「Inverted Angel」リプレイローグ:『Why couldn`t you just make me believe!』

(*二次創作ともレビューとも言えない、ADV「Inverted Angel」に対する「リプレイローグ」です。なので、クリアしてない方は、ネタバレを避けるためにまずプレイしてから読むことをおススメします。ちなみに、この形式は押井守の『注文の多い傭兵たち』から取って来たもので、面白いからそっちらを読んでも良いと思います。)

足音もなく誰かが歩いている気がした
もしストーカーなら、気づかれないように
残業帰りなら、家族を起こさないように
あるいは銀の靴を履いているなら、思いがけず踵を3回を鳴らさないように
足音を”消している”のだろう
もし歩くのが難しい人なら、車椅子に乗っているから
幽霊なら足がないから
あるいは天使なら、羽根があるから
足音が”鳴らない”のだろう
そういえば、嘘をつくことができない媒体はそもそもいかなる真実も伝えることはできないと言ったのはエーコだったか――

……いつの間にか眠っていたみたいだ。いや、私はそうするようと決めていた。眠よう、と思った訳ではない。何かが背後から囁いていたのだ。月が浮かぶまで眠って起きよう、と。外では乱暴にインターフォンが鳴っている。そうだ、早くインターフォンに出なくちゃ。

インターフォンの画面越しにあるのは、ある女性だった。彼女の存在を私は直感した。

それは「幻」だろうと。「幻」?どんな「幻」だ。それはあまりにも範囲が広すぎる。インターフォンが間違えた映像を流していても「幻」であり、貞子のような幽霊でも「幻」である。私は暫定的にそれを決定しなければならない。

『幻覚を見ている』。

囁き。また囁きだ。けれども、何故かその囁きは「眠って起きよう」とは別の方向から聞こえた気がする。背後というより、上からだと言うか。まぁ、それはともかく。確かに、自分はそのつもりで「幻」と思い込んだ訳ではないが、そう考えてみれば筋が通っている。

こんな時間にあんな子と絡まれる理由なんて私には何一つもないのだ。一人暮らしが寂しすぎて、幻覚が見え始めてしまったのだろうか。

……そうだとしたら、自分もいよいよ終わりかもしれない。

私は自分の仮説を検証するために彼女と会話を試した。

まずは、乱暴な状態の彼女を安心させるために自分は例のアレに感染したとメッセージを送っておこう。そうすると、彼女はそれを信じたようだ。そのまま会話を続ける――

彼女は私が帰ることを知っていて、早口で監視したい訳ではなくただただ傍にいたかったという趣旨の話を続ける。

何故か、聞き覚えがある。それはますます自分の確信を固めるのであった。ああ、これは『幻覚を見ている』のだ。私が知っている内容だけを喋っている相手。それはもう他者ではなく、自分が作り出した『幻覚』に過ぎない。

風桶町にミニブタと羊毛ドラゴン飼ってるクレープ屋さん。確かに自分はバイト先で教えてもらった。『本当に自分の見ている幻覚なら、自分のことを何でも知っていても不思議ではない』。

そして私――正確には私の中の私たち――は聞きなれた話を、また聞かされる。美容の話、大学授業の話、ネズミ捕りランドなどなどなど。私はまるで倦怠期にハマった中年夫婦よろしく、適当な相打ちをしながら彼女の言葉を聞き流す。

何か、不思議だ。

倦怠期の会話の例えると、相手が「いつ終わるのか」と時間が流れることが通常より遅く感じるはずだろう。だが、いまの私はまるで発砲された弾丸のように、それとも新幹線の中から見る風景のように、何もかもが早く流れる感じがする。

