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タクシーは 郷土の誇り 運ぶかな

上杉家の御廟所

 早朝に大宮駅を立つ山形新幹線に乗って、昼前に米沢の駅に到着した。あいにくの小雨日和だったので、駅前でタクシーに乗っり、行き先を告げた。

 「上杉神社まで行って下さい。」

 60歳前後と思しき運転手は、見かけによらず快活な声で応えた。

 「上杉神社ですね。観光で来られたのですか。そうなら、御廟所をお勧めします。」

 「そんなに良い所ですか。」

 「杉の木立の中に、歴代の藩主を葬った社が立っていて、荘厳な感じがします。」

 謙信を祀った上杉神社にお参りした後、運転手の勧めに従って御廟所まで足を伸ばした。謙信の廟を中心に2代景勝の廟が向かって左手に立ち、3代の廟が右手と、偶数代が左、奇数代が右と14代までの廟が立ち並び、全体として厳かな雰囲気を醸し出していた。

 2泊3日で米沢、山形、酒田の3都市を巡った。最終日の酒田のお目当ては、江戸時代の豪商本間家の旧宅や美術館であった。ホテルから旧本間邸まで乗ったタクシーの運転手は、本間家について誇らしげに説明してくれた。

 「本間家は江戸時代屈指の豪商だったが、生活は意外に質素なだったんですよ。旧宅を見て貰えばそのことが分かると思います。」

 「『本間様にはなれないまでも、せめてなりたやお殿様』って言葉がありますが、実際は質素だったてことですか。」

 「そうなんです。稼いだお金を公益のために使ったことも有名です。それは、美術館に行って本間家の所蔵品を見れば分かりますよ。」

 旧本間邸は、幕府の巡見使の宿舎として本間家が藩になり代わって建て、後に本間家が藩から拝領したものだ。巡見使の宿舎の部分は総檜造で豪奢であるのに対して、家族の住居部は杉材で作られ、簡素である。

 本間美術館には、多くの書画骨董が展示されているが、その全ては酒田のある庄内藩の殿様や近隣の殿様、明治の元勲から賜ったもので、金に飽かせて手に入れたものではない。上杉鷹山直筆の掛け軸は、米沢藩の財政立て直しに貢献したことに対する謝礼である。西郷隆盛直筆の書は、戊辰戦争で負けた庄内藩に対する寛大な措置への感謝を表するため、薩摩に隆盛を尋ねた際にもらったものである。

 酒田の運転手も米沢と同様60絡みの年齢であった。両者ともに歴史を勉強し、郷土の英雄に誇りを持っていた。観光地のタクシーの運転手は、客を運ぶだけでなく、地元の歴史について語れなくては、一人前とは言えないのだろう。

(2024.05.04)

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