MonsterZ Mateの声について本気出して考えてみた

    前に私はMonsterZ Mate(以下MZM)について文章に書くことが出来ないと思っていた。アンジョーさんの魅力をどう言葉にしていいかわからなかったし、アンジョーさんの事を書いた分量に対して、コーサカさんに対する分量が一定にならないと思っていたからだった。それだったら何も書かないでおこうと思った。けれど、今、アンジョーさんに対する言葉を見つけたような気がするので、言葉にしておこうと思う。

    アンジョーさんの歌声は、太陽のようだと思う。それは夏のギラギラした日差しのようでもあるし、春の暖かな陽だまりのようでもあるし、寒い冬に僅かな暖かさをくれる木漏れ日のようでもあるなとも思う。道しるべの光ではなくて、全体を光をくれる太陽だ。それでも彼の声を太陽だとするのならば、ひとつだけ矛盾が生じるように思えるのも事実だ。トロピカナツオーレ、Live your life、花咲ク未来ニ、これは完全に昼の太陽で、星空コンチェルトは夜明けの太陽。ではMonsterZ PARADEは?  あれは完全に夜の曲だった。黄昏時の夕陽ということでも、少し無理がある。では、太陽のような声が、あの深夜の曲にマッチしたのか。それは、陰と陽の関係なのではないか。どれだけ光が強くても、どうしても影ができてしまうように、どれだけ闇が濃くても、その中に光があるように。光が強ければ強いほど、影が濃くなるように。あの曲は影だと考えれば、アンジョーさんの声は太陽のようなのだと思う。

    コーサカの声は、アサシン、もしくは忍者のようだと思う。強い光によって生まれる影に身を潜め、気配を消して忍び寄り、気づいたら聞いた人間は彼に首を捉えられている。マウントを取られている。急所を突かれている。気づいたら彼が視界にいて、脳内に居て、生死を握られているのだ。彼の言葉は良い意味で刃なのだ。刃物が目の前にあったら懼れから目が話せなくなるだろう。彼の言葉の刃から目が離せないのは、心に刺さるのは、どうしてそんなに言えるのか、どうしてそんな風に考えられるのか、羨望や尊敬が相まって畏怖を覚えて目が離せなくなる。彼の声はその言の葉を気配を消して、そっと私たちの元に届けてくるのだ。

    MonsterZ Mateの声がバランスがいいのは、陰と陽の対局だからなのではないかと、私は考えている。

    光を浴びて生き、殺される恐怖から死んでないではなく生きていたいと思えるのだ。ああ、こう考えると私は、MZMに生かされていると言っても過言ではないかもしれない。