『さっき見た夢について聞く』ことでもしてみるか。

「ねえ、エーコって何か分る?」
「エコ?環境の話?病気に掛ったのは君の不注意もあるだろうけど環境の問題もあるからね。特に冬に気温が上がったことによって感染病が移り易くなったの。元であれば死ぬはずのホストがそのまま生き延び、感染が続くからね。君が掛かっているウイルスにもそんな疑いがあるよ。本当に許せないよね。でも誰にも責任を問うことが出来ないから、私にもあまり出来ることがなく君を助けることが出来ないの。それはあまりにも寂しいことだからせめて慰めるようにしたくて、こうやって家の前で君と話しているけれども、それだけでは足りないよね、ね?もっと近くで一緒にいた方が君にも良いと思うよ。そうだと良い環境になる、まさにエコだね!」

その独特な早口はまた一方通行のロマンチシズムに走っているようだ。

「いや、待って。エコじゃなくて、エーコ。君が来る直前に夢で見たんだ」
「ああ。多分、本屋でミステリー小説でも見たのかな。記憶に浅く残っていて、夢で出ることも良くあることだからね」

まさに幻覚の君のように、な、という笑えないジョークは抑えておこう。

「キャラクターの名前なのか?」
「ううん、何年か前に亡くなっちゃった、イタリアの小説家。だけど、彼の本業は記号学の研究なの。日本では『記号論』や『物語における読者』などが有名かな。まぁ、大学生なら『論文作法』も役に立つから目を通した方が良いかもね」
「なんか色々していた人だね。寧ろそれを聞いてよく分からなくなったよ。何かつかめ処というか、ここが重要だというか、ちょっと糸口が欲しい」
「彼の表現を借りると君には『シナリオ』が必要な訳だね」
「シナリオ?」
「先、君はエーコがキャラクターなのと聞いたじゃない?」
「そうだね」
「彼の表現を借りると、それは『シナリオ』を確認する行為なの。私たちはエーコが人の名前だというのはお互いに知っている。だけど、君は『ミステリー小説でも見たのかな』という私の話を聞いて、エーコとミステリー小説の間に何かの関係があり、『エーコはミステリー小説の登場人物だ』というシナリオを介入させたの。そうすることで、私が言った『ミステリー小説でも見た』という表現に『ミステリー小説をざっくり立ち読みした』という意味を与えたのよ。私が言っていたのは『ミステリー小説の表紙や背をちらっと見た』という意味だったけど。つまり、『見た』が持つ数多くの意味に輪郭を与えるのはシナリオによるものってこと。私がシナリオ概念を出すことで、数多くの側面を持つウンベルト・エーコという人物に輪郭を与えたようにね。君の場合のように、間違ったシナリオを介入させることも起きるけどね」

意味の輪郭――どこかで、聞いたような…… 

『ごめん、ちょっと』
「どうしたの?」
『申し訳ないんだけど、やっぱり買い物して来てもらってもいいかな?』

何故私が夢の話からいきなり彼女に買い物を頼んだのか、私にもよく分らない。まるで後ろで誰かに指示されたように、もしくは記憶による反射的な行動のように、そう頼んでいた。

やはり、幻を見ているのだ。そうでなくては、この違和感を説明することは出来ない。いや、意味づけることは出来ない、というのが正しいだろうか。

『一人暮らしが寂しすぎて、幻覚が見え始めてしまったのだろうか。でも、そうだとしたら自分がやるべきことは彼女との会話ではなく、病院か除霊かもしれない……いずれにしても、今の時点では真相に辿り付けない気がする』

『現在、この因果律には続きがありません』

何故だ。

一体何故なんだ。何かが可笑しい。自分の幻覚という囁きが、何故それを今更否定するのだろうか。そういえば、私は「幻」だと思っていたのに、その囁きによって勝手に自分の幻覚だと意味づけられ、私はそれを受動的に受け入れた。それが間違ったのではないのか。私は、彼女が言った通り、「幻」という表現に適切な「シナリオ」を与えるべきではないだろうか。

そもそも、何故私はここまで強く「幻」であることに拘っているのだろう。落ち着いて考えてみよ。何度も同じ会話を聞いたようなデジャヴュ。方向を分からない囁き。それに「幻」である『べき』だともいう義務感。

私は部屋を見回してみる。床にはヘアゴムがあり、壁には昨年のカレンダーが、そしてデスクには――誰かを拘束するための椅子と意味が分からない原稿紙と封筒、そしてアイスピックがいる。これも幻なんだろうか。それとも――そうか。そうだったのか。

