見出し画像

武人の語り場(2):イガリ様

みなさんはクマでしょうか。私は梧桐です。

武道・武術・格闘技に関わる人たちに話を聞かせてもらうという企画、今回は第2回です。
この対談はチャットか電話での記録を一部加工して掲載し、本人の許諾を得たうえで掲載しております。文中、個人の敬称は一部省略しておりますがご理解ください。

今回はイガリ様へのインタビューになります。

第2回: イガリ 様

梧桐:どうも。Twitterではいつもお世話になってます。対談のお時間いただきありがとうございます。よろしくお願いします。

イガリ:よろしくお願いします。

梧桐:それではいつも経歴からお伺いしてるのですが、武道・格闘技に関するきっかけをおしえていただけますでしょうか。

イガリ:最初は中学でいじめられてたからですね。普通に腕っぷしが強くなりたいと思っていました。それで流行っていた極真空手を考えたんですが、親に反対されまして。ケンカのために習う、チンピラ・やくざのためのものという印象があったらしく。

梧桐:私も同世代ですので覚えてますね。ケンカ空手って言われてましたもんね(笑)

イガリ:そうなんです。それで結局、高校では空手部に入門しましたね。日本空手協会でしたが、全高連では全空連ルールの試合に出てました。協会では相当厚く(痛く)当てるけれど全空連では強打は反則になってしまうし、6ポイント差で決着です。ギャップに悩んだりしましたね。でもそのまま強くなりたいという思いが膨らみ、スポーツ推薦で進学しました。

梧桐:スポーツ推薦! すごいですね。空手は柔道剣道より実績として認められにくいわけですから、かなり実績を上げたのでは。

イガリ:主将でしたし、全高連の個人戦では東北大会までいきました。全空連公認も協会も初段(※)を取りました。

※ 空手は会派ごとに発行する段位と全空連という統括組織の一つが出す公認段位がある。

イガリ:で、そのあと進学してからも空手部にはいりましたが、そこで妙なことになりまして。上級生よりも下級生のほうが強かったんです。インターハイに行った人とかもいたので、組手は1年生の方が強かった。上のいう事が絶対正しいという空気があったので、パワーバランス上いろいろとまずかったんですよね。

そこでほかのものをやろうかなと思って、自衛官との人脈がありまして、銃剣道と日本拳法をやりました。日本拳法の大会に出て、こっちは学生なのに相手は自衛官とかありましたね。現役の自衛官は強かったです。割いている時間も違うし、学生時代に勝ち残った人が出てきてますからね。

梧桐:日本拳法ですか。ハードスポーツですよね。

イガリ:かなり鍛えられましたね。ただ、結局若かったので結果には結びつかなかったのと、それから先生に学生のころは強くなりたいならいろんな経験をするようにと言われまして、イップ・マン系の詠春拳と李書文系の霍氏八極拳を習いに行きました。潮田先生(※)のところへ直接面接に行ったりしましたね。切りかえて、2、3年くらい中国武術やりました。

※ 東京中国武術協会の指導員、潮田強先生のこと

それからは総合です。スーパータイガージムでシューティングをやりました。

梧桐:ふむふむ。

イガリ:そして就職ですね。紛争や軍事に関係のある勤務になりまして、就職してからはコンバットシューティングを米海兵隊にならい、その教官になりました。紛争地の復興支援などに参加し、その経験を通じて、日本でも海外に通用する格闘・白兵訓練をする組織を立ち上げました。準備要員が10人くらいで、なにもないところからデザインしてトレーニングも全部自分でやる感じです。

梧桐:ちょっとまってください。さらっと言ってますけど、ものすごい経歴じゃないですかこれ(汗)。

イガリ:うーん、いやまあ、それは(笑)。で、その経緯を通じていろんなところに教わりにいって、ノウハウがないので、海外などで実戦を経験している人とのめぐりあわせが必要になりまして。稲川さん(※)にも支援をもらえることになりました。

