わたしは、高校受験のときに塾に行かなかった子も特別な受験勉強をしなかった子もたくさん知っていますが、どの子も、「急激に下がってとんでもなくレベルが下の高校に行かざるを得なくなった」ということはありませんでした。元々の成績通りのところには入学しています。

世の中には、特別な勉強をしなくても成績の良い子というのが少なからずいます。この子たちは、既に3歳か4歳のころから話をしていると「賢いな」ということが分かります。何もせずに偏差値の高い進学校へポンと入ることがあります。何もせずに入れるのだから、何もしなくていいですよね。

塾は「行きたい子が行くと効果が出る場所」です。学校の授業の他にもっと勉強したい、違う先生から習ってみたい、という人にはとても楽しい場所ですし、塾は学校と違って「へたくそな授業をするとクビ」という厳しいエンタメの世界ですから、とても面白い授業をする先生や、違った角度から人生の刺激をもらえる熱心な先生がいる場合もあります。

逆に、小学1年生から誰がどう見ても勉強が好きではなかった子が、中3で受験勉強をして、突然急上昇した例も知りません。もしあるとしたら、本当に地頭の良い子が単にやっていなかっただけ、ということだと思います。前に書いた通り、話しているだけで「賢いな」と分かるタイプの子ですから、「成績に表れていないだけ」ということは分かると思います。

みなさんは、自分がどのタイプか、本当はもう知っているのではないですか。そのまま生きて行けばいいんですよ。「そのまま」ならば、それで十分です。

高校受験は人生にはさほど影響はない

わたしは今、53歳です。周りには、面白い仕事をしたり充実した生活を送って幸せそうな友人がいっぱいいます。

さて、その人たちは、どんな高校受験期を送ったのでしょうか。

そんなこと、まったく分からないし、どうでもいい話で、話題にもなりません。

つまり、大人になったとき、幸せな人生を送っているかどうかということに、高校受験期にどれだけがんばったかなんて、ちっとも関係ないんです。大騒ぎされるのは今だけです。

大人になってからどころか、高校に入学して4月には既に「どんな受験勉強をしたか」なんて、誰の話題にも上らなくなっています。入学して数日、数週間で中退する子もい〜〜〜〜っぱいいます。「入ってみたら違った」からです。高校は「選んで入る学校」だから「辞める」という選択肢もあるんです。中退した子にも続きの人生がちゃんとあります。

どうぞ、有意義で楽しい15歳を送ってください。長い人生では、「我慢してがんばった受験」よりも「楽しかった15歳の思い出」の方がずっとあなたの力になってくれます。

成績を上げる必要はない

公立高校の受験問題のしくみを知ってる?

みなさんは、公立高校の入試問題がどんな風になっているか知っていますか。

今まで、テストといえば「少しでも良い点数を取ること」を目指すように言われたでしょう。だから、公立高校の入試問題も少しでも良い点を取らなくてはいけなくて、できれば100点満点を取れたら最高!って思っていませんか。

わたしの教室の10歳から15歳の子たちに、「公立高校の入試問題は、1から10まで成績のレベルがあったとすると、だいたいどのくらいの問題が出ると思うか」というクイズを出しました。

きみはどう思いますか。考えてみてください。

子どもたちが考えた答えはいろいろでした。「真ん中くらい」「真ん中よりちょっと上」、いろいろだったけれど、正解はひとりもいませんでした。そのくらい、みんな知らないんです。知らないのに挑まされるよね、変だと思いませんか?

正解は、「あらゆるレベルの問題が混在している」です。

問1の(1)はレベル2、(2)はレベル8、(3)はレベル5という具合に。どれが簡単でどれが難しいか、順番には並んでいないので、突然、さっぱり分からない問題が出て頭が真っ白になってしまうこともあるかもしれません。

なぜそのようになっているかというと、公立高校というのは、県内の高校すべて同じ問題で合否を決めるからです。

つまり、ものすご〜く頭のいい学校の子も、簡単な学校の子も、同じ問題を解きます。もし、レベル5の問題ばかりだとすると、頭のいい学校の子は全員100点で、差がつきませんよね。簡単な学校の子はみんな0点でこちらも差がつきません。そうすると、誰が合格で誰が不合格か、公正に判断することができなくなります。

公立高校の問題は、超難問から易しい問題まで、順番もぐちゃぐちゃに並んでいます。だから、「きみが解ける問題」だけが解ければそれでいい。合格圏内の点数が取れたらOKで、その点数は高校によって違うから、みんながみんな、「一点でも高く」を目指す必要はないんです。

本当に高い高校へ行く必要があるの?

