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「死」とは何か “あの世”と“この世”

西城秀樹さんが亡くなった。

それから女優の星さんも亡くなった。


世間の「死」のイメージは固定されている。

暗いもの、怖いもの、そして悲しむべきもの…。

誰かが死ぬとメディアは視聴者に「悲しめ悲しめ」と煽り立てる。

遺族は時に、悲劇に見舞われた哀れな主人公にされる。

また、その「主人公」の役に酔いしれる者もいる。


死ぬと大切な存在が、自分が知らない恐ろしい所に連れ去られてしまうと感じている人は多いのかもしれない。

しかし「死」とは本当に恐ろしいものなのだろうか。


去年の九月、私の家族のウサギが旅立った。

あの日から、私の「死」のイメージは以前のものとは全く異なるものになった。


最期の時、彼女は苦しんで喘いだ。

私とパートナーは涙と鼻水でグチャグチャにしながら体をさすり、励ました。

「このままずっと一緒に暮らしたい」という思いはもはや消し飛び、

「よくがんばったね、もう楽になっていいのよ」と全身をさすりながら彼女に言った。

そしてついにその時が舞い降りた。

咄嗟に彼女を抱き起した瞬間、彼女の大きな瞳が私を焼き付けるように見開き、呼吸が止まった。

夜中の1時43分。

それは自分でも初めて聞く声だった。

アイドルがちょっと泣くと”号泣”と騒ぐが、その時の私の泣き声は本物の”慟哭”だった。


翌朝、不思議なことが起こった。

ソファで泣きながらウトウトしていると、

「ズガーン!」とものすごい音がして、私は本当に飛び上がって起きた。

北朝鮮のミサイルが直撃したのかと一瞬思ったほど。

しかしそうではなかった。

ソファの前に飾ってある大きな絵が床に落ちていた。

その絵は今の家にパートナーと住み始めてすぐに購入したA3サイズの絵。

専用の頑丈な紐でしっかり固定してあり、6年間一度も落ちたことなどなかったのに、紐が切れていた。

私は彼女がやった、と直感で感じた。

そこに彼女が居る。その時だった。

「私、ここにいるよ!」と言葉でないメッセージが体中に響いた。

「なんでそんなに泣いているの?あたしはこんなにどこでも行けるようになって超楽しいのに!」

彼女の言葉ではない思いが流れるように入ってきた。

それから数日、ふとした瞬間にメッセージが届き続けた。

彼女が一貫して伝えてきたことがある。

それは「死は悲しいことではない」ということだ。

彼女の体は消滅した。

でも魂は確かに生き続けている。

触れられる体はなくなったけれど、目に見えることはないけれど、

魂は確かにそこにあるのだと見せられた。


この経験で「あの世」と「この世」の仕組みのようなものを私なりに理解した。

「死」とは消滅ではなく、あの世に生まれ変わるという事なのだと知った。

だから死んだ日は私にとっては「リ・ボーン」、「あの世でお誕生日おめでとう」なのだ。

この世での役目が終わり、ひと段落してあの世に再び生まれる…

寂しいけれど、悲しいけれど、「お疲れ様」でいい。

あの世で先に旅立った人たちが迎えてくれる。

今を生きる私たちもいずれその世界に行き、必ずまた会える。

だから心配はいらない。


身も心も軽くなってあの世で生まれ変わる。

それが「死」。

一つの小さな命が教えてくれた。

それを教えるために私の子になってくれたのかもしれない。

とにかく長らく私を支配していた「死」に対する恐怖は私の中から消えたのだ。


ちなみに落ちた絵はこれ↓だ。

渡辺宏氏の、2匹のウサギの絵。

彼女は最後までやってくれた。

その命の名前は”さくら”。

可愛い、粋なことをするウサギである。

さくらのお陰でペットロスになることなく、

今、新しい命が私のそばにいる。

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