初めてのおともだち(上)
ともだちの少ないわたしに、最近、新しくともだちができた。
かほちゃん、小学校2年生。週1ぐらいで遊びに来る。かなりの仲だ。
もちろん、最年少のともだちだ。
引っ越してちょうど1年。ウチは郊外の住宅団地の一角にある。30数年前に造成された団地で、20数軒のほとんどは当時から住んでいる人たち。空き家となって売り出された区画には、ここで育った子どもが大人になり所帯を持って新たな住人になっている。だからみんな旧知の仲。団地の子ども同士が群れて遊ぶ、昭和の風景。奥様方はあちこちで井戸端会議の花を咲かせる。この時代、きわめて珍しいアットホームな団地。家族だんらんが、家の外まであふれだしている。
そこへ移住してきた妙齢(?)の女一人世帯。ほぼフリーランスな働き方、不規則な生活スタイル、プライベートになると人見知りな性格……。「このコミュニティーにはたぶんなじめない」。私は早々に腹を括った。いじめられるのは嫌だから、最低限のことはきっちりとこなす。あいさつを欠かさず、なるべく笑顔、車ですれ違う時には軽く会釈、ゴミ当番のときは仕上げまできっちりと、回覧板はためない。そうして、なじみもしないがいじめられもせず、淡々と1年近くが過ぎた。
変化は、ゴールデンウイークに起きた。庭木を剪定していたとき、ブロック塀越しに、隣りに住む小さな女の子と目が合った。
「猫、見に来る?」
どちらかといえば子どもの苦手な私が、ついそう口走ってしまったのにはわけがある。
1年前、向こう三軒両隣へ引っ越しのあいさつに回ったときのこと。おかあさんにくっついて玄関に顔を見せたその子に「猫がいるの? 見に行っていい?」と聞かれ、「いいよー。おかあさんといっしょにおいでー」と快諾してしまい、その後、彼女が幾度となく猫ハウスに向かって「ねこちゃ~~ん」「かわいいね~~」と叫んでいるのを聞くたびに、空手形を切ったような居心地の悪さを感じていたからだ。
いちおう私も娘2人の子育て経験者なので、「猫、見に来る?」の一言が“勢い”をつけてしまうことは容易に想像がつく。毎日、見に来られると困る。絶対に困る。歯止めが利かなくなったらどうしよう。それでお隣りさんとギクシャクしたら元も子もない……しかし、言ってしまったのである。口に出たことばは、なかったことにできない。
「いいの? 行くーーー!」と、目をきらきらさせた彼女は、続けざまにこう言った「友達が遊びに来てるの。いっしょに行っていい?」
猫にとって子どもは天敵。一方的な好意で押しが強い、恐怖の対象。それが一度にふたり。う~ん、困った、ことになった、んじゃなかろうか。私は心の中でうろたえた。
しかし、もう空手形は切れない。いったん言ったことは、ちゃんと守る。それが大人のふるまいというものだ。
子どもの期待にこたえる。猫たちのことも守る。
数秒間で覚悟を決めた私はにっこりと答えた。
「いいよー。おともだちも。さぁ、どうぞー」
「やったー!」
「ねこちゃーん!」
「めんどくさいから、ここから入ろ!」
「うん!」
小さなレディーたちはそう言って、玄関から回るのももどかしく、かるがると塀を乗り越えた。
(下)に続く
#エッセイ #暮らし#猫#友達
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