神戸を想う【25years】
25年前の1995年1月17日。阪神淡路大震災が発生した。
25年経った今、考えてみたいと思い、noteに書いてみる。
1995年1月17日
東京で生まれ育ってる私なので、直接被害にあってない。ただ、この日朝食を食べ終えて出勤の準備をしているところで、姉が「神戸で大きな地震があったって!」と叫んでた声は今でも覚えている。
その後、ニュースで見た神戸の状況に胸を痛めつつ出勤。
当時勤めていた会社の休憩室ではTVがつけっぱなしで映像を映し出されていた。
関西に在住していた友達がいたのが心配で、電話をかけて確認してみたり、はがきを出して返事を待っていたのだけど、無事の報告があるまで気が気でなかった。
この年の9月に友達と神戸に行ってきた。屋根にビニールシートがかけられてるのが多いのが衝撃的だったけど、少しずつ普段の生活を取り戻している感じもしていてホッとしたのを覚えている。
取り戻しつつある神戸
あれから何度か神戸に訪れている。
ある時はグリーンスタジアム神戸でイチロー選手のバッティングや守備に酔いしれたり、ある時には神戸にある教会の礼拝に出て、その後布引ハーブ園から街並みを眺めたり、またある時には佐野元春さんのライブ遠征で、復旧したホールでのライブを楽しんだり…。
最後に神戸に行ったのは10年くらい前。いろいろあって行くタイミングを逃してるけど、機会見つけて訪れたいと思い続けてる。
昨年は神戸より少し手前になるけど、野球観戦で阪神甲子園球場に行ってきた。
甲子園のラッキー7。
震災の時は甲子園球場もスタンドが壊れたりしてたなぁ。
こうして野球が出来ることに感謝しかない。
「一・一七 希望の灯り」
神戸の公園にある「一・一七 希望の灯り」。
初めてこの碑の前に立ったとき、なんとも言えない思いがこみ上げてきた。
一九九五年一月一七日午前五時四六分
阪神淡路大震災
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出
…たった一秒先が予知出来ない人間の限界…
震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ
震災が奪ったもの。
震災が残してくれたもの。
奪われたものは取り戻すのは難しい。
けど、残してくれたものを持ち続けるのも難しい。
25年前に起きた出来事を思い出すとき、残してくれたものが今どれだけ残ってるのかを思い出し、これからも残していくためにはどうしたらいいかを考えていきたいと思う。
「きざむ」に込められた思い
ここ数年、地震、台風、大雨など災害があちこちで起きている。
災害が起こるたびにいろいろと考えさせられる中、阪神淡路大震災での教訓を活かせることがあるというのを思い出される。
東京に住んでいて直接被害にあってない私ができることは、忘れないこと。
昨日東遊園地で行われた追悼行事では、ロウソクの灯りで「きざむ 1・17」をかたどられた。
「きざむ」という言葉にどういう思いが込められてるのか。
自分ごととして私も考えていきたい。
1999年のハーバーランド
この前、前に使っていた外付けのハードディスクをMacBookにつなげて、中身を見ていたら、懐かしい写真が出てきた。
1999年に訪れた神戸ハーバーランドの写真。
震災から4年でここまで明るさを取り戻してるのが驚きであり、ホッとしたのが今でも思い出す。
また訪れたいなぁ。(写真はブログの方にアップしますね)
ブログにも記事を書きました。神戸の写真も載せてます。
過去に書いた1月17日の記事はこちらから読めます。
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