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2020/12/06: ロシア音楽を学ぶ会

2年前くらいから、ロシア音楽に興味があって勉強はしたいけれど、どこから入ればいいのかわからない、という初学者〜中級者(?)の方のために(+自分の見聞を広めるために)、ロシア音楽に関する文献を輪読する勉強会を開いています。名前は「ロシア音楽を学ぶ会」です……が、もっとキャッチーな良い案を随時募集しています。
活動している2年の間に、就職や論文なので従来のメンバーがなかなかいらっしゃれなくなったりなんだりで従来の人数が少なくなってきたので、本来の立ち上げ意図に立ち返り、広く参加者を募ったところ、たくさんの方に興味を持っていただけました。感謝申し上げます。
今回から再始動、という気持ちで、勉強会で読んだ論文やそこから得た学びや批判をここでまとめたり、そこから発展的に考えたことを記しておきたいと思います。

もしご興味がある方は、Twitter@n_n_m__gまでリプライかDMをいただけると嬉しいです。

梅津紀雄 2018 「伝記史料とイメージ操作:20世紀ロシアの作曲家の自叙」(『自叙の迷宮:近代ロシア文化における自伝的言説』)より前半部分

今回読んだ論文はこの本に含まれています。

筆者によると本論の目的は、20世紀のロシアの作曲家を例示しながら、作曲家の自叙のありようを分析すること。ここでいう自叙は、論文集全体のテーマになっている重要なキーワードで、具体的に論中で自叙として対象になるのは自身や自作についての言説(インタヴュー記事など)、自伝、日記、回想、書簡等だという。

他の論文が主に文筆を生業とした詩人や小説家の記述や、そうでなくても文章による自己表現/自己に関する記述としての自叙に焦点を当てているのに対し、梅津の論文が興味深いのは、文章執筆とはほんらい直接的には関係のない職業である作曲家の自叙に焦点を当てたところだろう。

ここで思うに、ジュネットの「パラテクスト」(テクスト本文ではないがテクストの外部とも言い切れない、媒介的機能を持つテクスト)概念を、筆者の目論むとおりに作曲家の自叙の問題に導入するのは若干不自然さがあるように思われる。梅津は作曲家によるテクスト本文が、「楽譜」である、と規定している。

ジュネットは著書『スイユ』において、作者名、タイトル、紹介寸評、献辞、エピグラフ、序文、注、解説、インタヴュー、日記、書簡など、テクスト本文ではないがテクストの外部ともいい切れない、あいまいな領域にある、一種の媒介的機能を持つテクストをパラテクストと定義して、分析の対象とした。そのうち、タイトルや献辞など書物に含まれるものをペリテクスト、日記や書簡など書物に含まれないものをエピテクストと命名した。作曲家の場合には、書物を楽譜と置き換えて検討することができるだろう
(梅津 2018: 220、太字は引用者による)

これはかなり限定的な規定だ。ここで疑問。そもそも文学作品に対する定義を音楽作品にそのまま移植していいのか? 文学作品と音楽作品は存在論的に異なるカテゴリなはずだ。しかも、梅津の論はかなり言葉足らずである。まず、楽譜から導出された鳴り響く音はジュネットのどのタームに属するのだろうか? 直観的にはテクスト本文のような気もするが、梅津の定義からすると「楽譜外」のものとしてペリテクストと定められても不自然ではないが、本論ではそれに関して特に何も言われていない。また、ストラヴィーンスキイの節で論じられているのが器楽作品よりもより複雑で多様なファクターが関わり合うバレエ音楽というジャンルの作品(《春の祭典》)なので、さらにジュネットの定義のそのままの援用に疑念が生まれる。

個人的な意見だが、ジュネットをここで引くならば、もう少し音楽に対してその定義がどのように当てはめられるのか、仮説的でもいいので示してほしかった。(個人的には、少なくとも本論の論の流れで「テクスト本文=楽譜」という定義をバチッと定めてしまう手続きは微妙だと思う。)

