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音楽履歴:バンド経歴

(一部加筆修正しております)

20代半ば過ぎまで私は、ベースで諸々のアマチュアバンドに所属したり、あちこちのメンバー募集を見ては出掛けていって新たなバンドを探したりしていたが、なかなか安定した活動が出来る所まで辿り着けずにいた。

そんな折、ベースの師匠でもあり人生の伴侶でもある堀尾のバンドFrog&Trippersのメンバーの内1名の方が脱退。
「キーボードやらない?難しいことしなくても鳴ってればいいから」と言われ、
大昔に少しだけピアノを習っていた私はFrog&Trippersにキーボード&コーラス担当として
2000年頃加入した。

「難しことしなくても〜」とは言われていたものの、師匠ホリオも含めて自分以外の人は基本プロミュージシャンとしてコンサート仕事やTV仕事やなんやかんやして来ている人達。
(余談:ドラムの湯浅さんはサンディ&ザ・サンセッツのメンバーとしてワールドツアーにも行っていた。そのツアーは売れる寸前のクラウデッドハウスと一緒で、そしてツアー中にクラウデッドハウスが見事全米1位を勝ち取った事でツアー廻ってる間に立場が逆転したとかしないとか)

結局まあまあ難しい事をやらされるハメになり。。家にいる時はとにかくキーボードパートの練習ばかりしていた。


シンセの音の扱い方もゼロから始める事になり途方に暮れる日々であったが、最終的にはマイクロコルグのユーザーパッチを全て自分好みに書き換えるまで行けた。マイクロコルグで全ての音を出してやろうと思いエレピやオルガンやハープシコードやストリングスやその他飛び道具などほぼ出したい音を自分で作って取り揃えてやったのだ。素晴らしいな私。唯一アコピの音は無理だったが。

鍵盤のリズムの取り方もまたかなりの難題だった。アコピの音は特に、弾いてしばらくしてからピークがくるので一体どこを基準にリズムをとって良いのかさっぱり分からないし、弾いてみてもそれがリズムに合ってるのかもいまいちピンと来ない。

ので、とりあえず当時堀尾忠司のやっていた別バンド、凄腕プロフェッショナルプログレッシブインストバンドのFishing Personsのライブを観に行っては、ドラムの徹さんの叩くリズムに対してどうキーボードの小泉さんが動くのか凝視し、更には一緒に弾く真似をしてみたりしながらタイミングの研究などしていた。どこで腕を上げ始めるのか、腕というよりも手首なのか、どこで鍵盤の音が鳴り始めるのか、音のピークに対してのどこを当てるようにしているのかっていうか呼吸?ドラムと呼吸合わせるのか??等々。

あの頃ほぼほぼリズムの事しか考えていなかった。(今も自分は割とその傾向がある)

少しずつだが鍵盤に慣れてきた辺りから、
Frog&Trippersをやりつつ調子に乗ってバンドもしくはソロの方のバックで度々鍵盤を
弾かせてもらうなど生意気にも掛け持ちなんかもし始めた。
サイド鍵盤程度のあまり難しくないような事メインだったけれど。

ワタシを使ってくれた心の広い、エガワヒロシさん&そのバンドの皆さん、polygon headの皆さん、LOVEMARTの皆さん、いろハモニカ(&モニパラ)の皆さんありがとう。色々ご迷惑をおかけしました。
とても良い経験になりましたー。



そしてFrog&Trippersは2011年春に活動休止し、新たに5mm(ごみりめーとる)として活動開始。

私は鍵盤担当で鍵盤トリオとしてスタートするも、そもそも私の鍵盤で鍵盤トリオはあまりにも脆弱であるし、何よりもやはりバンドはギターが鳴ってないとワクワクしないじゃん!と私がゴネて5mmは再編となり堀尾がギターを弾くことになった。私はここで久しぶりにベーシストに戻った。
(余談:鍵盤トリオの時にドラムを叩いてくれていた上(ウエ)さんはこの後、活動を再開した岡村靖幸のツアーに戻る事となったのだった)

そしてメンバーチェンジを経て新たなドラマー加入でのギタートリオになり、そのうちに鍵盤も加えての4人組として活動を始める。(ここでの鍵盤は今現在の5mmでも鍵盤を弾いてくれているひろぽんなのだった)

2014年、堀尾のやっていた作曲家2人ユニットSHEEPに、5mmの4人組を基本としたメンバーを加えてバンド形式でライブをやった。1月の記録的大雪の日に開催された有名なあのシネマとのライブ。渋谷で遭難しかけたのは後にも先にもこの日だけと言うとんでもない大雪の日だったにも関わらずシネマのおかげもあり大盛況だった。
色々な意味で伝説のライブとなった。

それから少し時の過ぎた2016年の秋、9年ぶり来日公演を行うPILOTの前座をSHEEPでやれるというお話をいただいて、急遽堀尾のずっとやっていた別バンド、バリバリ百戦錬磨のプロ集団フィッシングパーソンズのメンバーを中心とした第2期SHEEPを発足。
2016年11月21日にその大役を果たした。

ちなみに、その次の日のPILOTのステージのYoutubeがこちら↓↓(当日の映像は無いのだった。。ショボーン)



