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手習は 始める歳を 選ばない

マンハッタンの摩天楼

 4月から某大学の社会人講座の科目「基礎からのエッセイ教室」に通い始めた。3年前に始めた「老境自在」は、「エッセイもどき」だと思っている。この「もどき」をなんとか取り除き、たいと思い受講することのした。

 毎回、講師が出す課題に従い、600字のエッセイを書く。講師がそれに赤ペンを入れて返してくれる。最初の課題は、「節目」である。
 さて、自分にとっての「節目」は、いつで、なんだったのだろうか。講師は、「節目とは、人生の中で幾度か訪れる転機の内で最もインパクトの大きなものを指し、2つはない」と言っていた。節目として思い浮かぶ出来事はたくさんあるが、1つ選ぶのは難しい。悩んだ挙句に書いたのが次の文である。

 節目
                  藤瀬学
 アパートの窓からマンハッタンの摩天楼が見
えている。
 「会社に入った30年前には、海外で仕事を
することになるとは思ってもいなかったな。」
 入社して間も無く日本を襲った、ニックソン
ショックと2回のオイルショックによって、多
くの日本企業は構造変革を迫られた。勤めてい
た会社は、国際競争力の強化を図らざるを得な
くなった。そこに働く従業員は、外国人と接す
る機会が増え、英語の能力が求められた。
 英語が苦手だったので、30歳を前にして、
英会話教室に通ったり、商業英語の通信教育を
受けたりと、難行を強いられた。海外の取引相
手となんとかコミュニケーションが取れるよう
になり、人並みに仕事を続けることができた。
 「1ドル360円だったニクソンショックの
前なら、うちのような会社の駐在員が、家賃の
高いマンハッタンのアパートには住めなかっ
たよな。」
 「日本が、あの時の3つのショックに上手く
対応できたので、今や1ドル120円と円の価
値は3倍になった。おかげで、こんなアパート
に住めるってわけだ。」
 「3つのショックがなければ、俺も英語を勉
強し直し、海外で仕事をすることはなかっただ
ろう。だとすると、3つのショックは、日本ば
かりでなく、俺にとっても節目ってことだ。」
 摩天楼を眺めながら、しばし想いに耽った。

 講師の赤ペンは如何に。まさか花丸ってことはないだろうな。

(2024.04.12)

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