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Twitter(X)を「やめる人」に関する一考察

長年SNS(てかほぼほぼTwitter(X)の事なんだけど)をやってるとある不思議な現象に出くわす事がある。
その第一位に君臨する現象が【「Twitter(X)を金輪際一切やめます」とかわざわざ宣言する人に限って100%の確率で戻ってくるし、逆に全くやめるだなんだ前触れが全くない人に限ってパタっといなくなるあの謎現象】である。

いや、でも「謎」とは言ったものの前者はなんとなく事情的に理解できる気がする。要するにその人の心理構造はズバリ「かまってちゃん」で「え?なんでやめるの?」「寂しいです、続けて下さい。」などのリアクションがあるかどうか確認したいだけの事。これを例えれば恋人同士の愛情確認的なやつ?に近いものだろうがそう考えると心底ややこしい&めんどくさい&鬱陶しくなってくる。しかもこういうことやってんのって自分の身の回りの経験上別にティーンエイジャーの若い女の子とかじゃなくて結構な年季の入ったいわゆる「おっさん」や「おばさん」らが拗らせてるんだからますますタチが悪いのだ。
で、私などは元々性格が悪いので(☠️)その種の「拗らせBBA」や「かまってGGI」らの無駄に濃い情念と加齢を帯びた腐臭を帯びて放たれる「辞める辞める詐欺ツイート」に対峙した時大抵「ふーん、じゃさっさとやめりゃ良いじゃんかよ w」かなんか密かに思ってサッと蓋をして当然そいつには何のリプライもせず、早よやめんかい、てな感じでいつ辞めるのかほくそ笑んでワクワクしてたりするんだけど(☠️)世の中には博愛主義の優しい優しい世界の人々がいるもので「え、〇〇さんのツイート大好きなのに、やめないでください!」「△△さんがTLにいないと寂しいです!」と引き止める輩も数名は必ず一定数いるものである。
てか、まあそういう現象自体も個人的には大いに謎なんだけど。
でもあれそういう引き止める種の人がいなかったらどうなるんだろう?とか思ったりもするが「拗らせBBA」や「かまってGGI」等は当然大丈夫なのだ。そう言う場合「〇日間Twitterから離れてみて思い直した結果寂しいのでやっぱり戻ってくる事にします。」とか(誰も聞いてねえのに)自己完結してケロッと復活したりしてたりするものだ。
もう結論としては「勝手にやっとれ、もう知らねえよ w」というのが前者の件だが今回最大の謎は後者の「前触れなく消滅するパターン」である。これは本当にSNS七不思議であると断定しても良い。この件について無謀にも真剣に考察してみようと思う。(注:あ、ここでは消滅するアカウントの人は「今現在生命体として生きている人の運営している」ものである事を前提とみなします。)
 正にこれは岡崎京子『リバーズエッジ』のテーマではないが

「惨劇はとつぜん起きる訳ではない。そんなことがある訳がない。それは実はゆっくりと徐々に用意されている、進行している。アホな日常、たいくつな毎日のさなかに、それは。そして、それは風船がぱちんとはじけるように起こる。ぱちんと弾けるように起こるのだ。」

岡崎京子『リバーズエッジ』

って事で正に風船がぱちんとはじけるようにアカウントが停止するって事なんだろうか?でもなんとなく想像するにSNSなりTwitter(X)に対するわだかまりみたいなのはその人の中で表立って出さないものの蓄積してあってなんとなくその人の中で密かにカウントダウンが始まっていて何かのタイミングがその人の中にあってそれが来たらふっと消えていくのだろうとも思ったりする。しかも周りから詮索されないような絶妙なタイミングってのがあるのかもしれない。その抜け殻になったアカウントのラストツイートを見てみると絶対次がありそうな些細な内容だったりするし案外それが狙いだったりなのかもしれない。
で、その前者の「辞める辞める詐欺」はどうでも良いからほっといて(ほっとくんかいw)後者の「ふっと消滅パターン」な人らがしばらくツイートもないが為にシレッと戻ってくる事に周りから逆に注目浴びずに(てかこういう時に「久しぶりです!おかえりなさい!戻ってきたんですね!心配してましたよ!」みたいにリプするデリカシーのない奴が絶対いるんだよなあ、そういうノリが嫌で一旦SNSから遠ざかろうと思ったんだと思うよ...)。
で、そう言う一旦抜けた人が万が一Twitter(X)に新アカウント作ったりせず誰にも詮索されずにふっと戻って来たいと思った場合どうすれば良いのだろう、とお節介ながら考える事にした。
そんな都合の良いものなどあるのだろうか?

……………..あります!
なんの当たり障りもなく誰からも詮索されず極めて自然でふわっとTwitter復活できる唯一の手段があるのです。

そう!ズバリ「ラーメンにまつわるツイート」である。
それはもう店舗で食ったものであろうがカップ麺だろうが何でもいい。
あとそれが究極うまかろうが不味かろうが豚骨だろうが味噌だろうが塩だろうがどうでも良いのだ。もうテーマがラーメンであればいいのだ。「ラーメン」と発してみよう。
「ラーメン」「らーめん」「らう麺」「らぁめん」
この言葉を発した時の響きの持つ平和さや牧歌的さなニュアンスは異常である。
もうこれほどまでにキャッチーなのに自然でしかも当たり障りのないテーマのツイートが他にあろうか?
これが高そうなフレンチとか叙々苑の焼肉とかだとわざとらしさってかあざとさが出てしまいそうだし、かといって他のB級グルメであるカレーやうどんやそばなどだと「なんか違う」のだ。ここはもう「ラーメン」が絶妙なのだ。

こちら、生産自体を辞めてしまったラーメン、いや、らあめん

で、今日の結論
「Twitter(X)を休みたいけど浮上する時期を逃しそう。」
という人へ、休みたい時は休めば良い。
もし、浮上時期に迷うならは格好のネタがあるでは無いか。
当たり障りもなく、キャッチーでさりげなく復活できるネタが...
そんな時にこそのラーメンツイートだ、とか言って既に前者タイプの「拗らせBBA」や「かまってGGI」 らがTwitter(X)の復活に常套句として既に使いまくってたりして🍥


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