オーバーソシャク/ダイナマイトエンゲを読んで

作品の感想に行く前に、まずは「鳥居王国第1回玉露文大会」の説明を軽くしなければならないのと、個人名が出てくることをご了承頂きたい。
今回の感想は、この大会のために書いたものだ。
そもそも玉露文とは、感想文のことである。この大会の主催者、鳥居ぴぴき氏が考えた造語である。

意味がわからない。

が、これが不思議と馴染んでくる。というか、玉露文の方が良い気さえしてくる。なんだか高貴な感じもするし。バーバリアン渋谷氏との配信で言っていたが「玉露を淹れる、という表現も考えた」と言っていた。しかし、ここまでくるともはや本当に意味不明になるので却下したとのことだ。
そして、今回の大会。第一回目である。もし二回目があり参加した場合は、この辺りの前置きは省くことになるだろう。「感想文を大会形式で開くことにより感想を言いやすい環境に持っていき、かつ小説を読まない人にも目を向けさせる」という意図が伺える。と俺は勝手に思っている。というかそういう効果がある。しかし、2000文字以上10000文字未満という制限があり、気軽に参加というわけにはいかない。この辺りは「真剣に自分の小説に向き合ってほしい」という意思が感じられる。(最初目にしたときは5000文字以上だったが、俺のおこがましいとさえ思えるぴぴき氏へのツッコミで2000文字に減った。かどうかはわからない)
俺もやってみたい。多分やらないと思うが。いや、あと20人ほど読者がいるならやってもいいかもしれない。

さて、本題に入ろう。
オーバーソシャク/ダイナマイトエンゲ
なかなかインパクトのあるタイトルだ。(必要以上に噛め!)(爆発音を鳴らすみたいに飲み込め!)という事らしい。こういう、カタカナ造語は俺もよくやる。なので親近感が湧いた。読みたくなるタイトルだ。その言葉の雰囲気から言って、グルメものだと感じた。実際そうだ。

物語は空港(と思われる場所)から始まる。「なるほど、ここから主人公が旅立ち、様々な国で出会った食に」などという俺の安易な想像は一瞬で塵と化した。
宗教的で民族的な始まり方だ。そして、主人公が蛙を咀嚼する。食べるではなく、咀嚼。ここで俺は、生の蛙を咀嚼する自分を想像してしまい、若干の気持ち悪さを覚えた。それがいい。ここはまともな世界ではない。という事を教えてくれるには充分な描写だったからだ。空港との対比もいい。おそらくこの場所から飛行機が飛び立つことはないだろう。文明が崩壊しているのだ。

そこで気づいた。これは遠い未来の話であり、ポストアポカリプスなのだと。
少し話が逸れるが、前述した配信で鳥居ぴぴき氏は、俺の小説「マッドボール」(良かったら読んでね!)、バーバリアン渋谷氏の「サイボーグ・リキシ」(名作です!)に触れ、影響されてこの小説を書いたらしい。サイバーパンク、ポストアポカリプス、ハードボイルド、バトルもの、そんな雰囲気を醸し出した小説を書きたいという思いが生んだ作品だということは間違いない。この作品の感想を書こうと思った理由のひとつだ。この辺りは、違う小説の玉露文(感想文)で非おむろ氏も言及している。(名前も作品も出して頂けるのは非常に嬉しい。感謝しています!)

さて、話を戻そう。
主人公は蛙を咀嚼した後、天変地異を起こす。と言っても周りの人物を驚かせるくらいのものだが、この辺りで「これは戦いの描写もあるな」と直感していた。
そして、この小説の軸となる部分。
料理を「陵理」と表記しているところだ。食事は「贖事」、シェフは「死餌怖」である。そう、この世界では料理が悪なのだ。料理も、それを食べる人も、調理した人も悪なのである。何ともイヤな世界だ。住みたくない。善でいたければ全て生で食わなければならないのだ。そうなれば肉は避けるか……野菜はちゃんと洗って……などと、読んでいる途中で自分に置き換えて考えてしまった。
この世界では、どうやら蛙や蛇の肉が一般的らしく、鶏肉は高価で買えないときている。チキンは俺の好物だ。ますますこの世界に住む気がなくなった。そして主人公は、食材にカタルシスを求める行為を不純だと言った。全く同意できない。修行僧や仙人のような思想が、一般人に強要される社会を考えてみてほしい。

話を読み進めていくと、調理されたものに抗えなかった人物も多数いることがわかる。「いいよ抗わなくて!みんな食え!」と悪側を応援している自分がいた。面白いと思いながら読んでいたが、主人公、というかこの世界のアンチになりそうだった。しかしそれこそがポストアポカリプスの世界であり、不条理が道理になる世界なのだ。

更に読み進める。
料亭ならぬ、陵亭の出現だ。話の雰囲気からして完全な居酒屋である。
そこで出てきたのが刺身だ。なるほど、凄い。この小説の中で一番感心した部分かもしれない。話の軸となるのは、料理が悪であるという部分だ。
では、刺身はどうなるのか。
生の魚に包丁を入れる。料理か?
盛り付ける。料理か?
醤油を付ける。料理かもしれない。
なかなか考えさせられるシーンである。wikipediaで調べてみると、刺身は料理に分類してある。しかし、ひとつひとつの工程を分解した場合、疑問が生じてくる。実際は包丁を入れた時点で料理と言えるのかもしれない。だが、ここは現代社会ではない。違う世界の、しかも遠い未来の話なのだ。
そして、料理かそうじゃないかの違いが命取りになるような、そういう世界なのだ。

後半はバトルシーンに突入する。「死餌怖」がザ・悪者という感じでいい。主人公の能力も特殊でオリジナリティがある。
そして刺身がここで生きてくる。活き作りだけに!

主人公はある女性とともに最後まで駆け抜けるが、真相がわかり、終わりが見えてくると、切なさや哀しさを感じるようになった。それは胸を締め付けられるような状態ではなく、もう少し軽い感じだ。
主人公は信仰心が強い。故に、普通なら悲壮感に打ちひしがれてしまうところを耐えることができる。それが哀しさが柔らいでいる要因になっているのだろう。
先ほどまでこの世界と主人公のアンチだった俺は、気がつくと主人公を応援していた。
ハッピーエンドでもなければ、バッドエンドでもない。不思議な終わり方だ。
読後感をひと言でまとめるならば
「爽やかな哀しさ」だ。

最後に。サイバーパンク、ポストアポカリプス、ハードボイルド、バトル。この系譜を皆さんにも継いでもらいたい。ファンタジーでもいい。俺はそういう小説が好きだ。読みたいし、書きたい。難しいけどな!

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