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ぞうの問題

群盲象を撫ず評す

という言葉が好きで、伝わらない、ディスコミュニケーションに頭を抱えるとき、いつもこの言葉を思い出してきたんだけど、

子どもとののっぴきならないやりとりを通して、この格言にも盲点はあったんだなあと思い知らされた。

わたしたちはそもそも、象が「見えない」以前に、象の足元で踏まれそうになっている人もいれば、象を遠くから望遠鏡で見ている人もいる状態で、象を評しているわけで、

もっと言えば、象をこの世界そのもの、あるいはその世界に発生した何らかのものやことを指しているなら、

わたしたちはそもそも象に触れる者ではなく、象の一部なのだから、外から触れて評するなんてこと自体、できないのだろう。

象の耳も、象の鼻も、みんな象の一部で、つながっている。

5分経った。
春に作った野苺のジャムが冷蔵庫奥から発掘されたのがもったいなくて、ドーナツ生地に混ぜて揚げた。
お腹壊さないよう、一人でこっそり食べる。

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。