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和の国の人間だからこそわかる話

和の国って、なんだかゲームの国のような、とても洒落て神秘的な気がしませんか?
(それは二ノ国のことやと気がつく笑)

どうでもいい話から始まったネオスピです。よろしくお願いします。
あ、ゲームの話じゃないです、ごめんね〜

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画像検索してたら、ゲームしたくなった・・・
(Switch版あるみたい、買おうかなぁ)

さて、ネオスピは「私たち以上の力が存在している」ということを前提にしたものです。詳しくはこちら

それは疑いの余地なく、私たち一人ひとりにぴったりと寄り添い、現実的な形で助け導き、そして関わってくれる愛の力とでもいいますか。
その力はどんな状況であれ、存在しています。

これを日本人は「おかげさま」と呼んでいます。

ご存知の通り普通に、当たり前に人知を超えた何かが、常に存在し助けてくれていることに気づいているのです。

おかげさま。という時の感覚は、日本人なら誰でもなんとなくわかるはず。
それは「神様!」という崇めるような遠い感覚でもなく、信じなくちゃと力が入っていることもない、淡々とただそこで助けてくれる存在がいると、なんとなーく自然と思っちゃってるってことです。

実際、おかげさまって使うときは、良いことがあった時だけではなく、何事もなく平穏に過ごしていることにも「おかげさまでね〜」なんて使ったりするじゃないですか。これこそが日本人の感性がとんでもなく発達していた名残なんですね。
(現代人は西洋化しちゃって感じづらくなってる)

明治以前の人たちのように、おかげさまを感じづらくなっていたとしても、言葉で使っている限り、その感覚は私たちの中に受け継がれています。

ネオスピの「魂、神」と呼ぶ力は、私たちが使う「おかげさま」と同じものなんですね。神社の神様やお寺の仏様とは少し違う感覚ですよね。うん。

こんなのとか

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こんなのとか

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とは、ちょっと違うんですよね、おかげさまって言葉に出す時。
(多分、みんなもそうだと思う)

私たちが無意識で知っているおかげさまの力は、最後の神頼みで使うものじゃありません。
さっきも書いたけれど、「一人一人にぴったりと寄り添い」「どんな状況であれ」「関わり助ける」のがおかげさまなんだけど、その存在をすっかり忘れてしまった私たち日本人は、他の国の神様や仏様にその役目を移行して行っちゃって、自分から遠い存在にしてしまったのです。

おかげさまっていうのは、別名「魂」といいます。
そう、私たちの核である魂なんですよ、おかげさまって。

神社やお寺や教会や、空の上や宇宙のどっかに存在しているのではなく、魂として私たちの中心にいる、人知を超えた力をおかげさま、魂と呼びます。

世界最高峰のスピリチュアルな感性を持っていた日本人ですが、どんどん魂の声が聞こえなくなり、生まれた目的や自分の役目などもすっかりどっかに行っちゃいました。
そして苦しい人生の中の答えを、他の国の思想や宗教によって求めてきたのです。あ、それが悪いって話じゃないですよ。
ただ、もっとわかりやすいものなんだよってことをお伝えしようとしてます。

このおかげさま、魂の力をもう一度認識し、人生に呼び込んで一緒に生きていく選択をしていくこと。

その方法を知っていくことこそが、これからお伝えしていくことになります。

ネオスピでの魂は、おかげさまという愛の力のある場所。
私たち、一人一人が神なんだという説がありますが、そういう意味では確かに神の部分を持っていると私も思います。
(ただし、魂を磨いたり、魂が自分なのだというのは少し方向が違います)

今日から、ちょっとだけおかげさまを意識してみるといいかもしれません。

そうそう!

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私も自分で押して楽しんでます(笑)
・・・なんか違う・・・

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