山高のタイガ

〓 山高のタイガ 〓

1. 山高の紹介とタイガの紹介
札幌山の手高校。東京以北最大の北の大都市、北海道札幌市の名門私立高校。文武両道を掲げているものの、お世辞にも学力が高いとは言えず、どちらかと言えば札幌市内でも偏差値が33と最下層ランクに位置する高校ではある。しかしながら、山高のタイガと呼ばれた男が居た。
時は世紀末 札幌市の西側の片隅にある私立の名門高校 札幌山の手高校。今から25年も前の話。スポーツが強い私立高校で、スポーツが強い私立高校は例外無くヤンキーが強かった。
僕はタイガとは同じ中学校で、サッカー部の仲間だった。僕は市内有数の進学校に進学していたが、タイガは市内有数のスポーツ高校に進学していた。
山の手高校は特に代々ラグビーが強い事で知られており、現ラグビーの日本代表キャプテン リーチ・マイケルが高校時代を過ごした事でも全国的には知られている高校だった。他にも女子バスケットボール部も全国レベルの名門で、高校3連覇を遂げた事もある。高校1年生の秋頃だったか 冬に差し掛かる頃だったか、地元でタイガに会う事があった。山高のタイガと呼ばれたその男は、本名を荒谷真一郎と言った。
中学校の頃から腕力は最強の男で、中学校1年生の入学して間もない頃、ついこの間までランドセルを背負っていた12歳の少年は体力測定の握力検査で55kgと言う
とんでもない数値を叩き出していた。体も大きく、中学入学当初 隣の小学校と一緒になるものだから、僕達の小学校の悪ガキ組だった僕は、中学に上がるときに仲間達と
俺たちが〆るぞ と言っていたものの、荒谷の存在を目の当たりにし タイマンでは絶対に勝てないな と早々と諦めたものだった。
そんな荒谷にあった。高校1年の初冬。おお荒谷元気?おおオカ元気だよ。なんかお前さ、気づけば山高で「タイガ」って呼ばれて無い?おお。なんで「タイガ」って呼ばれてんの?いや、なんかタイマン張ったんだけどさ、その時タイガータックルかましたのさ。タイガータックルで相手倒したのさ。その時以来「タイガ」って呼ばれてんのさ。タイガータックルとは漫画キャプテン翼の翼くんのライバル 日向小次郎の必殺技。それを1:1の喧嘩の場で使ったのだと言う。しかも本来攻撃技では無い、サッカーにおける守備の技であるはずのタックルによって相手を粉砕したと言うのだから、改めて「タイガ」のスケールの違いに驚かされるばかりである。
その頃から、僕達の地元でも 荒谷は「タイガ」 「山高のタイガ」 と呼ばれる様になっていた。

