とめ、はね、はらい
「誰も人の人生変えてやろうなんても思って生きてないべさ」
うつ病で休職した私に、じっちゃんがそう言った
私は気負いすぎたのだという
目の前にいる全ての人の人生が私に降りかかってくるような気がして、仕事を休むという概念がなくなった
今時うつ病なんて珍しくない
誰でもなるものだ
仕事は苦しいけど、楽しかった
中小企業の中は名乗れるであろう会社だったが、
私の支店は10人しかいなくて
その業務のほとんどが、支店内で完結するから
もはや小企業だった
時々来る尋人の相手をするのも私だった
やれ、旦那が今日も臭いだの、
近所のバーベキューがうるさいだの、
置き勉のできない学校なんてだの、
そんなくだらない尋ですら、
人の人生がかかってくる気がした休職間際
ある日、1人の書道の先生とお話しする機会があった
人生は書道と一緒だと主張していた
一枚の紙の上で、それぞれの文字に色んな「とめ、はね、はらい」がある
作業として鍛錬するには同じ名前のついた作業だが、それぞれのそれには個性があって、たくさんの表現ができる
お皿洗いも、仕事の選び方も、休日の遊び方も、心の持ちようも、名前のついた作業のようで、その実態は個人に全て委ねられる
食洗機で洗ったっていいし、泡なんかつけなくてもいい、週5ではたらかなくてもいいし、隣の県までキャンプに行ったっていい、隣の人に卑屈になったっていい
だが最終的に、お皿は綺麗に乾いていたほうがいいし、暮らすためにはお金が食料が必要だし、寝なければ動けないし、恨み辛みは楽しくない
だから、何事も程良くとめて、
私の場合は仕事をすることをとめたけど、
日々の物事に心をはねあげて、
穢れをはらっていく
多分書道の先生はもっと違うことを言っていたけど、もう何も思い出せなかった
私が休職していても、あの小企業は動き続ける
きっと錆びて行くところもあるのだけど、
何処にも私がいなくたって世界は回る、
だけど、誰もいなくたって世界は回っている
墨をするように、全て水に溶けて無くなるまで
私は生き続けなければならない
「じっちゃん私、青森でりんごが食べたい」
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