二人目、の話


私には生まれたばかりの娘がいるが、
ときどき「二人目は?」と聞かれる。

友達から聞かれるのはなんとも思わない。
親戚らからなにかの話の流れで「そういえば」みたいなかんじで、
さもいま思いついたかのように聞かれる時は気持ち悪くてむずむずする。

友達は「別にどちらでもいいけど話題として聞いている」のがわかるが、
親戚となるとその目に「期待」をみてしまうからだ。

産んで間もないのによくそんなこと聞けるね?
まだあの出産時の恐怖や痛みは消えていないのに。
いまこの子を育てるのに誠心誠意注いでいるのに。
この子を産んでもまだ満足しないのか。
(他人の人生なのに満足したいとかもきもい)

関係ないけど、親戚からの「母乳は出てるの?」という質問も
心底気持ちが悪い。
他人(ではないかもしれないが)の身体の一部についての質問だと
わかっているのか?

こんなことを言っているけど、私は元々子供を産むなら二人、と思っていた。

そもそも子供を産むことが怖かったものの、
産むなら二人だな、と思っていた。漠然と。
自分が二人きょうだいで、癖の強い親に育てられたが
きょうだいのおかげでグレずに済んだし、心強かったからだ。

でも娘が生まれてから、
もちろん出産が怖い、つわりがもう無理という気持ちも大きいが、
この子を長女にしてしまっていいのか?という思いが頭をもたげてきた。

私の母は育児の方針として
私に「お姉ちゃんでしょ」と言わないようにしていたという。
実際に、確かにそのセリフは言われたことはないかもしれない。

でも「⚪︎⚪︎でも出来てるのに」と下のきょうだいを持ち上げて叱られた。
抱っこ癖がつくからと抱いてもらえないきょうだいが
私に抱っこをせがみ、私が面倒を見ていると
「やっぱりお姉ちゃんだね」と言われたりした。

これらは「お姉ちゃんでしょ」と何が違うのだろうか?
セリフが違うだけで同じだろ?と思っていた。

下のきょうだいのことはとても好きだ。
とってもわがままだったけど、私を頼り、家族と思われてる気がしていた。
大人になった今でも、お姉ちゃんお姉ちゃんと慕ってくれているし、
何かあったら相談したり愚痴れる仲で頼もしくなった。

でも私はずっと長女でしんどかったのだ、と子供を産んで気がついた。
気づいていたかもしれないけど、下のきょうだいが可愛かったから
そう思わないようにしていた、というのが正しいかもしれない。
娘に同じ思いをさせるかもしれないと思うと
やっぱりかわいそう、しんどかった、と思うのだ。

母自身は次女だから、長女の気持ちはわからなかったのだと思う。
「おねえちゃんでしょ」とこのセリフを言われるのが辛いのだと
本気で思っているのだ。

なんでもお手本なしに先に経験しないといけない、
下が生まれると急にしっかりさせられる、
しっかり者ねと言われるともう甘えられない、、
皆自分で生まれ順を選ぶわけではないが、この気持ちは絶対わからない。
私に第二子の気持ちがわからないように。

もし第二子が生まれたとしたら、私ならいわゆる第一子長女の葛藤やしんどさを
きっとわかってあげられるだろう。
でも同じように育ててしまったら、、?と怖くてたまらない。
第二子の気持ちがわからないのは母と同じだ。

こう書いていて、私はほんとに生まれ順へのこだわりが強いんだなと思う。

一人っ子だと家の中でも社会性が育たないのでは、
三人兄弟の真ん中はちゃっかり者、姉妹だったら意地悪しちゃうかも、
色々考えて「産むなら二人」と思っていた。
でもどれも妄想だしたまたま出会った人たちがそうだっただけだ。
いやほんとにそうだったか?よく考えれば同じ構成でも全然関係なかった。
それも偏った家族からの刷り込みだったように思う。

また私自身が生まれ順に左右されてきたし、
「おねえちゃんだから」を意識しすぎたのかもしれない。

ほんとに多方面に失礼な話だしアホかと思う。
改めて考えると家族以外でも社会はあるのだから、
どこでどれだけどんな経験をしたかが人をかたちづくると
私自身が経験してわかっていたはずだ。

そんなこんなで娘を長女にすることにまだ勇気は持てないが、
いつか第二子が生まれることになっても、このまま娘が一人でも、
いろんなコミュニティに触れる機会を与えたいと思う。
それから第二子の気持ちは次男出身の夫に色々聞こうかな。

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