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創るか、死ぬか。~『映画大好きポンポさん』を観てきましたという話~

 おはようございます。
 朝の四時過ぎにこれを書いています。
 Noteさんにも「お体に気をつけてくださいね」って怒られてしまいました。優しいNoteさん。一生ついて行く。

 眠れませんでした。本当に一睡もできなかった。

 それほど、この作品を観た衝撃と感動が大きかったのかも知れません。

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 昨日、『映画大好きポンポさん』という劇場アニメ作品を観に映画館へ行きました。

 この作品はpixivに投稿された漫画が原作なのですが、私はその原作が書籍化される前に偶然出会い、それ以来ずっと、私の人生の根幹を成していると言っても過言ではないほど、強く心に残っている作品です。

 原作第一巻のことに関しては以前書いたので、当該記事のリンクだけ貼ってここでは割愛させて頂きます。

 ともかく、アニメ化企画進行中、という言葉を期待し続け早4年ちょっと。

 去る2021年6月4日。満を持してこの映画は公開されました。

 ……あ、ヤバいなんかもう泣けてきた。

 遂に観れるよ。動いてるポンポさんとかジーン君とかが観れるよ。夢じゃなかろうか。いやもうこの際夢でもなんでもいい。
 私は今から夢を観に行くのだ。

 そんな並々ならぬ思いで、県内唯一の上映館へと向かうため、電車に揺られ、バスの路線すら整備されていない道を一時間かけて歩いた。
 
なんでバスねぇんだよ。
 てっきりあるもんだと思ってたよ。
 因みにもちろん帰りも徒歩だった。
 丁度駅に着いたときに一台のバスが出てくるのが見え、「何だよあるじゃん!」と思ってよくよく見たら夜行バスだった。やっぱり路線バスは無かった。そんなことあるんだ。



 映画『映画大好きポンポさん』の感想を端的に言うとすれば、それは間違いなく「最高だった」に尽きる。

 求めていた映像が、人物が、風景が、世界が、確かにスクリーンの向こう側で息づいていた。

 「あぁ、多分私はこの映画を観るために今まで生きてきたんだろうな」と本気で思った。まだ18年しか生きていないけど。

 ここから下は作品の内容に触れるため、まだ観ていなくてこれから観るつもりだという人は是非ともブラウザバックして今すぐ映画館に向かって欲しい。観ろ。
 原作を読んだことがあるという人も、だ。映画も観ろ。





 『ポンポさん』が映画化するに当たって、個人的にずっと気になっていたのは、「あの内容で映画作品として尺が持つのか?」ということだった。

 今回映画『ポンポさん』の原作となっている第一巻の内容は、さながら劇中で語られる長編映画の在り方のように、とにかく無駄な描写が一切無く、スピーディーに話が進んでいくものだった。
 それでいてしっかり展開に緩急があり、読後感はまるでシリーズ物の完結巻を読んだ後のようですらあるのだから、それはもう作者である杉谷先生の才能を恐ろしく感じてくるまである。

 それ故に、映画として作るには尺が足りないのではないか、という懸念があった。

 やがて最初の本予告が公開され、物語の内容がようやく部分的に明らかになったわけだが、そこには原作第一巻には存在しない台詞がいくつかあった。
 つまるところ、予想通りだった。

 「僕の映画には一つ、足りないシーンがあるんです」という、本予告を締めくくる、印象に残る台詞。これは原作に存在しなかったものだ。

 この台詞を聞いたとき、私は思った。

「多分部分的に二巻の要素も混ぜてくるんだろうな、これは」と。

 原作第二巻で主に描かれるのは、映画制作という狂気の世界に飲み込まれた者達の暴走だ。
 とくに主人公の一人、ジーン・フィニはその様子が一巻以上に顕著に表れ、映画を創るということに対する執念の深さを遺憾なく発揮し、あらゆる人々に迷惑をかけていくこととなる。

 本予告の最後に流れたジーンの台詞は、まさにそんな執念を感じさせるものだった。だから、二巻の内容にも少し触れて尺を伸ばす感じかなーなどと考えていた記憶がある。


 そこに突如として現れたのが公開直前PVだ。

 なんと映画版オリジナルキャラがいるというではないか。

 聞いてないよそんなの。展開の予想がめちゃくちゃ難しくなっちゃった。
 でもまぁ見た感じ、多分このアランって人がジーンと旧知の仲みたいだしなんか仕事に嫌気差してるみたいだし、この人がジーンと再会してそれをきっかけに映画業界に足を踏み入れていくかんじなのかな~とか、楽しく考えを巡らせていた。


 さて、そうして迎えた昨日。

 肝心の内容はと言えば、そう来たか!と膝を打ちたくなる展開の連続だった。

 この映画、部分部分で新たなシーンを入れつつまた要所要所で新キャラのアランが登場しつつも、かなりのスピードで原作の内容の大部分を終わらせ、体感では上映時間の半分くらいで撮影のクランクアップまでが終わってしまった。
 原作ではここまで来れば残り数ページと言ったところ。終盤も終盤だ。

 しかし、この作品はここからが本番だった。

 原作ではわずか2ページ程度で終わっていた編集の描写。そこに数多の解釈を混ぜ込み、全く新しく、新鮮で、それでいてこの作品の本質とも言えるような内容をぶち込んできた。

 撮影という過程を経てジーンがぶつかった、シーンの切り捨てという壁。
 72時間分の映像、そのどれもが撮影時の思い出の一つ一つであることに変わりは無く、けれど、映画という一つの作品を作るためには切り捨てなければならない。

