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「あなたが大切にしたいことは何ですか?」
昨晩、MBCCで一緒に学んだ友人からコーチングを受け、20年ほど忘れていた、自分の軸を思い出す、という経験をした。
そのきっかけとなった問いかけがこれ、
「あなたが大切にしたいことは何ですか?」
なんだけど、コーチングでは割とよく使われる問いかけのひとつ。
今回これを、めっちゃ的確なタイミングで投げかけてもらったことで、自分はいろんな表現方法を持っているけれど、手段より、表現したい内容の方が重要であるということがハッキリした。
っていうのは、いろいろ表現方法を持っていると、外側から見たときには、それらを全部使って統合することで自分の独自性、ブランディングにつなげられるという発想になりがちなんだけど、
自分はそれがどうにもしっくりこないということ。
そしてこのスタック感を、20代にも抱えていたことを思い出し、結局自分は表現方法、つまり肩書きになるような自分のアウトプットの形をわかりやすいキャラにトリミングして、期待値が固定されたキャラを工業的に再生産し続けるということは、
いかに経済的に苦しくなろうとも、それぞれの技術を持っていようとも、同じことを繰り返すという意味で続けられる気がしないからイヤだ、という結論に達したのである。
と、それはそれとして、一番ハッとしたのは、この質問、自分の精神状態やされる時期によっては、絶対違うこと言ってそうだよなあっていうこと。
子どもの変調が急性期で、親の求められる役割の比重が最大の瞬間であれば、きっと家族の幸せ、ライフワークバランスのようなことを言ったと思う。
自分という存在にも階層があって、特定の役割に強くコミットする必要がある、悪く言えば囚われている(囚われざるを得ない)ときは、
きっとその役割のなかでの大切なことが、「本心」だっていう感じ。
そう思うと、この答えもまた何かの階層に囚われている答えなのかもしれないから、この問いはときどき、自分の座標を知るために投げかけてみようと思った。
そうするうちに、もしかしたらその囚われから自由になって、そういうトリミングキャラの継続が苦でなくなる日もくるかもしれないし、それはそれでおもしろいと思う。
さて、そろそろ送迎にいってきます。
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。