見出し画像

[JFK暗殺に思う]

アメリカ第35代大統領:ジョン・F・ケネディが
暗殺されたのは、1963年11月22日12時30分
(日本時間:23日2:30)でした。

この時、私はまだ小学校4年生でした。
当時はまだアメリカ国籍だったこともあり、その衝撃は
とても大きかった…これまでの人生で最もショッキングな
出来事のひとつです。
そして、その後、様々な資料や本によってこの事件が
実質的に「クーデター」だったことを知り、さらに
深い衝撃を受けたのです。

知らない方も多いでしょうが、ケネディ大統領は
1961年1月の就任後約3年の間の在職中に多くの敵を
作りました。
その主なものを挙げておきますと:

●テキサス石油業界との対立
当時、テキサスの石油業者は「優遇税制」によって
守られ莫大な利益を得ていた。
しかし、その特権をケネディは廃止すべく準備を
進めていた。その動きを政権内部から石油業界に
逐一伝えていたのは副大統領のジョンソンだった。
ジョンソンはテキサス出身であり、そもそもは
石油業界からの献金によってのし上がった利権
まみれの政治家だった。

●鉄鋼業界との対立
ケネディは鉄鋼の値上げを撤回させようと業界に
圧力を加え、業界が値上げを強行した後は、
政府からの鉄鋼の発注先を「値上げをしなかったメーカー」
に切り替えた。
それまでのアメリカの歴史で、鉄鋼業界に逆らった大統領
など皆無だった。

●公民権運動を支持
ケネディは黒人に選挙権を与える、いわゆる「公民権運動」を
支持し、保守的な白人達からの強い反発を招いた。
しかし、大統領は司法長官である弟のロバート・ケネディを
使い、当時拘束されていた運動の指導者の一人:キング牧師を
釈放させた。
このことは人種差別主義者を激怒させ「黒人のお友達:
ケネディを殺せ」と言う者も現れた。

●CIAとの対立
キューバ侵攻作戦(ピッグス湾事件)の失敗や、
ベトナムからの撤退政策を巡り、大統領はCIAや軍部と
激しく対立し、CIAの長官と副長官を更迭。さらに
CIAという組織そのものの解体まで考えていたと
言われている。
暗殺計画を実行したのは当時の西半球局長だった
ジェイク・エスターラインと、暗殺事件の現場だった
ダラスの支局長のウォルトン・ムーアだという説が
ある。もちろん彼らは単なる「現場の担当者」であり、
実際に指示を出したのはもっと上層部の人間である。

 ***********************

以上の他にもケネディはマフィアや亡命キューバ人
など、非常に危険な集団を敵に回していました。

このようにケネディを敵視する者は少なくなかったの
ですが、一般庶民からは愛され、そのまま行けば次の
大統領選(1964年11月)でも圧勝が予想されていました。
しかし、それは反対勢力からすれば「とんでもない事」
であり、絶対に阻止しなければならないことだったのです。

私は「クーデター」の首謀者は「特定の誰か」ではないと
思っています。上に挙げた「敵対勢力」のいくつかが
共謀し、綿密な作戦の上、実行したと考えています。
ある調査によるとアメリカ国民のうち、「オズワルド単独犯行説」
を信じる者は30%に過ぎず、60%以上が「何らかの陰謀があった」と
考えているという結果がありました。
私もそう思いますし、そのような集団は「ベトナム戦争」や
「湾岸戦争」「911同時多発テロ」「アフガン戦争」「イラク戦争」
とも共通していると思いますし、1976年の日本における
ロッキード事件で田中角栄を失脚させたのも、さらに、今回の
「バイオテロ」を起こしたのも基本的には同じ集団だと
思っています。

「何?エビデンスを出せ!」って?これは直感ですから、
何も感じない人にはわからないでしょうね。
別にわからなくてもかまいません。そういう人はテレビや
政府のいう事を信じて生きても何の問題もありませんから。
でも、私はイヤです。どんな場合も正義と真実を求めます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?