高校入試は、「なぜやるのか」「自分には何が必要なのか」を教わる間もなく、15歳の子が一斉に1ヶ所に集められ、いきなり「ようい、ドン!」とピストルを鳴らされるようなものです。

きみたちは、このレースが長距離なのか短距離なのか、どっちがゴールなのか、どうなると優勝なのか、どこの何に向かっているのか分からないままに走らされ、「何位かどうかは関係ない。とにかく少しでも良い順位に入りなさい!!」「サボってると不幸になるよ!」と沿道から大人に叫ばれているようなものなんです。

きみにとっての幸せは、もしかすると空を見上げることかもしれないね。咲いているのがなんという花か観察することもかもしれないね。もしかしたら、ゆっくりと腰かけて、走る友だちを応援することが好きかもしれない。

そんなことは関係なしに、誰もが一斉にレースの説明を受けずに競わされる。それが今の高校入試です。

一度立ち止まって、「本当の本当に、偏差値の高い高校へ行く必要があるのか。それはなぜか」自分で考えてみましょう

わたしの教室には、「やりたいことがあるから、放課後は早く帰ってそれをやるために一番近い高校にする」子もいましたし、「学校のカリキュラム外のことに時間を取りたいから負担の少ない、自分の成績からすると偏差値の低いところにわざと行く」子もいます。

結果として、偏差値の高さで選んだ場合に比べ、18歳のときにより「本当にやりたいこと」に近づいているのはどちらか、言うまでもありません。

高校の選び方

カタログから高校を選ぶとどうなるか

高校入試で一番大切なことは、「自分で選ぶ」ということです。

ほとんどの子にとって、高校選びは「初めての自分の人生の分かれ道」になると思います。最初に言った通り、きみたちの前には想像よりずっと多くの道が用意されています。本当はどれを選んでも、きみの自由です。

でも、いつの間にか「できるだけ偏差値の高いところを選ぶ」という価値観を植え付けられ、それが当たり前、それ以外の選択肢はないと思い込んでしまうと、きみの目の前には「ほら、これがきみが行くべき高校だよ」とカタログが広げられます。カタログには「きみの成績で行けそうな高校」が並んでいます。

ここで、他の選択肢の可能性を自分の頭で考えることなく、カタログの中から高校を選んでしまうとどうなるかというと、次に18歳で進路を決めるときも同じように誰かが用意したカタログからしか選べなくなります。だって、やったことがないから。当然だけど、18歳の選択の方がずっと難しく、影響が大きい。15歳でやったことがないのに、急に18歳でやるのはあまりに不安が大きすぎて、怖くてカタログからしか選べません。

この先、就職だってなんだって、ずっと「誰かが用意したカタログ」から選ぶようになり、いつか「自分の人生ってなんだったんだろう」と気づくときが来ます。

「気づいたときに自分で選べばいい」って思うかもしれませんね。それはその通りなんだけど、「やったことのない挑戦を大人になってからいきなりやることのハードルの高さ」がどのくらいのものか、試しに周りの大人に聞いてみるといいと思います。

気づいたときにやろうと思うなら、15歳から始めたっていいですよね。

選び方は自分で決めていい

じゃあ、「自分で決める」って、どうやってやるのでしょう。

選び方も自分で決めるんです。たとえば、「制服が可愛い」という理由で選んでもいいし、「家に近い」という理由で選んでもいい。

もしかすると「制服が可愛いから」という理由で高校を選んだとき、周りの大人が「そんな理由で決めたらダメだよ」と言うかもしれません。

それは、その大人にとってファッションや見た目はどうでもいいからです。けれど、きみにとっては「ファッションや見た目の重み」はもっともっと大切なものなのではないですか。それが価値観です。

わたしの教室で「制服が可愛い」といって高校を選んだ子は、2歳のころには既に「先生、わたしの新しい靴、見て。可愛いでしょう」と見せに来た子です。軽く考えているわけではありません。

「制服なんかで選んではダメ」と言われ、成績で選ぶことにしたとしましょう。18歳になったときには、「ファッションの専門学校へ行きたい」と言っても「ダメダメ。せっかく進学校に入ったのだから、大学に行かなきゃ!」と言われます。言われなくても、周りの雰囲気で「とりあえず偏差値の高い大学」を受験することになるでしょう。