その、大役を果たす前に話を戻し、、

第2期SHEEP発足&PILOTのオープンニングアクトを演るという話を聞いた私は
「お!それは良いメンバーじゃん!カッコいいじゃん!絶対観に行く!」と言った。

そしてその時私は脳内で
「これはきっとSHEEPはめちゃくちゃ人気が出てツアーに出まくったり忙しくなるなあー、じゃあ自分と堀尾とでライブをやる機会はもう無いかもなあ。
楽器弾くの引退して応援する方にまわるかなー。
そんな人生もいいかなあー。
自分は家で1人宅録とかして続けていければいいかー。」まで考えていた。

それを遮るように堀尾氏。
「いや、ねこっぱち(私のこと)も出るんやで。」

「。。。。?だってギター、ベース、ドラム、キーボード全部足りてるし
私要らないじゃん?」
「コーラスがおれへんねん。あと、ギターもツインギターにしたいから
ワシもギター弾くからベースが足りない。」

私の脳内(動揺のあまり変な関西弁)
「なんでそんな凄腕バンドに素人挟むねん!
ベースも素人だがコーラスなんてもうカラオケしかやった事ない程度の素人甚だしい感じやんけ!
しかも憧れのPILOTの前座なんていう国際規模の初ライブ無理過ぎやろ!」

単なる素人の私は「荷が重い」と言って2度断った。
とは言え。

今まで音楽やってきたのは何を目指してだったんだ自分?カッコいいバンドでカッコいい音楽を鳴らしたかったからじゃ無いのか?
今世界一カッコいいバンドでやれる最初で最後のチャンスがやってきてるのに、これ断るならお前は音楽やってきた意味そしてやり続ける意味あるのか?

自分内会議の末に結局やるべきと思い、やらせてもらう事にした。

きっと私ならギャラが要らなかったのとスケジュールが合わせやすかったから誘ってくれたのだと思うが、とにかく荷の重さが半端では無かった。
私はこの時急なレベルアップを求められかつてない程練習した。
バンドでのリハに入る前にまず堀尾と2人での練習を重ね、さらにドラムの徹さんに手伝ってもらっての3人練習の日々も重ね(週4回リハって事もざらだった。有難過ぎる。。徹さんその節はお世話になりました)

そして、バンドリハ初日。
緊張で吐きそうだった。
メンバーの先輩方が軽〜く音出ししている時点で既にCDみたいな音(完成された音源、的な意味)。
マジか。マジなのか。音の1つ1つの目の細かさがそんじょそこらのアマチュアどころか普通のプロくらいの人とも全然違う。滑らか且つ鋭い。
全ての出音に全責任を負っている覚悟の決まった音。凄すぎる。
これは無理なんじゃないのか、いや無理だろうでもこれまでやれるだけの事はやってきたしここに参加できないなら死んでいるも同然なのだ。。
あーーーーやるしか無いのだ全力でやるしか無い。
今まで尊敬し続けてきた先輩達に下手したら目も合わせてもらえなくなるかも、口をきいてもらえなくなるかも。。と震えながらも全力を尽くした。

とりあえずなんとかギリギリ最低ラインはクリアしたらしかった。。。良かった。。先もまだ長いが。。

本番2週間くらい前からは、PILOTの前座であがって弾けなくなってしまわないように、朝4時起きして、寝ぼけた状態でセットリスト全曲通す練習もした。
もしちょっとでもあがってるな!と思ったら自分のスイッチを切って寝た状態で弾いたり歌ったりしてしまえば大丈夫なようにしておいたのだ。

本番は百戦錬磨の先輩達に支えられて、自分のスイッチを切ったり入れたりしながらなんとか多々ある難所を乗り越え、気付けばめちゃくちゃ楽しかった。

。。。
その後そのままSHEEPに在籍する事が出来、現在まで続いている。私の一生でこれ以上のバンドに
入れることはもう無いのではというくらいの凄腕の先輩だらけの最高の素晴らしいバンド。
もっとこの緊張感の中で自分を鍛えていけたら。
(加筆:と思っていたのだが、2023年現在残念ながらあまりライブ活動は出来ていない。。)

そして。元々SHEEPの前からやっていた5mmは。
アコースティック5mmという名前で堀尾と私の2人組で安上がりに活動を継続しつつメンバーを探し、2020年より5mmはドラムにChacoさんを、さらに2021年より以前鍵盤弾いてくれていたひろぽんを呼び戻し4人バンドとして精力的に活動中。今はこちらがメインで活動していると言って良いかと思う。 
今とても面白い感じになってきており脂も乗ってきているので試しにチラリとぜひ観て欲しい⬇️


なんだかんだ遠回りしたような寄り道だらけのような私の音楽人生だが、この全てを経て今やっと見えて&聴こえてきているものがある。昔味わえていなかった部分を味わえている感がある。
自分のレベルも昔より遥かにマシになった。
今、バントで演奏する事ライブをやる事がとても楽しい。

あの時、パイロット来日公演前座を、SHEEPというバンドの参加を決断出来たからこそこの景色が見えている。
あの時決断していなかったら私は永遠に同じところをぐるぐる回り続けたままで人生の全てを棒に振っていたんだろうと思う。

なんとかそのぐるぐるから抜け出て一つ先に行けた。環境や周りの人に恵まれたのも本当に有り難かった。


そして。

この景色の先にもまだまだ未知の領域がいっぱいある。まだまだ旅は続いている。

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という訳で。
今後サブスクにもどんどん音源が増えていくので気が向かれましたらチェックしてみてくださいね!SpotifyとApple Musicのリンクを貼っておきます⬇️⬇️


長々読んでいただきありがとうございました🙇

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