カブトムシの背中
ある真夜中、蛹だったはずのカブトムシが廊下を歩いていた
虫かごの蓋を持ちあげ、逃げ出してきたのだろう
手に乗せると四肢いっぱいにしがみつき、とれなかった
虫かごにもどされたカブトムシは、枝に登っては飛び立ち、プラスチックの壁にぶつかって落ちた
落ちては起き上がり、透明な壁をひっかき、また枝から飛んでは落ちて、夜中壁をひっかいていた
わたしは、できるだけはやく彼女がもといた場所に返そうと決めた
次の日、別のカブトムシが虫かごでひっくりかえっていた
別の蛹が成虫になったのだろう
起こしてやると、彼女の羽は縮れていて、背中がまるみえだった
息をするたびにそれが動き、何かの液体が漏れ出てつやつやと光った
わたしは、彼女を最後まで世話しようと思った
けれども彼女もまた、透明な壁をかりかりとひっかきつづけた
体を動かすたびに背が波打ち、つやつやと光った
野に出れば、あっという間にアリに囲まれ、命を落とすだろう
彼女は生涯飛べないことを知らない
その背に羽がないことを、知るすべはない
けれど、
背中に羽があるのかどうか、だれが知って野に出るだろうか
自分が飛べるのは羽のおかげなんて、どうやって気づくことができるだろう
だれも自分が飛べるのか、もう飛んでいるのかなんて、きっとわからない
運良くまだ地を這っているのか、めでたくも羽ばたいているのか、
ずっとわからないまま、野をさまよう
ただ、朝露の輝き、木漏れ日の煌めき、月明かりが眩しさに出会い、
今、カブトムシの羽の下にある息遣いの艶めきを知った
6月12日 水曜日
わたしは今日、彼女を野に返すことに決めた
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。