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Existence Is Ternary

三元性が実存の礎だ。しかし私たちは長い間、二元性の中にいると信じてきた。ものごとにはプラスとマイナスがあり、その二つがバランスを取って全てが存在していると教えられてきた。しかし、この世界は三元性によって構成されている。

プラスとマイナスだけではものごとは存在しない。いくら科学技術が進んだところで、プラスとマイナスだけで物質を存在させることなど不可能だ。

物質を存在させるには私たちの意識が必要だ。そして、私たちが物質を認識するにも私たちの意識が必要となる。意識があることで物質が生まれ、それを意識が眺めることで物質が認識される。

では、意識されないもの、認識されないものはこの世界に存在していると言えるだろうか?私たちが創造もしないもの、観てもいないものについて、それが存在すると誰が言えるのか?

私たちには「今」という瞬間だけが存在する。そしてこの「今」とは私たちの意識が創り上げた現象だ。私たちが認識しているのは自分の意識が膜を創りその膜からできあがったこの世界であるから、私たちが創り上げ認知する世界以外のものが存在するかどうかを知ることができない。

物質が存在するには二つの極、陰と陽が必要なのではなく、三つの極、意識と陰と陽が必要だ。物質の根本的な構造にはこの三つが含まれている。この三要素によって物質は安定し、私たちはこの世界を認識し、物質が在ることを確認し、安心することができる。

始めに意識がある。純粋な意識、「ただ在る」という状態から、どちらかに意図を向けて進もうとすると、そこに陽が生まれ、それと同時に陰が生まれる。陽と陰の二つの極は同時に生まれるので、意識という極性と合わせて三つの極が存在することになる。

意識がある方向性、つまり陽を生んだ瞬間に陰が生まれる。意識という一つの極性から、三つの極性に移行することでこの世界ができあがっている。陽と陰の二つの極性が生まれるときには既に意識が存在しているので現象界の極性は常に三つとなる。二つの極性の世界は存在し得ない。

この世界を二つの極性の視点で観ることはできるが、それでは世界を理解することができない。この世界は私たちの意識がなければ存在しないからだ。

三元性を通してこの世界を観たとき、あなたも、あなたを取り巻く現実も変わるだろう。

この世界が私たちの意識なしには存在しないことが分かると、あなたの世界は可能性に満ちたものとなる。

二元性と神は切っても切れない関係だ。なぜなら二元性をどこまで突き詰めても、現実創造の始まりにはたどり着かないからだ。二元性には神という概念がどうしても必要になる。

近年、現代物理学は「観察者効果」という名前の神にたどり着いた。神は始めからいなかったことがわかったが、今もなおそれについてどうすることもできないでいる。

私たちは新しい概念を必要としている。三元性を基礎とした科学を必要としている。三元性の概念を教育に盛り込む必要がある。三元性をベースとした文字も必要となるかもしれない。あらゆるものが三元性の出現によって進化する。

三元性の科学は、今まで不可思議だと言われてきたことのほとんどを解明するだろう。三元性の文字は、表現の可能性を爆発的に広げるだろう。しかし三元性の本当に重要な部分は、科学や芸術ではない。

三元性が私たちの概念のベースとなれば、この世界を、この宇宙を100%信頼するようになる。三元性にはあらかじめそれが含まれているからだ。そこに選択の余地はない。

「私は在る」から始まる世界で、私たちは目で見ているもの、肌で感じているものを信頼する。この世界に存在するもの全てが「私」から発せられている表現であることを知ったら、人は「私」の在り方に興味を覚えるだろう。在り方が現実を定義しているということを思い出すだろう。

信頼をベースに築かれる人間関係、信頼をベースに営まれる社会の実現を私たちは祈念してきた。

今こそそのときだ。

Neosho

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