もう1度声を聞けるとしたら、誰の声を聞きたい?
noteを読んでいると、色んな方の文章が読める。
勝手に読ませていただいております、皆様ありがとうございます。
note記事を読んで単純に楽しむ時もあれば、記事の内容をキッカケに自身の記憶が引っ張り出されることもある。
例えば誰かの”人”にまつわる思い出話に関する記事。
家族や友人、大切な人。
名前も知らない通り過ぎた人かもしれない。
さて。
私には、知りもしない間に会えなくなった友人がいる。
媒介を通してでなく、記憶の中の笑顔と合わせて声が聞けたらなぁ。
それがもう不可能だと知っているから、よけいに強く思ってしまう。
情報過多で毎秒毎秒、毎日毎日、音のない時を探す方が難しい。
それでもたまに与えられる静かな夜には、思いきり記憶に浸りたい。
忘れてしまいたい。
そう思う時もたくさんある。
誰かが「人は忘れようとすると忘れられないらしいよ。」と
言っていた。
デバイスを通して、記録が残る。
いつまでも記憶が薄れないように。
間違いがないように。
様々な理由で、人は記録を残す。
意図せず、記録に触れることで記憶の扉が開かれる。
すげー楽しそう。
すげー笑ってる。
もっと笑っていて欲しかった。
もっと作って欲しかった。
君の声が聞きたいよ。
もう1度声を聞けるなら、誰の声を聞きたいですか?
読んでくだり心から感謝します。 サポートいただけたら、今後の記事に役立てたいと考えております。 スキしてくだるのも、サポートもとても喜びます!!!!