2. タイガとの思い出
a. 高校2年生の時 サッ高事件

高校2年生の頃。僕達の時代は腰パンが流行っていて、僕は進学校に通っていたものの、行儀よく真面目な勉強主義の学校には馴染めずに不良みたいな格好をしていた。
髪の毛は染めてピアスを3つ開けて、眉毛を剃って腰パンで札幌大通公園に行くと、似たような不良っぽい他校の男子生徒とガメり合いに良くなった。ある時、黒い学ランのロン毛の2人組が僕達の方に来た。おい お前何見てんのよ。ああ?見てねえよ。お前どこよ?ああ?サッ高だよ。お前どこよ。あぁ?北海だよ。北海は最強の男子高校だった。北高と言ったら舐められるから僕はいつも喧嘩になると北海という様にしていた。相手が北海じゃなければ分からない。
北海高校に友達もいたしなんとかなるべ。
北海に喧嘩売るのか?そう言うと彼らは謝って帰って行った。ハッタリが功を奏した結果だった。数日後、地元で中学校のサッカー部仲間たちと地元の公園であった。夜の7時くらいかな。そこにタイガも居た。いや荒谷さ つい数日前 通りで喧嘩になってさ。サッ高の奴だったわ。ああ?マジか そいつヤりに行くべ。明後日北高まで行くわ。放課後。そこからサッ高行くべ。--
当日 シュウジと2人でチャリに乗ってやってきて 北高の生徒から見たら 不良っぽい紺色の学ランの二人組が放課後に学校の前に来てなんだろうっておお荒谷 行くべって言って サッ高いって 何人も捕まえてぶん投げて 結局いなくて帰り際 多分創成かどっかの子だと思うけどこっち見ててああ見てるな 言うて 一言目 おい金出せ
持ってねえわけねえべや 16文キック顔面 相手は鼻血を流して財布を出して 3,000円ゲットして シュウジは帰って 放課後びっくりドンキーで豪遊した。b’. ショウキトウ1人で潰しに行く事件モリに聞いた話。あいつこの前俺の家来たべ。金属バット持って。
おいモリ フルフェイス貸してくれ 言うて。
ショウキトウ潰しに行くんだ 言うて。夕方。
JRに フルフェイスと金属バット持って 手稲稲積駅に行ったらしい。結果潰したんだっけな。なんだったっけか忘れたけれど。
周りの人はどう思ったのかな。元気そうな男子高校生だ バット持ってどこに野球しに行くのかなとでも思ったかな。なんでフルフェイスを一緒に持っているのかは謎ばかりなのだけれども。c. 中学3年生の時 アドリブドッキリ事件荒谷と俺で サッカー部の隙間時間 部室で ドッキリするべって言って 荒谷が俺にテツザンコウするのさって それで俺が吹っ飛んでみんなビビってさ
で 実はドッキリでした〜ってやるべって なんかおもろいかなと思ってやってみたら あいつ 部員全員にすげえ非難されてさ 全然受けなかった笑
あいつには悪いことをした。3. 高校3年生の夏休み
西区地区センターに荒谷が来た「オカ。俺も大学行けるかな。」その日から 荒谷と僕の受験勉強期が始まった。・毎日俺の実家に来た 母に荒谷の飯も作ってもらってた
・ファミレスにもよく行った

