見出し画像

なんか小さくてかわいいやつにやられる

ちいかわに、子どもがたちがじわじわハマっている。

実は今日まで、自分は全く読んだことも見たこともなくて、ただ長女にキャラクターの雰囲気がそっくりで見るたびに他人と思えない、「うざかわいい」存在だった。

それが昨日、メインのキャラの名前は「ちいかわ」なのに、そのともだちのうさぎは「うさぎ」、猫のキャラは「はちわれ」と聞いて、

「は?なにそれ??」

ちいかわって仲間全体の名前じゃなかったの?

うさぎはうさぎっってまんまじゃん!

ねこだけ「はちわれ」って突然見た目の特徴って…

「うん、はちわれ。でね、はちわれだけしゃべれるの」

…はい????



規則性がないことが規則なのかと思える設定に思わず齧り付いてしまった。

なんだ、この支離滅裂感。

アンパンマンみたいじゃん。

アンパンマンは、おじさんに生死を握られる主人公はしゃべっているのに、食べ物の名前をつけられた犬であるちーずは、くさりにつながれしゃべれない。

明らかにアンバランスな扱いなのに、みんな平和に暮らしている。

見る人には明らかな違和感に、中の人が気づいていない物語は、どこか人を惹きつける。

わたしはまんまとハマり、その実は闇が深い設定を垣間見せるちいかわワールドに一瞬で魅せられたのだった。

しかし、今日は夕方の勉強会までに読み込みたい資料があり、一刻の猶予もゆるされない日である。

やらなきゃいけないことがある日に限って、マンガがトラップを仕掛けてくる不思議。

この、単なる思考の轍を超えて「できない理由」が降ってくる、見えざる手に舗装されたような悪きパターンはなんなんだろうか?



なんだっていい。
考えるべきことを考えよう。

しかし、やるべきことが考えることのときに、別の考えを締め出すのって、なかなか難しい、ね。


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。