見出し画像

終わりが見えると世界が変わる

昨日一昨日は別の記事を書ていたので、毎日投稿を書かないことにした。
明日と明後日は、土日になるので書かないつもりだ。

エネルギーを注ぐべきものに、時間を残すため、毎日投稿を最小化する決断をしたけれど、たった1日でも「やめる」と決めるだけで、まるで違う自分になったように感じている。

「終わり」が見えた瞬間、世界の見え方がガラリと変わることは、これまでもあった。

多分、一番最初は自分の命が終わると知った幼少のころで、思春期においては恋人との関係、成人してからは仕事でも、そういう瞬間があった。

何かに夢中になっているときは、その終わりを考えていない。
考えていないから、夢中になれるとも言える。

もちろん、「メメント・モリ」的に、終わりを意識するからこそ、感じられる充実感や、力の注ぎ方もある。

ただ、知らないからこそ溺れられる類の陶酔に似た「夢中感」は失われる。終わりが見えてしまった瞬間をなかったことにすることは難しい。

なんていうか、見えた瞬間にそれは「終わり」、あとはロスタイムにすぎないかのような。

毎日投稿は、毎日投稿というフレームのなかの縛りを止めるというだけで、「毎日何かしらアウトプットする」という行為は、続けるつもりだ。

ただ、なんかいろんな意味で軽くなった気がしている。

うまく言語化できないけど、「はじめる」だけじゃ、すぐにはあんまり変わらないけど、「やめる」はすぐ変わる。

見た目は多分何も変わってないけど。世界の見え方が変わる感じ。
明日にはもう、新鮮さはなくなっているかもしれないけど。


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。