b. 高校3年生の時 豊平川河川敷事件
高校3年の11月 僕達の受験勉強が始まってまだ間もない頃だった。夜の11時 恒彦から電話が来た。オカ そこにタイガいる?って
タイガが僕と勉強しているのは彼らは知っていた。特に恒彦は知っていたのだろう。電話を変わるタイガ。おう おう おう マジか 分かったわ 今から行くわ おう オカも連れてくわは?俺も行くの?明日学校よ?したかねえ 行くか。終電間際の地下鉄に乗り込む俺とタイガ。筋トレしてパンプアップ済み。テレビ塔下 敵か味方かわからない  おおお仲間か
どんどん人が増える バイクで駆けつける仲間たち どっちの仲間にもつけないわと人がいなくなった 結局最初にいた山高の仲間たちだけになった
豊平川河川敷を進んで 50-60人の人だかりがあった 敵か味方かわからない 草むらから行くべって言って 恐る恐る近づいて
おお仲間か 相手は奥に居た 同じくらいの数だけ 周りの不良たちはタイガを見て  おおタイガさんじゃないですか 今日もやってくれるんですか?っておう 当たり前だべや って。
あいつ やっぱり札幌の不良会で有名なんだなって思って。頭同士で話し合うべ ってなって 5:5になって 俺たちは履けて 駐車場で 入舟の掲示板ボヨンボヨン事件があって
帰りてえ いやそれ言っちゃダメでしょ いやあそうだよなごめんごめん言うて----それでも現役時代 俺も全然勉強がわからなかった。同時に、新陽高校に彼女が居て、僕にとっては人生で初めての大恋愛で。絶対に結婚しようって言っていた。
僕には彼女しかいなくって 全然勉強に力が入らなかった。青春ど真ん中のあの時。無理からの大学受験はハードだった。
それでも俺も荒谷も 頑張ろうって お互いに 葉っぱをかけ続けていた。そんなこんなで現役は全然ダメだった。浪人前提ではあった。
1浪目 俺も荒谷もダメだった。日大芸術学部も受けたけど実技試験でダメだった。ファミレスでも喧嘩していたりした。ヤキを入れた奴もいた。1浪を終えて 親に金出させるのは筋違いだと思って僕は 短期で 北海道ライン工業に行った。日給1万円は破格だった。
そこで70日間を過ごして70万円を持って 親に少しだけお金を出してもらって 代ゼミに行って。タイマンになって 僕は捕まった。僕の父も相手の父も警察官で 全く笑えなかった。2浪目 僕は傷害事件で捕まった。親のクビも飛ぶ寸前だった。僕は自宅に隔離されて、その間誰とも連絡は取らなかった。4ヶ月間。後から聞いた。荒谷は何度か僕の実家の近くまで様子を見に来てくれていたらしい。オカ大丈夫かなって言って。あいつは仲間思いの男気のある優しい奴だった。
優しいゾウの目をした巨漢 山高のタイガ。僕は傷害事件を終えて 4ヶ月間の自宅謹慎期間を経て、そこから猛烈に勉強した。4ヶ月間。9月から12月の4ヶ月間で赤本を解きまくって、もう 解けない問題は無くなっていた。どこでも行けるべと思い始めていた。傷害事件期を終えて、年末差し迫る頃、タイガにあった。あいつも元気そうにしていた。
俺たち これでダメだったらヤクザになるべ。もう後はない。2年も浪人して 人生の大事な青春期を大学受験に当てて。成人式も行かなかった。何人からも電話が来た。
オカなんできてないの って。俺は荒谷と誓った。これでダメだったらヤクザになるべ。半分冗談だったけど、半分は冗談じゃなかった。
これだけやって、色々な事があった。彼女とも別れたし ライン工業でも働いた 傷害事件で捕まって 謹慎期間を経て またタイガにあって。最後 僕は 中央大学と日本大学だけ受けた。早稲田も受ければ受かっていただろうけど、中央で良いと思った。結果はどちらも特待入学だった。タイガに電話した。あいつは出なかった。どうだったのかな。タイガ。あいつから電話が来た。どうだった?オカ、、1高だけ受かってた。まじ?どこ受かったの??オカ。俺。立教大学に受かったわ。えええまじかよ!!立教に受かったの!!!あいつ 論文の勉強をずっとやっていたものな。国語が好きだったのかな。いや、数学とか英語とか全然わからなかっただろうな。日本語だからわかると思ったのかな。そういえば思い出した。中学校の頃テスト前 あいつ俺のところに来て オカ 現代文ってどうやって勉強したらいいの?って聞いてきて
いいか 現代文っていうのはさ って 俺はテスト前は好きな小説を読むことしかしないよ 小説で文章読んでいれば勝手に文章を読める脳になるから、
そうしたら現代文なんて簡単だからって。その頃から現代文は比較的好きだったのかもわからない。真相は本人に聞かないと分からないけれど。札幌山の手高校始まって以来の、最初で最後の、偏差値33の地方の私立高校から、東京の名門 偏差値63の立教大学に受かった瞬間だった。
しかも、あれだけ暴れん坊で、手のつけられなかった喧嘩番長「山高のタイガ」は 立教大学に合格した。僕と荒谷は同じタイミングで東京に上京して、東京でも大学時代 何度か遊んだ。あいつはすごく真面目に過ごしていた。新卒で僕はインテリジェンスに内定して、あいつはアパマンに内定していた。
社会人になってからは気づくとお互い、サラリーマン生活があまりにも忙しくて、疎遠になってしまっていた。今は新潟にいるらしい。子供も3人いると聞いている。
最後に会ったのは24-25歳くらいかな。それでももう17年も前の話になる。
山高のタイガ 元気にしているのかな?
今も飛び抜けた握力と分厚い手のひらを持っているのかな。次に会う時は 俺たちの地元 西野でですね。つぼ八にでも行きましょう。積もる話がありますね。サッカー部の仲間も呼んで。
人生100年時代らしいからさ。俺たちはまだ言うて半分も生きていないからさ。これからの50年間について酒を酌み交わしながら語ろうよ。
なあ 山高のタイガさんよ。

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