※ 陸上自衛隊の中央即応連隊の指導、映画Re:Bornの戦闘技術指導などで知られるゼロレンジコンバットの創始者、稲川義貴さんのこと。

梧桐:稲川さんもと交流があるんですね。格闘技からかなりはなれて軍事関係に近づいていくイメージですね。

イガリ:はい。そんな流れの中、スカウトという技術も身に着けました。とある方からネイティブアメリカンの追跡術や傭兵、ナイフコンバットを含めた技術を教わったりしました。また、そうした関係から至誠館へも通いました。

梧桐:明治神宮にある武術道場ですよね。なんというか、もう日常が全て軍事・武術関係で埋まってる感じですよね。

イガリ:そうです。ただ、その後、別の組織に行ったら武道をやる理由がなくなってしまいました。

梧桐:え、それはどうしてまた?

イガリ:基本的にこうした武術、格闘術は必要に迫られてやっていたもので、好きでやってたわけでないのです。職業上のものですからね。海外なりに行ったり、そういう特殊な仕事のために従事する手段というわけです。なので、普通の職場にいったら、ものすごい違和感がありました。

梧桐:あー、なるほど。

イガリ:日常になじめない中で、いろんなことを考えるようになりました。ツールとしてやっていたので、自分の中に基盤がないと思って、生きてる実感を求めて武道・武術を続けたくなりました。それを求めてちゃんとした武道を習いたいと思っていて、さまよっていたのですが、そこでパワハラで抑うつになってしまいました。

梧桐:そうなんですか? しかしその経緯の人に対してハラスメントというのも、ずいぶんまた変な上司に当たってしまったのですね。

イガリ:うーん、まあその時の職場も地方だったんですが、殿様みたいな上司で、当てつけられたましたね。精神的に弱くないと思ってたのにそういう病気になってしまって、自分でもすごく驚きました。そのころは柳生心眼流を始めていた時期だったのですが、できなくなってしまって。

梧桐:はい。

イガリ:結局、地元の青森に移りました。かつての先輩だった上司に面倒見てもらって、具合は悪いんだろうけど、もう一度診断してもらったら、となりました。そうしたところ、医者に今度は単なる抑うつではなくて、PTSDだよと診断されました。これは日本人では例が少ないようです。脳が常に緊張状態になっていて、平時の生活になじめないような作りになってしまうのだそうです。

梧桐:聞いたことがあります。映画、ランボーで主人公がかかっていましたね。二次大戦直後やベトナム戦争後のアメリカ人が罹患したと聞きます。

イガリ:まさにそれでした。生活の核心がそうした直接的に生死が関わる仕事だったので、それが空洞化してしまったということでした。ところが今度は地元で武縁があって、修武堂で卜傳流剣術をされている小山隆秀先生にお会いして、あとまあ気晴らしにツイッターを始めて、梧桐さんもご存知かと思いますが、ショーグンさん(※)にあって、これまで積みあげてきたものが役に立つのだと実感しました。治療も順調に進んで、おかげで回復しました。

※ ショーグンはハンドルネーム。ジークンドーなどの経験者。

梧桐:そして現在に至る、という感じですね。回復されてなによりです。

イガリ:武道との関係で言いますと、太気拳の立禅をやっていたのですが、これが回復の手助けになりましたね。力が湧くんです。これは医学的な行動療法とも合致しているとお医者さんに教えていただきました。経歴はだいたいそんなかんじで、私にとっての武術の位置づけには大きな変遷がありました。若い時はスポーツでしたが、途中からツールとしてあつかうようになってきていたので、職業としての武術から離れてからは、鍛錬することを通じて生きる力を持つことに役立つと感じました。

梧桐:ありがとうございます。いくつかお伺いしたいのですが、まずプロとして武術を使っていた立場からのご意見として、私どものようなプロではない人間が武術を学び武力をつけることについてどう思われますか。

イガリ:そうですね。本人が充実するのであればいいとは思いますよ。ただ実際に闘争、護身となると、自分の人生、命を見つめる過程で強くなることのほうが重要じゃないでしょうか。それに強くなれたら、今度はそういう自信をもってしまうことでリスクに首を突っ込みがちになるので、自分がどの世界に行くのか、しっかり意識を分けることも大事でしょうね。暴力を味わいたいという感覚があるのであれば、試合とか、そういう方法が用意されていますし、そこでまた様々な気付きがあると思います。

梧桐:肉体的なピークを過ぎてからの武術について、意味はあるとお考えでしょうか?

