蒸機公演アフター「蒸機都市の日常」
「イブキさんはそのままで綺麗ですよ」
涼しい顔でそんなことを言うものだから、アタシは思わず目の前の蒸留スープを思い切りかき込んでしまい、その熱さに悶絶した。
蒸気都市の日常Ⅲ
「第一話:ラストスタンド・ソルジャーの日常」
アタシはイブキ。
栄えある都市管理機構のソルジャーだ。
例の「騒動」からいくらかの時間がたって、蒸気都市の住民たちはすっかり元の日常を取り戻していた。
それは、ダクトから解き放たれた蒸気の如く、無軌道な不良市民たちが、次から次へと大小多様な問題を引き起こし、管理機構がその対応に追われる……そんな日々が帰ってきたことを意味する。
ところが、管理機構は、騒動によって多くのエンフォーサーや戦闘兵器を失っていたため、早晩、手が回らなくなるのは目に見えていた。
レジスタンスだって状況は同じだ。
連中も、一部市民の度を過ぎた暴走はできるだけ抑止したいが、多くの戦士が傷つき、人手不足の折にある。
管理機構とレジスタンス。
蒸気機関の歯車のようにそれぞれの思惑がかみ合った結果、密かにそれぞれのトップである、ユカ様とナオの直接会談が実現(これは最高機密だから絶対に誰にも言えないけど、実は例の騒動がきっかけで、個人レベルではふたりは良好な関係を築いている。最高機密だから絶対に誰にも言えないけど)し、ある計画が立ち上がった。
計画名「ラストスタンド・ソルジャー」
互いの組織から少数精鋭で兵士を選出し、これらを組ませることで、管理機構にもレジスタンスにも属さない、第三の砦(ラストスタンド)として治安維持に特化した組織を立ち上げるというものだ。
表向き、この組織は自然発生した無法者の一派、という扱いで、実際に、設立後は両組織とも直接運営に干渉することはしない、中立の立場だ。
これによって身軽に、柔軟に、公平に、蒸気都市の均衡を守ってゆく、そんな活躍を期待された。
少なくとも、管理機構、そしてレジスタンスの兵力が回復するまでの間は……という期限付きだけどね。
そんな栄えある新組織に、都市管理機構側の精鋭として、首席蒸貴官ユカ様から直々に選出されたのが、このアタシ、イブキなのだ。
アハハ……。なんてね。
白状しよう。
アタシは、今もまだ一人前ですらない、新米ソルジャーなんだ。
それでも随分マシになったほうで、あの人……シノブ先輩……アタシの恩人と出会うまでは戦士でさえない、ただの落ちこぼれだった。
だから、ユカ様が新組織にアタシを選んでくれたのだって、本当は「アタシを助けるため」だったって、アタシは知ってる。
アタシが地上の「真実」を知ってしまって……次席蒸貴官様を始めとする蒸貴官(スチーム・クラート)の方々からものすごく危険視されて、それで一時は軟禁されて、あとは思想燻蒸――それも記憶を全部まっさらにするくらいキョーレツなやつ――を待つだけっていう状況だった。
だから、中立の治安維持組織、という行き場所がもしなかったら、今頃、「このアタシ」はもう都市のどこにもいなかったかもしれない。
どうして、我らが蒸気都市の中枢であり、歴代最高と名高いスチームプライムのユカ様が、言ってはなんだけど、ただの一兵士に過ぎないアタシにそこまでしてくれたのかは、いまだに分からない。
アタシが、シノブ先輩の教え子だって言うのが関係しているみたいだけど……いつか、ちゃんと聞いてみたいって思ってる。
えーと……それで、レジスタンス側の代表が、目の前にいるこのちっこいの……モリクボなのだ。
実は、アタシたちは、新組織で組むよりずっと前に出会ってる。
因縁の相手と言ってもいい。
例の「騒動」の中でアタシ達は敵同士だった。
アタシは、モリクボの恩人の仇で、
モリクボは、アタシの恩人の仇。
そして、戦い続けるうちに地上へ出て……この世界の真実を共有する同志にもなった。
小柄だし、物静かだし、どこか頼りなく見えてしまうけど、「騒動」の激戦を最前線でくぐり抜けて、終戦まで一度も被弾がなかった、ある意味で戦闘の……特に回避の天才みたいなやつだ。
