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夕暮れに 鐘の音響き 立ち止まる

 除夜の鐘を聴かなくなったのはいつ頃からだろうか、歳をとるとともに寝る時間が早くなり、大晦日といえども12時まで起きていられなくなった。大晦日といえば紅白歌合戦に引き続いて、京都のお寺で撞く除夜の鐘をテレビの中継で聴いていた。その途中に、年越しそばを食べてから風呂に入っていると、数百メーター離れたお寺で撞く鐘の音が聴こえてきたのは今や昔だ。

 最近、時を告げる鐘の音を聴くのは、区の防災無線が夕方、子供たちに帰宅を促すために流す夕焼け小焼けのメロディーだけのような気がする。そういえば、散歩の途中で小学校から聴こえてくる始業終業のチャイムも、鐘の音と言えるかもしれない。そもそも鐘の音で時刻を知れせるようになったのは、15〜16世紀にヨーロッパの教会や市庁舎等に機械式時計の塔が建てからだと言われている。日本でも江戸時代には、お城やお寺などの鐘が人々に時刻を知らせていたのだから、洋の東西を問わず時刻と鐘との関係は深い。

 学校の教室や仕事場の壁に時計が掛けられるようになり、人々が腕時計を持つようになると、鐘の時刻を知らせるという役割は小さくなった。しかし今でも、大晦日には除夜の鐘の音は欠かせないし、授業の終わりにはチャイムが鳴ってこそけじめがつくというものだ。このように思うのは、鐘の音に人の心に響く何かがあるからだろう。更に、鐘の音には、時間に追われる毎日を送っている現代人に、区切りをつけさせて、自分を見つめ直す機会を与える力があるのかも知れない。そう考えると、鐘の持つ時刻を知らせる役割は未だ大きいようにも思える。

 このような思いは、デジタルネイティブと言われる若い人も抱くのだろうか。それとも、夜明けと日暮れに鐘の音を聴いた経験があり、文字盤を回る針の位置で時刻を認識してきたアナログ世代だけが持つ感覚だろうか。画面左上に時間が表示され、それが分刻みで変わるスマホを手放せない若者たちにこそ、鐘の音を聴いて心を休めて欲しいと思うのだが。

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