イガリ:武術はフィジカルだけではない、トータルなものなので、年を取ってからでも可能かなと思います。機能的なトレーニングなので、強度も年齢に応じて変えられるし、自分にあわせて鍛錬するということができるかと。

梧桐:女性や老人がやることについても同じようにお考えでしょうか?

イガリ:はい、価値はあると思います。ただ、実生活に生かすという意味では、葛西先生(※)の間接護身入門などにあるように、リスクをコントロールする考え方をちゃんと教えるほうが役立つのかなと思います。

※ 全日本競技推手連盟の葛西眞彦顧問の著書「間接護身入門: 本当に大事なものを護りたい人が知っておくべきこと」のこと。

梧桐:たしかに。私も買いましたが興味深く読みました。これまで様々な有名な先生の名前が出てきましたが、その中でも尊敬されている方を教えていただけますか。

イガリ:そうですね。荒谷卓先生です。至誠館を辞められてから、今は熊野で自分の道場を開いて武道を普及されています。

梧桐:荒谷先生、もともとはなんの武術をされていたんでしょう?

イガリ:鹿島神流ですね。剣術の。もう一人、尊敬する方は稲川さんですね。

梧桐:うーん、やはりですよね。ありがとうございます。ではミーハーですいませんが、得意技はなんでしょうか。

イガリ:そうですね、立禅(※)です。

※ 立ったままやる瞑想法。座禅の対義語として日本人が命名しており、武術の練習方法として主に知られ、站樁(たんとう)と言うこともある。それ自体が攻撃に使われるわけではなく、準備体操として位置付けている道場もある。

梧桐:立禅! 意外な答えですね。

イガリ:これは冗談ではなくて、立禅の時の精神状態というか、感覚の切り替えが非常に重要だと思っています。スポーツ選手のいうゾーンにも似ているかもしれない。スカウトの最中にもそういう状態になることがあり、後天的に身に着けられるものです。練習するとその状態になれます。

梧桐:なるほど! これは面白い意見をいただけました。最後にですが、試合や大会、実戦でもいいですが、その技術を使用した思い出のエピソードなどがあればお聞きしたいです。とはいえイガリさんの場合は、生死が関わるものもあるかと思いますので、軽くお聞きしてよいのかわかりませんが……

イガリ:うーん、そうですね。海外で、警戒する際に視野を広く保つというのは常時使ってましたね。また、モンゴル出張の際、ウランバートルで強盗にあったのですが、フラッシュライトで切り抜けることが出来ました。フラッシュライトでダメならゼロレンジコンバットの制圧技術で切り抜けようと思っていました。

それからアフリカやタイなどで興奮した住民の方に掴まれた際、相手を逆上させずにその手から離れるなど、地味ですがよく使いました。

梧桐:護身術関連の人からはよく聞く話ですが、ライトは有効なんですね。それにしてもよく使っていました、ですか……さすが経験が違いますね。

イガリ:ライトは、触れずに制圧出来るので、感染症などのリスクも考えられる海外ではかなり有効です。海外の市役所的なところで働いていたんですが、生活改善の抗議の矛先や雇用の要求などが結構ありました。住民とはいえ生活がかかってるので日本とは勢いが違い、逆上させると身に危険が及ぶような状況でした。

梧桐:大変珍しく、また実生活にも関係性の深いお話をいただけました。ありがとうございます。

イガリ:はい、ありがとうございます。

イガリさんはスポーツから職業、そしてその後自分の人生をみつめて豊かにしていくという形で武術・格闘技に関わってきました。特に職業上の経験として困難にチャレンジすることは多かったかと思いますが、それを乗り越え、武術を自分の中で基盤にしていこうとした、という言葉が印象的でした。
第二回も有意義なインタビューとなりました。深く感謝いたします。

ではでは。梧桐でした。

クマを素手で倒すためにサポートをお願いします。