私は、やっと気づいた。私にはやるべきことがある。私には守るべき誓いがあるのだ。


足音を鳴らないように、玄関に近づく。そして、携帯を出してゆっくりとメッセージを打ち込む。

――ごめん、もうちょっとお願いがあるけど

右手で送信ボタンを押す同時に――私は玄関のロックを解除し、肩でドアに突き飛ばす。ドアは半分しか開けず、女性の悲鳴が上がった。すぐそばに、インターフォン越えしで見た彼女が転がっている。彼女は最初から買い物するつもりなど無かったのだ。

そして、彼女の手には鋭い包丁が強く握られている。彼女は怒りを示すような表情を浮かべたが、それも一瞬、寧ろ訳が分からない恐怖に囚われたようだ。

「何、その恰好……」
「お前には関係ない」

私は封筒で作ったマスクの中でそう呟いた。彼女は呆れた表情を浮かびながらも、隙間を見逃さないように包丁を持って一直線に走ってくる。見事な走りっぷりだ。それは認めよ。しかし、

金属と金属がぶっつかる、透明な音がした。

右腕から痛みは感じるが出血はない。太いカレンダーの下にヘアゴムで固定されたアイスピックが包丁から刺されないような役割をしたのだ。そのまま私は彼女の腹を蹴る。

「私は夜!」

そのまま床に倒れた彼女の右手を、私は脚で強く封じる。彼女の悲鳴が夜の街に響き、包丁は彼女の手から離れた。何度も聞いた音で、何度も慣れない音。

「私は復讐!」

私は彼女が反抗できないように、その体の上に乗り、左手でアイスピックを引き抜いて彼女の鎖骨の下に向ける。これで刺されて即死することはないだろうが、それが正に私の狙いである。

「私はバットマンだ!」

彼女はそんな私を見て――笑い始めた。私がアイスピックの五分の一を刺すと、彼女の笑顔も消えた。

「いいか、今から俺の質問にだけ答えろ。そうでないともっと痛い目にあうぞ。この幻を見せたのは君なのか?」
「そうか、それが君が選んだ『シナリオ』なんだね」

私はアイスピックをもっと深く刺す。彼女が死なない限り、最大に慎重に。

「先の会話から推測できる知的水準が高いのは確かだな。だが、ハレークインならこんなややこしい真似はしない。細胞の話の態とそらしたのは、ポイズンアイビーと関係があるのか?」
「どうせなら、ジョーン・コンスタンティンの方が良かったよな。だったら、私も天使になれたかも知れないのに」

アイスピック五分の三まで彼女の体に入っている。これ以上は流石に致命傷に繋がる。

「今回が最後の機会だ。君は誰だ、この幻を見せて何を企んでいる」
「ああ、映画みたいな恋がしたかった。それだけなのに。思い通りにはならないよね」

答える気がないか、それとも彼女も幻の被害者なのか、それは分からない。私はそのまま右手で彼女の顎を殴り、気絶させる。私は彼女を腕を後ろにして玄関の前でヘアゴムで結束する。ゴッサムの夜はやけに長く、コウモリが眠ることはないだろう。

――逃げないで、君は怖くて混乱しているだけ。

何処かで聞いたような言葉が、彼女の声で聞こえて気がする。振り向かっても彼女は気絶しているままだ。

――私なら助けられるよ。

私は、その幻聴に振り向くことなく偽物の家を離れた。


――次のニュースです。浮月橋に正体不明の自警団が現れて三カ月が立ちました。浮月橋の犯罪率が劇的に下がったことで、市民の中では彼を支持する声もありますが、警察関係者は「私的制裁は依然とした犯罪であり、既に模倣犯の出現も見られる。彼は必ず逮捕するべき」だと答えました。さらに、浮月橋に新手の詐欺行為が広まった時期も彼が現れた時期と一致するため、関係性を疑う声も……

End 「Japanese long halloween」

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