 それはきっと、監督として作品に携わらなければ存在を認識することすら叶わなかった壁。

 その壁を乗り越える為に、ジーンはペーターゼンに助言を求め、そして映画というものが誰のためにあるのかを説かれる。

 やがてジーンは、映画『MEISTER』の主人公であるダルベールと自分を重ね始める。
 ダルベールが音楽のために全てを捨てたのと同じく、自分も映画以外の全てをこれまで捨ててきたのだと。

 そうして重ね合わせ続けたその先にある救済を求めて――ジーンの手は止まる。

 ここで、例の台詞が飛び出した。

「僕の映画には一つ、足りないシーンがあるんです」

 そう言いながら、ポンポさんに頭を下げるシーン。

 その光景はやはり、原作第二巻を彷彿とさせた。

 しかし、作っている映画はあくまでも『MEISTER』。だからこその原作との齟齬が、話に深みを持たせていく。

 ジーンのわがままにより決定した追加撮影。予定していた試写会に間に合わず、契約違反を理由にスポンサーも下り始める始末。
 このままではどうにもならない……と、先行きも曇り始める。

 何せ、ここから先は原作シリーズの読者すら知らない展開だ。

 一体どうなってしまうのだろう、という緊張感はこちらにもダイレクトに伝わってくる。

 そんな中、遂に動き出した男がいた。

 アニメ版オリジナルキャラクター、アランである。

 夢を見失った、張りぼての”成功者”。
 そんな彼が、夢を追いかけて我が道を邁進していくジーンの姿を見て、『MEISTER』の成功に協力したいと考えるようになっていく。

 人の夢が、人の夢へと繋がっていく。

 人の夢が、人を動かしていく。

 そうして決行したアランのプレゼン、それを観て、ようやく私は理解した。

 この映画は、ただ映画を創る過程を描いた作品なんかじゃない。

 たった一つの夢を追うために、全てを失う覚悟。

 たった一つの夢を掴む為に、何かを捨てる覚悟。

 その残酷な覚悟を決めてまでも叶えたい夢。


 そんな泥臭くも美しい、人の夢を描いた作品なのだと。


 最高の映画を観たいという夢。
 ある人に最高の映画を届けたいという夢。
 最高の舞台で輝きたいという夢。
 そして、誰かの夢を叶えたいという夢。

 人々の夢が重なり合って、遂に『MEISTER』は完成し――



 エンドロールが流れ終わったとき、私は感じていた。


あぁ、多分私はこの映画を観るために今まで生きてきたんだろうな、と。


 それと共に、こうしちゃいられない、というはやる気持ちが胸の内に渦巻いていた。
 何か私も作らなければならない。怠けている場合なんかじゃない。
 私が抱いている夢を実現する為に、しなければならない努力は何だ。

 そんなことを考えている内に、気がつけば私は帰路を走り出していた。

 この感情をなんと呼ぶのか私自身にも分からないが、とにかく動かなければならないような気がしていた。


 ……おかげで、帰りは行きの半分の時間で駅までたどり着いた。



 万一まだ観ていない人がうっかりここまで読んでしまったときのためにそこまで詳細な内容は書かないでいるが、とにかく全てに満足していた。

 アニメのオリジナルキャラクターという、見る人が見れば不安要素でしかない要素も上手く作品内の世界観に落とし込み、一切の破綻を見せないどころか、作品の魅力が倍増する立ち回りの役として大活躍してくれた。

 キャストに関してもそうだ。

 実際、キャストが発表された段階で「何故本業の声優を主役に起用しないのか」といった不満が散見されており、私もそういった意見に多少は同調していたが、実際に観てみれば最後まで声に違和感を抱くことは無かった。

 特にジーン役の清水さんの演技力は凄まじく、どう考えても声優初挑戦のクオリティではなかった。終盤においては創作者としての葛藤が言葉の節々から感じられ、挿入歌や特殊効果と相まって大迫力のシーンとなっていた。最後の編集シーンは本当にアニメ映画史に残るべきだと思う。本当に。


 また、挿入歌そのものも流石は神椿レコードと言ったところ(ファンです)。劇中に二回挿入歌が流れるシーンがあるわけだが、二つともこの作品を象徴する大事なシーンで有り、EMAさんと花譜さんの透き通った歌声は決してシーンそのものを邪魔すること無く、その歌詞と共に作品を盛り上げてくれていた。


 さらに観ていて度肝を抜かれたのは、劇中に何度も登場する変則的なカットの数々だ。
 時間の経過や場面の転換をまるでシームレスのように、シンプルに、かつスピーディにめまぐるしく行なっていくことで、少しの息くをつく暇も無く物語が進んでいく。
 観ていて全く飽きることは無かったし、観客を楽しませることにただ全力を注いだと言わんばかりの遊び心溢れる演出の数々に、私も観ていて楽しむことが出来た。



 何よりこの映画、上映時間が90分+エンドロールである。



 この意味が分からない人は今すぐ原作を読もう。
 読んだか?
 じゃあ映画館に行こう。



 好きだった点を書き出そうとすればキリが無くなるほど素晴らしい作品だった。本当に観て良かった。そう思えた。
 まぁ来週は追加特典貰うために二回目観に行くんですけど。

 また往復二時間歩くんですけど。


 あぁ、そうそう、でも一つだけ。
 昨日、この作品を見に行った事で一つ、本当に嬉しくなったことが一つだけあった。




 それは、エンドロールが終わるまで、同じシアターにいた観客が誰一人として席を立たなかった事だ。

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