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赤に黄 車の色に 映る夢

 今話題の映画ドライブ・マイカーを近所のシネコンで観た。コロナウイルスの感染拡大の影響もあってシネコンに足を運んだのは3年振りであった。平日の午後にもかかわらず、高齢者を中心に座席は6割程度埋まっていた。

 映画の内容を評するような能力はないが、3時間の上映時間を長いと感じることはなかった。映画の中で重要な役割を担う車、“マイカー”はスエーデンの名車saabである。赤いsaabが冒頭に登場した時に、黄色なら良かったのにと思った。昔しアメリカに出張した際に黄色のsaabに乗ったことがあり、saabの色は黄色と脳に刻み込まれていたからなのだろう。映画を観た後で、村上春樹の原作では“マイカー”は黄色のsaabなのを知り、そうだろうと1人納得した。

 アメリカの片田舎の工場を訪れた際、空港と工場の間を若いエンジニアが送り迎えしてくれた。その米国人が乗せてくれた車が黄色のsaabだった。1990年代初頭で、米国の自動車市場での日本車のステータスが上がっている時期だったからか、工場に向かう途中で「saabの前には日本車に乗っていた」と言ったことが印象に残っている。
 車と色に関してもう1つ鮮明に記憶に残っていることがあ。1960年代後半の会社に入りたての頃、同期入社の男が真っ赤なホンダS600の中古に乗って独身寮に帰ってきた。突然の真っ赤なスポーツカーの登場に驚いた仲間達が、寮から一斉に飛び出してきた。

 我々の世代は、日本の自動車産業と同じ軌跡を歩いてきたたと言えないこともない。我々が大学を出た1970年代初めは自動車産業の勃興期に当たり、結婚、子育ての時期にはマイカーブームが起こり自動車産業は基幹産業になって行った。50歳を越え人生の先が見えて来た2000年前後になると自動車の国内需要は低迷し、自動車産業はそれに応じて生産拠点を海外にシフトした。我々の中に免許証を返納しマイカーを手放す者が現れ始めたが、自動車産業の方は今後どうなっていくのだろうか。

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