見出し画像

禍話リライト「囲まれる」

今はもう三十代半ばを過ぎた横田さんという男性が、中学生だった頃の話だ。

美術や音楽といった選択制の科目で、他のクラスと合同で授業をした……という記憶がある方もいるだろう。そんな美術の授業の時にだけ一緒になる女子生徒がいた、という。
第一印象は、暗い感じのする子だな、というものだった。あまり友達がいるようにも見えないし、おそらく休み時間には独りで小難しい文庫本でも読んでいるのだろう、などと勝手な想像を巡らせるくらいには孤立した雰囲気があった。
が、美術の時間に一緒に作業をしてみると、そういうわけでもないのだと分かった。二言三言かわす間に、ふとこちらを気持ちよく笑わせてくるようなところがある……持ち前のセンスがいい子なのだろう、と思った。そして、そんなところがかえってクラスメイトから浮いてしまっているのだろう、そんな感じがした。
かといってとりわけ仲良くなったわけでもなければ、特別な好意を持ったわけでもない。ちょっと知っている女子以上のものではなかった、という。

「隣のクラスのあの子さ、イジメられてんだって」
ある日横田さんはそんなことを聞いた。クラスメイトから浮いているのだろう、という印象は間違っていなかったらしい。
最初のうちは、一匹狼の彼女を快く思わない女子が、親しく話しかける体で意地の悪いことを言う程度だった。だが、まったくと言っていいほど彼女が取り合わないので、どんどん悪意がストレートな形になっているようだった。わざと体をぶつけたり、不意につきとばしたりするまでになっているという。
「マジかよ、あいつら陰湿だな」
そう横田さんは顔をしかめた。
それから少ししたころには、ますます嫌がらせの度合いが酷くなっているようだった。が、だからと言ってしゃしゃり出るのも憚られる。もし助けを求められたら手を貸すことはするだろうが、おそらく彼女はそういうことを自分に期待しないだろう……という気がしていた。

そんなある日の放課後のことだった。
忘れ物をした横田さんは、あわてて学校へと取って返した。ちょうどテスト前の期間で、課外活動の行われていない学校は静まり返っている。どの教室も闇の中に沈んでいる……と思ったが、そうではなかった。
……隣のクラスの電灯が点いている。
誰だろう、と思った。とりあえず自分の教室から目当ての荷物を回収し、帰り際にちらりと隣の教室を覗いてみた。

あの女子生徒だった。

教室の前半分にだけ電灯を点けて、机に突っ伏しているその背中や後頭部の様子から、それが彼女だとわかる。
最初は泣いているのかと思った。組んだ腕を枕にして眠っているのか、とも思った。が、泣いているわけでも、眠っているわけでもないらしい。よく見ると、机に突っ伏してすらいない。

彼女は机の上に覆いかぶさるように顔を近づけて、ぶつぶつと何かを呟いているのだった。

気持ち悪、というのが正直な感想だった。そもそも自分は静まり返った廊下を小走りにやってきたわけで、足音はかなり響いていたはずなのだ。それなのに、自分に気付いた様子もなく一心不乱に何かを呟いている彼女の様子は異様だった。
「……何してんの」
そう声をかける。知らない相手ではないから、怪訝に思いこそすれ特に躊躇はない。と、彼女が弾かれるように顔を上げた。そこで初めて横田さんの存在に気づいたらしく、顔に軽い困惑と羞恥の色が滲む。よほど集中していたらしい。
「いや別に誰にも言わねえけどさ、何してたの?」
重ねて問いかけながら、隣の教室へと足を踏み入れる。内心、いじめのせいでかなり精神的に参っているのではないか、という気がしていた。
「……コックリさん」
彼女はそう答えた。
一瞬何のことかわからなかった。が、すぐに図書館の本で読んだ降霊遊びのことだ、と思い至る。
……だとしても、彼女の状況は奇妙だった。
「ん? でもあれって確かあいうえお書いた紙とかいるんじゃねえの?」
机の上には何もない。五十音を書いた紙はおろか十円玉すらない。ただ、彼女の人差し指だけがちょうど十円玉に乗った格好になっているだけだ。
「何かこう……いるもんあっただろ。あいうえおとか鳥居とか書いた紙とか。十円玉とか」
「一人だからいいんだよ」
彼女はきっぱりそう答えた。困惑しながらも、そんなものなのか、と思うことにする。
と、彼女が再び机の上に頭を垂れた。
「……それってさあ、何か答えてくれてんの?」
「…………うん」
かなりの間をおいてそう返事が返ってくる。人差し指がつう、と机の上を滑るのが見えた。
「いやつーかさ、お前学校残ってこんなことしてたのかよ。いやお前がいいなら別にいいんだけど、あんまり健全じゃねえっつうか……」
反応がない。彼女は時折、うん、うん、と頷いているが、おそらく自分の言葉に対してではないだろう、と思った。その視線は机の上のありもしない五十音と、その上をでたらめに動き回る人差し指の先にだけ向けられている。
「テストも近いしさ……お前は頭いいのかもしんねーけど……それでもちゃんと勉強しないとダメだぞ。家帰ってしっかり睡眠とってさ」
埒が明かないので、そう言い置いて踵を返そうとした時だった。
がばり、と彼女が顔を上げた。

「えっと……横田〇〇くん、だったよね?」

そう尋ねられた。
……一音も違わず自分の名前だ。
「あ、うん……横田〇〇だけど……何急に?」
やはり答えはない。そっか、そっかそっか、と何かに納得したらしい彼女は、再びぶつぶつと独りごちはじめる。
「なに……いやだから何、なんでフルネーム聞いたわけ?」
状況が呑み込めないあまり、自然と急いた口調になる。構わず彼女は何かを呟いている。が、その中で一言、聞き取れた言葉があった。

──こいつ今、『じっけん』って言ったか? 