それに、「ツインリボルバー」とかいうスゴウデ銃士達の弟子だったから、
こう見えて拳よりも速く引き金を引く。
早撃ちではアタシは永遠にかなわないだろう。
こいつなら背中を預けられると心から信頼できる、とても頼りになる相棒だ。
それで最初に話が戻るけど、仕事終わりに蒸気都市の下層のさらに下、クズ鉄エリアにある蒸留亭って酒場で、いつものように一杯やってたんだ。
都市に満ちる蒸気の潤いだけでは追いつかないくらい、喉が渇いてた。
なぜなら今日は、違法改造したスチボー……都市に充満する蒸気を利用して浮遊・推進する移動装置・スチームボード……を使って、都市の周りを縦横無尽に飛び回っていた「波乗り」連中を、鎮圧していたからだ。
レース対決でアタシ達が勝ったら当分大人しくするように、って約束を取り付けて、見事勝利したんだ。
へへっ、スチボーの扱いだけは、子供の頃から得意で、自信があったからね。
ただ夢中になって体力を使いすぎたみたいだ。
それで、ぐいぐいっと蒸留酒……この飲み物の正体は、都市蒸気を集めて、濾過して、圧縮して、液体化した「飲む蒸気」らしい……をあおっていると、モリクボがこっちをじっと見つめているのに気付いたんだ。
「どした? アタシの顔になんかついてる?」
「イブキさんは……」
モリクボは、両手で大きなカップを持って、その中の液体をちびちびと口にしながら、ぽつりぽつりと言葉を発する。
「その……ほっぺたのキズ……。消えないん、ですか?」
「ん? あー……そっか」
アタシのカオの左側には、縦に伸びる、けっこう目立つキズがある。
そう……そうだね。もう、いいのかもしれない。
「もちろん消えるよ。そうだね、『直す』よ。今夜直しに行ってくる。
知り合いの衛生兵に、腕利きがいるんだ」
こんなキズ、人工皮膚に張り替えるだけ、シズクなら5分で終わる処置だろう。
少し奮発して、蒸気擬肌を植え付けるのもアリだし。
「え、あの……。何か理由があったから、残してたんじゃ……」
モリクボはとまどったように、歯切れ悪く、言葉を重ねる。
ずっと意味ありげにほったらかしにしていたものだから、かえって気を遣わせてしまったかな。
アタシは首を振った。
「理由はあったけど、もう無いような気がしてる。
いや、直す意味ができたんだ。だから、いい」
「そう……ですか……」
小さくうなずいたけど、その目は全然納得していない。
引き下がったかと思いきや、すぐに身を乗り出して。
「それ、あのとき、私がつけたキズですよね」
「そうだよ」
やっぱり、気にしてたか。
あの時……。
「騒動」の最中、モリクボの恩人達と、アタシのシノブ先輩が倒れて、それでアタシとモリクボは、確かに一度、殺し合ったのだ。
モリクボのあの時の心情は知らないから、もしかしたら、そこまでの憎しみを抱いていたのはアタシだけかもしれないけれど、でも、このキズ。
銃弾の射線が、あとほんの少しズレていたら、アタシの命は無かったかもしれない、それは確かだ。
「あのさ、モリクボ」
「は、はい……」
「気付いてるかもしれないけど、
このキズ、確かに、あるヤツを責めるためのものだよ」
「……っ。は……は、ぃ……」
覚悟を決めたように、ぎゅっとこぶしを握りしめるモリクボ。
違うよ。アンタじゃない。
「アタシがこのキズを残してたのはね。
アタシ自身を責めるためなんだ」
「……え」
「あの時弱かったアタシ。もう一人前だって気持ちばっかりいきがって、
先輩に守られて、そのせいで先輩は倒れて……
このキズは、そんな弱いアタシを忘れないために、
強くなろうって決意を持ち続けるために、直さなかったんだ」
「そ……そう、なんですか……そう、でしたか」
「うん。だからアンタにあてつけるために残してたわけじゃないんだ。
ごめんね。アタシの感傷で、変に気、遣わせちゃってさ」
「いえ……モリクボは……」
「てことだから、心機一転、パーッと綺麗な顔になってこよっと!」
「で、でも、そう……だったら、つまり……そういうこと……?
