#15 厚生年金の財政方式の変遷
前回(#14)は厚生年金の財政方式が積立方式、すなわち平準保険料方式で出発したことに触れたが、今回はその後の変遷をたどってみることにしよう。
昭和29年の改正で、厚生省(当時)は平準保険料率を法律に規定することを提案したが、労使の強い反対に遭った。そこで段階的に保険料率を引き上げる計画を作ったうえでこの計画を法律に規定することを提案したが、これも反対されたため、その打開策として当面はこれまでの保険料率を据え置くが、少なくとも5年に一度、保険料率を見直す、とする財政再計算規定が厚生年金保険法に盛り込まれたのである。
こうした経緯から、昭和29年以降しばらくは平準保険料率をまず計算したうえで、その結果をもとに実際に法律で規定する実行保険料率をどうするかという議論が行われた。このときはまだ年金額を賃金や物価の上昇に応じて自動的に改定するスライド・再評価の規定がないころであるから、平準保険料は賃金や物価の上昇を織り込まないで計算されていた。
ところが昭和48年改正でこのスライド・再評価の規定を導入することが検討されたため、これまでのように平準保険料率を計算したうえで、実行保険料率を決めるというプロセスの意味が薄れることになった。そこでこのときとられた方法は、賃金・物価の上昇を織り込んで将来の給付費の見通しを作り、その給付を賄う保険料計画を作成したうえで、当面の実行保険料率を決めるというものであった。この方法はその後の年金財政見通し作成の原型となるものであるが、この保険料計画作成のもとになる基本的な考え方は、当時は模索段階にあったといえる。
昭和60年改正に至り、基礎年金制度の導入が検討されるとともに、公的年金の世代間扶養の仕組みがクローズアップされることになる。こうしたことから、昭和60年改正のもとになる昭和59年の財政再計算では、賦課方式への円滑な移行という考えが打ち出されることになった。その当時、長寿化は意識されていたが少子化はまだ意識されておらず、賦課方式にソフトランディングしても支障はないと判断されたのである。
ところが、平成6年財政再計算以降は、長寿化とともに少子化の進展が認識され始め、その場合にも、給付の十分性と財政の安定性の確保が求められた。このとき打ち出されたのが、積立金の運用収入を活用する財政運営であり、これにより給付の十分性を保つとともに、将来世代の負担に配慮した制度の持続可能性を維持できると判断されたのである。
平成16年改正により保険料計画が法定され、厳密な議論をすれば財政方式の概念が当てはまらなくなったが、財政運営において積立金の運用収入を活用する点は同じで、給付の十分性を保つことや、制度の持続可能性を図る考え方に変わりはない。
このように、制度や社会経済環境の変化に対応して、普遍的な部分を残しつつ財政方式の考え方も組み立てられてきたと言える。
[初出『月刊 年金時代』2008年8月号(社会保険研究所発行)]
【今の著者・坂本純一さんが一言コメント】
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