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AIが40代に教えてくれたこと。

※この毎日投稿は、朝Stand.fmに音声投稿をふりかえりながら、補足や一歩踏み込んだ内容を書いています。

今日は、朝突然家族が家にいることになったので、音声の録音が昼前になった。

和室のすみっこで「何話してんの?」とバレないようにヒソヒソ話のようにスマホにひとり語りかける姿は、なにか良からぬことをしているようにしか見えない。

内容は、土日中に候補に挙げていたのとはまったく別の内容。

朝、必要なものを買いにちょっと外出したときに遭遇した出来事から頭がくるくる寒天してしまい、もうそれ以外話す気がなくなってしまった。

帰り道に頭を回してふわっとした着地どころまで一周。帰ってきてからもう一周して同じところに着地することを確認、着地エリアを点に集約して録音スタート。そんな、考え尽くされていない話なので、とちゅうで「なんだっけ?」とやっぱりなってしまった。

でも、今日のわたしにはひとつ試したいことがあった。

それは、そうやって言葉に詰まったとき、いったん「一時停止」することだ。

思いのほか、「なんだろう」とかフィラーに頼ってしまい、手が動かず止めたのは一回だったけど、スマホ手持ちで位置が動いているのに、そこから再録音しても、意外と違和感がなかった。

これは、つかえる…!

明日以降も、ブレーキに足を置く感じで、話の進路が怪しくなったときは、迷わず一時停止ボタンを押せるようにしたい。

ところで、今日の内容は、若い世代を散々「デジタルネイティブ」として線を引いて論じてきた中年期の自分達もまた先の世代から見たら、

「マシーンネイティブ」じゃない?

と気付かされたことからはじまった話だ。

先の世代の先輩たちはそもそも横文字を多用しないので、この手の呼び方をされることはないけれど、自分達が先の世代にとってこう見えているのだろうという視座を持つことは、世代を越えた意思の疎通をするうえで、とても大切なことだと思う。

わたしたちマシーンネイティブはこれから、マシーン過渡期の先人、「デジタルネイティブ」とともに、「AIネイティブ」を迎えることになる。

年を重ねるごとに、自分達が上の世代からどう見えていたか、どんな不快感や痛み、恐怖を感じていたのかを知ることができる。

子が親になり、新入社員が先輩になり、部下が上司になるように、役割を両方勤めることで、はじめて理解できることがある。

今日は、AIがそのひとつの役割交代をさせてくれたということを伝えたかった。

深めきれていない話だけど、乗っかるとか、乗っからないとかの話をする前に、AIにちょっと胸を掻き乱されている世代に共有したくて、話してみた。

深めきれてなくて、まだ文字では書く気が起きない。

音声だってちゃんと練られたスピーチの方が伝わるし、文字だってたどたどしく書くことだってできるけど、どうしてか、口頭の方が、そんなあやふやな感覚をあやふやなまま伝えられるような気がした。

このあたり、まだ言語化できないけど、文字と語りを行き来することで、そのうちなにか見えてくるような、わずかな希望を抱いている。



自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。