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栗山さんが達成した「同一球場1000安打」について記録の面から考える

6月28日、我らが埼玉西武ライオンズ・栗山巧(栗山さん)がベルーナドーム(西武ドーム)での通算1000安打という記録を達成しました。
直前にライオンズファンを大いに嘆かせる出来事があっただけに、生涯ライオンズを誓った栗山さんの記録達成にファンは大いに沸きました。


私自身も前日に愚痴でしかないnoteを書きましたが、栗山さんが「気持ち分かるで。でもオレが付いてるやろ」と言ってくれているかのようで…(ただの妄想ですが)。

と同時に気になったのが「同一球場での1000安打」が史上12人目ということ。
プロ野球は試合の半分がホームゲームとなるため、単純計算で言えば通算2000安打を達成すれば「同一球場での1000安打」にかなり近付くはず。
もちろん地方球場での開催もありますが、近年ではそれも年間5~10試合程度。
昨年栗山さんが通算2000安打を達成したのが史上54人目であることを考えると史上12人目というのはかなり少ない印象。
もちろんキャリアの途中で移籍や本拠地移転があると不利になるのは分かりますが。

■通算2000安打達成者の本拠地

…ということで調べてみました。通算2000安打達成者の本拠地の変遷です。

2022年7月15日時点。黄色=同一球場1000安打達成者 オレンジ=通算2000安打達成時の所属球団と本拠地

(球場名表記はネーミングライツではなく正式名称に統一しています。ただ旧広島市民球場とマツダスタジアムはどちらも正式名称が「広島市民球場」のため、現在使用している球場を「マツダ」としています)

まず目につくのは歴代安打1位でありながら同一球場1000安打は達成できていない張本勲。
1959年に東映でキャリアをスタートさせ、14年目の1972年に通算2000安打を達成。後身の日拓ホーム・日本ハムも含めて1975年までの17年間在籍しています。
ただその間に駒沢(1954~61年)、神宮(1962・63年)、後楽園(1964~75年)とチームが移転を繰り返していたため、東映時代に同一球場1000安打は達成できず。
移籍した読売も後楽園を本拠地としていたため、後楽園では16年間を過ごし、その間に通算2266安打を放っていますが、やはり1000安打には及びませんでした。

NPB公式サイトには主要な本拠地球場での安打数・勝利数などが記載されているのですが、後楽園のページには記載なし。
そのため後楽園で何安打したかは不明ですが、恐らく東映時代の他球場での開催の多さが影響していると思われます。
当時は主催試合が年間65試合でしたが、東映在籍時の後楽園開催は1年平均で52試合程度。神宮球場での開催が毎年10試合前後あったようです。
当時の事情は分かりませんが、恐らく読売の試合消化が優先されていたため、日程によっては神宮を使用していたのでしょうか。

ファイターズのマスコット・ポリー(かわいい)

歴代安打7位の金本知憲はFA移籍があったため達成ならず。
8位立浪和義は1996年まで本拠地のナゴヤ球場で512安打、1997年オープンのナゴヤドームで653安打とドラゴンズの本拠地通算であれば1000安打をクリアしているのですが…。本拠地の変更という外的要因があると一気に達成が遠くなるのがこの記録です。

■一つの本拠地しか経験していないけど同一球場1000安打に届いていないのは?

逆に気になったのは「移籍・本拠地移転がないのに同一球場1000安打をクリアしていない選手の中で最も安打数が多いのは誰?」ということ。
答えは歴代安打数では22位に位置する「小さな大打者」こと若松勉でした。
スワローズ一筋で2173安打を記録したものの、神宮ではそのうち42.8%の930安打に留まっています。
「何年にどこの球場で何試合主催していた」という細かいデータはすぐには見つからなかったのですが、例えば若松がキャリアハイを記録した1977年の記録を見てみます。

神宮54試合、草薙4試合、熊本2試合、長野2試合、長崎1試合、松本1試合、宮城1試合
http://npbstk.web.fc2.com/order/1977swallows.html

前述の東映と同様に年間10試合以上の地方開催があったようです。年間130試合に対して神宮の54試合は41.5%に相当するため、通算安打数のうち神宮での割合とほぼ一致しています。
神宮は大学野球との兼ね合いもあったと思われ、当時の球場事情が窺えます。

ちなみにスワローズ一筋では宮本慎也、古田敦也も通算2000安打を達成していますが、神宮ではそれぞれ941安打、885安打。通算安打に対する割合では44.1%、42.2%となっています。

明治神宮野球場

■今後の達成候補者は?

