My favorite things〜私のお気に入り〜SHOWA (3)音楽との出会い・自分史part1

 今回は、自分史として、音楽全般との出会いのことを記しておきたい。

 大学時代に、先輩から紹介され、TBS(ラジオ)の「音楽(レコード)資料室」で、アルバイトをしていた。実は、この「音楽資料室」や報道部などでアルバイトをしていた大学生たちが集まって作ったのが「ぴあ」であると、先輩から聞いていた。TBSのバイトで知り合った中央大生の矢内廣(現・代表取締役)さんと東大生のYさんがリーダーとなり立ち上げ、最初はライトバンに乗せた冊子を、都内で手売りしながら回っていたという。この「音楽資料室」でのアルバイト(半年契約で、更新はされない)のあと、「ぴあ」でもバイトをさせていただいた。当時の「ぴあ」は、お金がなく(私が勤めた当時は、神保町のマンションの一室を借りていた)バイト料の代わりに、劇場招待券を現物支給でいただいた。それでも、嬉しい思いで、映画館のスケジュールの原稿起こしをしていた。私は、Yさんと気が合い、卒業したら、ウチに来ない? とまで言われたのだが、Y さんが、その後、矢内さんと会社の運営方針で衝突し「ぴあ」を去ってしまった。私はYさんと親しくしていたことで、矢内さんとは距離が開いていた。我が、悔やまれる人生の別れ道だったのかもしれない。 

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閑話休題…TBSのレコード資料室でのバイトは楽しかった。仕事は、受付での膨大なレコードの貸し出し管理で、希望されたレコードを奥の倉庫から持ってくる。逆に、返却されたレコードを倉庫の棚の所定の場所に戻す。いわば、レコード図書館の司書だ。そして、何より嬉しいのが、バイト中、受付のBGMとして、奥の倉庫から、自由に好きなレコードを持ってきてかけて聴いて良い、とのことで、手当たり次第にレコードを聴きまくった。今なら、Amazon musicなどを使えば、古今東西のあらゆる音楽を居ながらジュークボックス的に聴くことが出来るが、40年も昔、これは実に恵まれていた。

最初は、流行りのフォークや歌謡曲(ガロ、井上陽水、チューリップ、天地真理、アグネスチャン…)を聴き、また「原子心母」でファンになったピンク・フロイドを聴いていた。そのピンク・フロイドの新作アルバム『おせっかい(Meddle)』のなかの「エコーズ」をかけていたら、入室してきた美人の女性ディレクターから「綺麗な曲ね。何てグループの曲?」と声をかけられ、緊張しながら、ピンク・フロイドのことをかなり喋った。すると、美人ディレクターから「音楽が好きなのね」と言われ、舞い上がった。このディレクターが、次に来た時には、より親しくなりたい(下心?)思いもあり、逆に「聞いた方がいい、クラシックやジャズの名盤」を尋ねて、メモをした。

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当時は、ジャズやクラシック音楽には疎かった。クラシックでは、カラヤンの名前は、無論、知っていたが、フルトベングラー、マゼール、ムーティ、ベームやアバトといった名指揮者を知らされる。しかし、やはり唯一無二はカラヤンで、カラヤン・フェスティバルは、今てもお気に入りの一つだ。

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ジャズでは、キラ星の如く輝くアーティストたち。マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、ビル・エバァンス、オスカー・ピーターソン、ソニー・ロリンズ、マッコイ・タイナー、キース・ジャレット、ハービー・ハンコック…言うまでもなく、いずれも「私のお気に入り」だ。あえての一枚は、奇跡の名盤と言われるオールスター参加の「カインド・オブ・ブルー(マイルス・デイビス)」となる。

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これは自論(他にも唱える人も多いが)だが、クラシックの名指揮者も、ジャズの名アーティストも21世紀にはもう現れないだろう。重ねて言えば、映画の世界での巨匠(監督)も21世紀には出現しないと思う。そう、だから、昭和(20世紀)の最高峰のコンテンツを享受することが出来た我々は実に幸せなのだ。

自分史に繋がる「私のお気に入り」。音楽には、この後、展開がまだあり、章を改めて書き綴ろう。


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