じっけん……『実験』。ひどく不穏な言葉だという気がした。
「な……何、何なんだよ人の名前聞いて変なこと言って!」
思わず詰め寄ったその時だった。

でたらめに動いているようにしか見えなかった彼女の人差し指が、はっきりと〈はい〉を指し示している。
もちろん指の先には何もない。けれど、何故かそう確信した。

同時にもう一つ、気づいたことがあった。
今自分たちがいる校舎の外に、何かがいるのだ。
それ──否、それら・・・が、すっかり夜の闇に沈んだ校舎のまわりを駆け巡っている。姿が見えるわけでもない。物音すら聞こえない。けれど、確かな気配の集団が、不可視のざわめきを伴って動き回っている。それはもうイメージを通り越して実感だった。

言葉にならない恐怖が全身に覆いかぶさってきた。何が起きてい
るのかさっぱり分からないが、とにかく逃げなければ、と思った。
そんな感情に突き動かされて、彼女を置いて教室を飛び出す──刹那、あ、駄目だ、と悟った。

……階段を駆け上がってきている。
やはり何の音もしない。けれど、もう気配と言うにはあまりにもしっかりした存在感の群れが、どんどん階段を上ってきているのだ。

──やばい、やばいやばいやばい!

反対側の階段のほうを見た。が、そちらも同じだった。やはり階段を上ってくる。
急速に膨れ上がった恐怖が心臓を叩く。頭に血がのぼって、酸欠になった時のように切迫感にぐらぐらする。相変わらず五感が感知するものは何もない。それらが何なのか、どんなものかもわからない。なのに、どんどん上ってくる。どんどんこの階に近づいてくる。囲まれる。囲まれてしまう──左右ほぼ同時に、この階の廊下へと到達する──


──瞬間、今まで二足歩行だったそれら・・・が、ざん、と手をついて四つ足になった。


「やめやめ」

緊張を打ち破ったのは、そんな言葉だった。
「はいもう終わりー。ありがとうごさいました、っと」
あっけらかんとした声音でそう言いながら、彼女は机から何かを取り上げ、細かく破くような手つきをした。そして大きく伸びをする。
え、何だこいつ、と困惑した横田さんは、そこでやっと先ほどまでの気配が掻き消えていることに気が付いた。自分を支配していたあの緊張感もすっかり霧消してしまっている。それが逆に怖かった。
立ち上がった彼女が帰る用意をしはじめる。
「……帰るの?」
「うん」
「あ、そう……じゃ途中まで一緒に……」
そうして二人連れだって学校を後にした。

が、もちろん、何も聞けるはずがない。ただ、帰る途中にあるスーパーで、ちょっとした飲み物とパンを奢ってくれた、という。
「気を遣ってくれたんでしょうね」
と、横田さんは当時を振り返った。
「実験に付き合ってくれたから、みたいな。まあ、本当に『実験』って言ったのかなんて確認してませんけど」

それから二週間ほど経ったある日、その教室に残って勉強をしていた数人が集団パニックを起こした。何から逃げようとしたのか、そのうちの一人は窓から飛び降りた。ただ、植え込みの上に落ちたおかげで大事には至らなかったそうだ。
とはいえ、それで隣のクラスの雰囲気はかなり沈んだものになってしまったし、学年全体にも嫌な後味が残った。現に、卒業式の時もちらほらと空席があったのだという。


「ほら、卒業式でやる、楽しかった思い出とかを振り返るやつ。呼びかけ、って言うんですかね。普通小学校でやりますけど、俺たちは中学校でもやらされまして……あれの時に、彼女、やたらとしっかり声張ってて……それがめちゃくちゃ怖かったですね……」

横田さんはそう締めくくった。



出典

シン・禍話 第五十三夜 14:01頃~ Wiki掲載タイトル:こっくり譚「狐に囲まれる」

※猟奇ユニットFEAR飯による著作権フリー&無料配信の怖い話ツイキャス「禍話」にて過去配信されたエピソードを、読み物として再構成させていただいたものです。

・禍話 ツイキャスの過去放送回はこちらから http://twitcasting.tv/magabanasi/show/
・禍話 Twitter公式アカウント様 https://twitter.com/magabanasi
・禍話 簡易まとめ Wiki様 https://wikiwiki.jp/magabanasi/

・YouTubeチャンネル「禍話の手先」様 https://www.youtube.com/channel/UC_pKaGzyTG3tUESF-UhyKhQ
・YouTubeチャンネル「『禍話』切り抜きチャンネル」様
https://www.youtube.com/channel/UCW8Olk377xKbXjFY_4p4EUg