また現役選手で今後達成できそうなのは誰か?
坂本勇人が東京ドームで980安打としており今季中の達成が濃厚。
東京ドームの記録では阿部慎之助の969安打を抜いて既に1位に立っています。
また大島洋平はナゴヤドームで875安打。1000安打の達成はギリギリになりそうですが、来年まで試合に出続ければ球場歴代1位の荒木雅博945安打を抜ける可能性は高そう。

東京ドーム

■歴史はあるけど達成者がいない甲子園

前述した神宮と同じく、歴史がありながら達成者がいないのが甲子園です。
そもそもタイガースでキャリアをスタートして在籍のまま通算2000安打を達成したのは鳥谷敬と藤田平のみ。
鳥谷は通算2099安打の40.3%にあたる846安打、藤田は通算2064安打の44.2%にあたる913安打を甲子園で記録しています。
言うまでもなく春夏の高校野球のために地方開催が多いことが影響しています。

近年では高校野球開催期間に9試合前後を大阪ドームなどで開催していますが、これは地方開催が減りつつある現在の球界では最も多い部類に入ります。
そして高校野球の開催方法が根本的に変わらない限り、この数字は大きく変わらないでしょう。
年間143試合のうち甲子園での開催は63試合程度。単純計算すると通算2270安打しないと甲子園での1000安打は達成できないことになります。
入団3年目の昨年まで通算476安打を積み重ねた近本光司でも今のペースであと10年以上打ち続けなければいけません。かなり苦しい。

阪神甲子園球場

■通算安打数のうち何割を本拠地で打っているのか?

また同一球場1000安打達成者の通算安打数に対する割合も調べてみました。

2022年7月15日時点

野村克也・石井琢朗は通算2000安打達成後に移籍して当該球場でもプレーしているため、移籍後の成績も含んでいます。
概ね通算安打数の45~48%を該当球場で放っていますが、50%を上回っているのが野村・広瀬。逆に福本は40%とかなり少なくなっています。
野村・広瀬が揃って南海に在籍していた1954~77年の24年間で地方開催は僅か11試合。
また1957年までは近鉄も大阪球場を本拠地としていたため、ビジターチームとして大阪球場で戦ったことも影響しています。

大阪球場の跡地・なんばパークスに「帰還」した野村克也

対照的に福本が在籍していた時代の阪急は準本拠地としていた西京極で毎年10試合前後を開催していました。福本のキャリア全盛期である1977年には西宮球場で44試合しか行われていません。そのため該当球場での安打割合は最も低い40.5%となっています。

西宮球場の跡地・阪急西宮ガーデンズに遺るブレーブス関連の展示

このように時代や球団により事情は様々ですが、試合数に対して本拠地での開催は概ね47%前後になりそうなので、通算2127安打すれば同一球場1000安打が見えてくると言えそうです。

色々と考察してみましたがいかがでしょうか。
先に述べたように地方開催が減少傾向にあるため、移籍せずに通算2000安打を達成すれば、同一球場1000安打も達成できる可能性は昔と比べて上がっていそうです。
ファイターズやスワローズのように近い将来に本拠地の変更が予定されている球団は別ですが…。

結論としては…栗山さん最高!

2022年5月29日。サヨナラホームランを放った栗山巧

■参考資料

NPB公式(球場情報) https://npb.jp/stadium/
球場風土記 http://fudoki.web.fc2.com/
日本プロ野球記録 https://2689web.com/
日本プロ野球私的統計研究会 http://npbstk.web.fc2.com/index.html

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