本論ではその後、20世紀という時代が、後世の自己認識に自叙が強く作用すると認識した時代だと説明され、その認識を生んだファクターとしてモーデスト・チャイコーフスキイによる兄ピョートルの評伝(1900-02初版)、そしてリームスキイ=コールサコフによる『我が音楽的生涯の年代記』(1909年初版)が挙げられている。
(↑この辺の本の初版情報が論文で示されていないのも若干不満。20世紀初頭、という時代の解像度をより高めるためにも、純粋に書誌情報的にも初版年の提示は大事ではないだろうか。)

その上で、本論では3人の作曲家、ストラヴィーンスキイ、プロコーフィエフ、ショスタコーヴィチが扱われる。今回の購読ではストラヴィーンスキイを取り上げた節まで読んだ。

ストラヴィーンスキイの《春の祭典》が、初演時当初の音楽外的な要素がふんだんに盛り込まれたバレエ音楽から認識が変化し、今日では管弦楽曲として広く受け入れられてきた理由のひとつに、作曲者の自叙があるのでは、と筆者は提唱している。この結論はまあ妥当だろう。少なくとも、ストラヴィーンスキイが「この曲はバレエ音楽というよりも管弦楽曲ですよ」とアピールしたことによって、「あ、そうなんだ」と受け止める人が生まれたことは間違いないだろう。

しかし、その戦略がどれくらい管弦楽曲としての《春の祭典》のイメージに貢献したのかは、本論からはよくわからない。また、自叙という主題を持つ論である以上仕方ないのかもしれないが、作曲家の内面とか心情とかよりも、外的要素をファクターとして見れないものだろうか。バレエの一公演(シリーズ)に携わる人の数は当然管弦楽曲よりも多いはずだから、《春の祭典》は管弦楽曲として演奏するほうが小回りが効く。当然各地で演奏されやすいことになる。このような理由からも、ストラヴィーンスキイがこの曲をしきりに管弦楽曲として売り込むのは彼にとって都合がいいはずなのだ。これはほんの一例で、推測にしか過ぎないけれども……。

もう一つ、この節の全体として気になることを挙げておく。筆者はストラヴィーンスキイの言説上の立場の変化(それに伴う嘘・過去の塗替え)と、音楽創作のナショナリズム→新古典主義→音列主義という傾向の変遷とを、「描写的・模倣的な音楽から構成的・抽象的音楽へ」という端的な記述によってまとめている。しかし、ここには、時間的に先行しているのは言説なのか音楽創作なのか、という問題が見落とされている。これは楽譜テクストとパラテクストとの関係性とその歴史的意義を本格的に論ずる際には重要なファクターになるのではないだろうか。この点に関しては、《春の祭典》という過去の作品を読み替えるプロセスにのみスポットを当てた結果として、また本論の射程と紙幅から大きくはみ出る部分ではあるので仕方ないような気もするが、この点に関しては何も示してくれないように読めてしまった。例えば1935年に出版された『自伝』の前後の作品(《2大ピアノのための協奏曲》や《ペルセフォネ》など)、もっとさかのぼって1920年代初頭の作品と比較検討すると面白いかもしれない。それと、この立場の変化をソ連との関係の断絶に関係づけているが、これに関しては因果関係や論じたいの根拠がよくわからないので注かどこかで説明してほしかった。

この節まで読んだ全体的な感想は以上のとおり。まとめると、日本語で読めるケーススタディとしては十分面白く、興味深い記述が多かったが、以上の指摘どおり、それ以前の定義の段階で、また論を進めるにあたってもう少し慎重に検討しても良い事項がいくつかあるのでは、という印象。考えさせられることが多かったです。

こんな感じで論文を読解・理解・批判しながら進めていきます。次回の勉強会は12月下旬を予定しております!興味がある方はぜひご参加ください。

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