あ、あの、イブキさん……っ!」
途中からアタシの話を聞いていなかったみたいで、
ぽつぽつと呟いていたモリクボが、急に身を乗り出してきた。
いつもは伏し目がちの大きな瞳が、真っ直ぐに、アタシを見つめている。
「え。な、なになに?」
「なら、どうして? 思い出を、決意を持ち続けるためのものなら、
どうして消しちゃうんですか?」
「……」
「そう、なんですね……
イブキさんこそ、……私のことを気遣った……んです。
モリクボが、勝手に気に病んだから……
だから、消すつもりがなかったキズを……
先輩への思いや、たいせつな、決意を、消してくれようとしてて……」
アタシはつくづく、隠し事できないのかもしれない。
シノブ先輩も、いつもそう言ってたね。
「……うん。はんぶん、正解だよ。
少し前のアタシなら、ぜんぶ……だったかもだけど。今ははんぶん」
「え……?」
「ほんとは、うん、消したくない。
これは、正直な気持ち。
でもその理由は、ちょっと違うんだ。
最初は確かに、このキズには後悔と決意が刻み込まれてるって思ってた。
だけど、先輩も、決意も、今はもう、このキズじゃなくて、
アタシの心にちゃんといる。
だから、今、このキズを残しておきたい一番の理由は、
これが、アタシとアンタの始まりだから」
モリクボは言葉を発せず、じっとアタシを見つめている。
「不思議な縁だよね。
一度は命を奪い合ったアンタと、あの地上に出て、
支え合ってまたこの街に帰ってきて……
そして、また縁があって今、この蒸気都市で一緒に働いて、生きてる。
その毎日が、これがまた楽しくてさ。
相棒が、モリクボ、アンタでよかったーって、いつも思ってるんだ。
だからね」
自分の頬のキズ跡に触れる。
「今はこのキズ、気に入ってるんだ。
ひとからは、みっともないって言われるかもしれないけどさ。
もし、アンタが気にならないなら、このままで……」
アタシの素直な気持ちだ。
モリクボは、こく、こくと何度も小さくうなずいて、
「そのままでいてください」
そう言ってくれた。
「モリクボは、地味で、弱気で、ダメな子で……。
誰かに必要とされたことなんて、なくて……。」
ゆっくりと言葉を重ねていく。
「それでも、生きていくためにお仕事が必要で……
どうせ、お仕事をしなくちゃならないなら、
何か……何かあるといいなって……。
レジスタンスで、モリクボなりに頑張りました……
でも、けっきょくいつも、助けられてばかりだった。
モリクボは、守られてばかり……でした。
だから、こうやって……誰かに、あ、相棒として……
必要とされるのって、初めてなんですけど……」
一度言葉を切って、絞り出すようにまた言葉を繋げる。
「あ、あの……私もイブキさんと……
あ、相棒として、これからもずっと、お仕事したいと……!
おもい、ます…………」
「うん! ……へへっ、何かてれくさいね。こう、あらたまってさ。
でも嬉しいよ。明日からも、一緒にこの街を駆け回ろう!」
「はい」
「うん。……ってことで、ジョッキの中身、片付けちゃおっか。
そろそろ出よ」
「はい」
と、テーブルの上にどんっ、と大きな皿が置かれた。
熱々の蒸留スープ。
そしてその横に立っているのはこの店の看板娘のひとり、カンナだ。
「何これ? 注文してないけど」
「私からのサービスですっ!」
「え、いいの?」
「よかよか。とってもラブな話を聞かせていただきましたので♪」
ラブって何だっけ?
管理機構の削除ワードにそんなのあった気がするけど。
まいっか。
「モリクボ、スープ飲む?」
「あ、いえ……モリクボは省エネなので……これでいっぱいいっぱい」
「だったね。じゃあまあ、これはアタシがいただいちゃおう」
やけどしないように、サービスのスープを飲み始めるアタシ。
本音で語り合って、テンション上がってたせいかもしれない。
つい、余計な軽口を叩いてしまったのが、後から考えれば間違いだったんだ。
「いやー、しかし、この傷痕を残す上でひとつ問題があるとすると、
妹が怒るんだよねー、きっと」
「そうなんですか……というか、妹さんがいるんですね」
「そうそう。アタシと違って優秀で、かわいい妹なんだけど……
お姉さんは家の恥とか、みっともないとか、論破するのが趣味みたいな子でね。
まあ大体正論だから仕方ないか」
「イブキさんはそのままで綺麗ですよ」
「へー、そっかなー」
「はい」
「そっかー。
このままで…………きっ?
きっ?!?!?!?!」」
アタシは動揺のあまり、思わず目の前の蒸留スープを思い切りかき込んでしまい、口、喉、食道、胃にまで到達した液体の猛烈な熱さに悶絶した。
幸いにも、モリクボは目の前の自分のカップをふーふーするのに集中していたようで、アタシの醜態には気付かなかったようだ。
……舌や喉がヒリヒリする。あーあ、確実に火傷した。
くっそぅ。
またこいつに、キズ増やされちゃったな。
「蒸機都市の日常:第三話:ラストスタンド・ソルジャーの日常」了
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