またカタログから「行ける範囲でいうと・・・、まぁ経営学部かなー、お店をやってみたい気持ちもあるし」と大学を選びます。当然、授業は面白くありません。そんなに興味がないからです。それよりもアパレルのバイトの方がずっと楽しい。だって小さい頃からずっと好きだから。

楽しいアパレルのバイトをそのままやって暮らしていきたいと思っても、大卒でバイトなんて周りに誰もいないし、親が許してくれるはずもないと思い、とりあえずカタログで選んだ会社に入るけど、そこも面白くない。かといって辞める勇気も、何か始める勇気も湧かない。みるみるうちに元気がなくなっていく。

見かねた親がこう言います。「何か夢中でやれることはないの?それをやったらいいじゃない」って。

今言うなら、なぜ「制服の可愛い高校」を選ぶのはダメだったんでしょう。あのとき、好きなデザインの服を毎日着て通学できていたら?友だちもファッションが好きで制服が可愛いから入学してきた、気の合う子がたくさんいたら?

想像してみてください。どちらの人生を歩みたいですか。

「楽しそう」で選ばない

どんな高校か知るとき、「ホームページを見る」と「オープンキャンパスに行く」という手段があります。

このとき、気をつけて欲しいことがあります。それは「楽しそう」で選ばないということです。

そもそも、ホームページもオープンキャンパスも広報活動のひとつなので、「楽しくなさそうな実態」を見せるはずがありません。特にオープンキャンパスは生徒全員が普段の様子を見せているのではなくて、オープンキャンパス実行委員や係になった子、つまり、この学校がとても好きで積極的に活動している子が「ぜひ、うちの学校に来てね!楽しいよ!」と一生懸命アピールする日ですから、この子達はとても輝いて楽しそうに見えるはずです。

さて、きみは中学で文化祭や体育祭で積極的に係になり、クラスを盛り上げるタイプでしたか?もしそうでないのであれば、高校でいきなりオープンキャンパスデビューはしません。しても楽しくないと思います。元々好きで、きっかけがなかっただけならやるかもしれませんが、きっかけを逃したら同じですね。

もし、楽しい高校生活を送りたいなら、「楽しそう」ではなく、「楽しもう」としてください。楽しそうなのは他人。楽しむのは自分です。

ホームページはどうとでも作れるからあまり参考にはなりません。オープンキャンパスでもいいから実際に足を運んでみて、自分の直感を信じてください。「ここに加わりたい」と思うかどうか。理由を言葉で並べなくてもいいんです。そんな理由なんて、入学してしまえば「違った」ということはザラにあります。「言葉にならない何か(=自分の心)」を信じてみてください。

ちなみに、何がなんでも高校生活を楽しまなくてはいけないってこともないんですよ。長い人生のうち、3年間くらい暗黒の時代があったって、どうってことありません。次、次!!さっさと次にいけばいいんです。

親には10回、しつこく言う

自分で高校を選んだら、親や先生にそれを伝えないといけませんね。そのとき、大人から見て不本意な高校だったりすると、「なぜ?」と理由を問われます。

その答えは「なんとなく」でいいんです!!自分から発せられた「なんとなく」ほど強いものはありません。

親はおそらく、嫌なことを言います。「そんな選び方をしたら大学に行けなくなるよ」とかなんとか。もっと強い親は「そんな高校に行くなら学費は出してやらない」くらい言うかもしれません。

なぜ親はそんなことを言うかというと、きみたちを困らせ、悲しませ、痛めつけたいからではなく、幸せになって欲しいからです。親の基準では、きみの選択では幸せになれないと思っているんです。自分の歩んだ道以外を知らないからです。

だから、何を言われてもぜひ、しつこく最低10回は言ってください。たぶん、8回目くらいに少しだけ耳を傾けてくれるようになります。もし10回言って聞いてくれなくても大丈夫。強行すればいいんです。だって自分の人生だから。

その結果、思ってたのと違ってすぐに退学することになり、親から「ほら見たことか!だから言ったのに」とイヤミを言われても気にすることはありません。それは「たまたま」です。親が勧めた高校でそうなる可能性だってあります。人生は、何事も「やってみないと分からない」ことだらけ。たとえ中退になっても「自分で考え、自分で選び、自分で決め、自分で実行した」事実と自信は消えません。

ちなみに、きみがずる賢く世渡り上手な子だったら、「なぜ?」と聞かれたときに親が喜びそうな理由を適当につけてはどうでしょう。「うちの子、しっかりしてる!」と思われて、すんなり認められるかもしれません。どうせ言葉なんてただの言葉なんだから。きみの人生の方がずっと大事です。

自分で選んだ高校に入ると、良い友達に出会える

自分の直感や価値観で選んだ高校に行くと、価値観が似た友だちに出会えます。

高校の友だちは、きみが「初めて人生を選択した先にいる、選ばれた友だち」です。中学までとは少し違う距離感で付き合うことができます。(※中学受験をしている子は違うかもしれません)

中学まで同じ学校に通う子は、「たまたま同じ地域で、たまたま同じ学年に生まれた子」です。けれど、高校の友だちは「それぞれが選択の上に集った初めての仲間」です。

ぜひ気の合う友だちを見つけ、答えのない対話や体験をたくさんしてください。かけがえのない10代を精一杯駆け抜けてください。たとえその友だちと疎遠になったとしても、その日々は一生の宝物になります。

きみたちはどう生きるか

本当に大事なのはその先

言うまでもなく、高校受験は単なる通過点です。これから起こる人生のどんな点も全部通過点です。

だから、失敗を恐れず、ただ「自分で選ぶ」ということだけに集中してください。本当に大事なのは、受験ではなく、その先の人生です。

きみの夢はなんですか

きみの夢はなんですか。
今、選ぼうとしている高校は、きみの夢につながっていますか。

夢は他人に評価されたり否定されたりするものではありません。
他人に評価させたり否定させたりしてはいけません。自分を信じ、自分で守ってください。

人生でいちばん大切なこと

人生でいちばん大切なことは、偏差値には表れません。
いちばん大切なことは、「自分らしく生きる」ということです。

高校は、自分らしさのひとつの部品です。


大人のみなさんへ

この文章は、わたしが実際に教室の10歳〜15歳の子に向けて何度かに分けて話した内容を、日本中の子どもたちに向けて書き起こしたものです。子どもたちが自分の人生について考え、自分軸を持って自立するためです。

中には大人にとって都合の悪いことも書きました。

わたしは15歳のとき、大人から当然のように言われたこと、もしくは言われなかったことを「本当かなぁ」と思いながら、「みんなそうだ」「普通はそうだ」に流されて生きてきました。そうしてあの頃の大人と同じ立場の大人になってみたら、「え、違うじゃん」ということがいっぱいありました。

あの頃、本当のことを教えてくれる大人に会いたかった。そうしたら、もっとずっとずっと早く、自分の人生について深く考え、賢くなることができたでしょう。

大人は「考えるのをやめろ」と伝えていました。

それなのに、22歳になって社会に出たら、急に「自分の頭で考えろ」と言う。じゃあなぜ、自分の人生について考える時間もやわらかい脳もたっぷりあった15歳のあの頃にそれを許してくれなかったのか。

そうしてわたしも親になり、自分の息子たちが自立していきました。あんなに嫌だと思っていた、「普通の大人の反応」をしてしまったことがいっぱいありました。ハッと自分で気づいて是正したのではなく、息子たちがちっともわたしの言うことを聞かず、半年でも1年でも言い張ってくれたおかげで、今になってようやく「あの頃、子どもの言っていることの方が正しかった。なぜなら子どもの人生だから」ということに気づいたのです。それで「親には10回しつこく言う」という項目を書きました。10回どころか100回くらい言われてなお、「勝手にしなさい」というのがわたしの答えでした。(偏差値主義ではなかったけれど)そんな反省も込めて、書いています。

制度については最新の情報を調べましたが、もしわたしが間違っていたらご指摘ください。また、わたしの住む浜松の例を元に、おおむね公立中学から進学する子を基準に書きましたので、あてはまらない地域や子どももたくさんいると思いますが、子どもに分かるように、あまり例外を羅列しないようにしました。

ご自身の15歳を思い出し、もし、こういうことを伝えてくれる大人が近くにいたら、自分の人生は違っていたかもしれないと思われたら、ぜひ、お子様に読ませてあげてください。これを読ませてくれたということは、この先、どんな行き違いがあっても、「親は自分の人生を大切に想ってくれているのだからきっと分かってくれる」と思えると思います。


何者が書いているかはこちら↓

著書『好きなことだけすれば子どもは伸びる』↓


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