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禍話リライト「鬼火」

鬼火、というものがある。
いわゆる怪火現象の呼び名のひとつで、人魂と呼ばれたり、狐火と呼ばれたりもする。
そんな鬼火の話だ。


「ちょっと付き合ってくれないかな」
大学の友人からそう声を掛けられた。
どこに、と訊くと、おじさんの家だという。おじさんの家に自分を連れて行く意味がわからない。怪訝な顔をしていると、遺品を受け取りにいくのだと教えてくれた。
ああおじさん亡くなったのか、と言うと友人は頷いて、こんな話をした。

そのおじさんという人は、あまりいいおじさんではなかったのだそうだ。
時々彼を食事に誘ってくれるのだが、そもそも親戚の間でも評判が悪い人だった。家柄はいいが口が悪く、能力もないわりにかなり横柄なところのある人だった。しかも、同じ男性から見てもさすがに、と思うほど男尊女卑がひどかったという。とはいえ、食事に呼ばれれば親戚づきあいというやつで断ることもできない。
その夏の日も一等地にあるおじさんの邸宅で夕飯をごちそうになっていた。そういう時、おじさんは奥さんのことをひどく貶すことが多かった。奥さんはいつも困ったように「すみませんねえ」と言って微笑んでいる。本当にできた奥さんで、そもそも育ちがいいのだろう、と思わせるところがあった。
季節柄、話題がオバケや幽霊のことに及んだのだという。
「こいつなんてさぁ」
とおじさんが奥さんの方を顎でしゃくった。
「うちなんかにもオバケが出るとかって言うんだよ広いからって」
そうなんですか、と視線を向けると、奥さんはいつものように苦笑のまま小さく頷くだけだ。そんな態度もお決まりの対処法なのだろう。
「ええー、オバケですか……どんなのが出るんですか?」
ちょっとおどけた顔を作って訊いてみると、庭に人魂が出るのだ、という。
「お前は鬼火って言ってたっけなぁ?」
おじさんはにやけ顔だ。
「えー庭にですかあ? 気持ち悪いですね……夜に見えるんですか?」
「そうそう、丑三つ時だかになるとチラチラ見えるってんだよ。燃えるものもないのに燃えてるって、あれは鬼火だって言うんだ……まあ元々頭悪いしなぁ、金で入れるような大学出た女だからね、そんなもの見たりすんだよ」
そんなひどいことを言うのを、はあ、と聞いていた。奥さんはずっと笑っていた。

その夜はそのままおじさんの家に泊まることになった。落ち着かない広さの寝室で、あんな風にはなりたくないな、などと考えていたら、深夜一時を回ろうかという時間になっていた。まさに丑三つ時だった。
と、夜の静寂に甲高い悲鳴が響き渡った。
一瞬誰の悲鳴かわからなかった、という。お手伝いさんもいるような家ではあるが、一体何事だと部屋を出た。
バタン!とドアの開く音。走っていく足音。
見ると、どうやらおじさんが自室から走り出てワインセラーや倉庫がある地下室へと駆け込んだらしかった。そのまま出てくる気配がない。どうしたんだろう、と思いながら、ドアが開きっぱなしのおじさんの部屋まで行ってみた。幸いおじさんと奥さんの部屋は別だ。
……隅々まで磨き上げられた邸宅の中で、その部屋だけがゴミ屋敷のようだった。
一面に脱いだ衣服などが散乱して荒れ放題になっている。状況を呑み込めないまま周囲を見渡す。壁に大きな白い紙が貼ってあって、何かデータのようなものが書き付けてある。おじさんはそんな仕事をしていただろうか、と思ってよくよく内容を確認してみた。

○月×日●●時、庭の□□に見えた。形状:……

そんな文字列が、日付を変えていくつもいくつも無軌道に紙を横切っている。なんだこれは、と視線を移すと、もう少し奥には庭の見取り図が貼ってあった。その見取り図が、何かが見えた位置を示しているらしい無数のピンで埋め尽くされている。

(なんだこれ!)

もしかして今も、と視線を窓の外に向ける。庭には何もない。何もない――誰かが立っている!
うわっ!と心臓が跳ねたが、よく見るとそれは奥さんだった。
「あ、あの……おばさん……」
恐る恐る声を掛ける。すると奥さんは、
「わたしは頭が悪いからよくわからないのですけれどねえ……」
そう言っていつものように困った顔で笑った。
怖い。そう思ったが、その夜はそれ以上何も起きなかった。
翌朝、おじさんは姿を現わさなかった。醜態を見せたとでも思ったのか、見送ってくれたのも奥さんだけだった。
「わたしは頭が悪いからよくわからないんですけれど、何か見えたりしてしまうのかしらねえ……」
奥さんは別れ際にもう一度そう言って、困ったように笑った。

結局、それが元気なおじさんの姿を見た最後になってしまったのだという。
「遺言状でどうしても俺に渡したいってものがあるから行かなきゃいけないんだけど、一緒に来てくんねえかな」
途中で飯とか奢るから、と頼み込まれて、それじゃあ、と同行することになった。
いざ着いてみると、要件はあっさりと玄関口で済んでしまった。その奥さんらしい人から友人が何かを受け取って、どうも……と言って戻ってくる。
「ごめんな、どっかレストランでも行こう。ちょっといいとこでもいいぞ」
そんな言葉に甘えて、いつもより少しランクの高いレストランに入った。友人がまだ沈んでいるので、ことさらにビュッフェではしゃいでみせたりもした。友人の手元にはおじさんの遺品――大量のメモか何かでぱんぱんになった手帳がある。それに目を通している彼の分も食べ物を取って席に戻ると、友人は一層暗い顔になっていた。どうした、と訊くと、
「結局この手帳さぁ、鬼火のこと書いてあるんだ……」
そう言って頭を抱える。
見せられた手帳には、もともとの下手さと精神的な要因との両方からか、乱れに乱れた文字が並んでいた。しかし、読めないほどではない。読んでいくと、鬼火の中に人の顔が見える、という趣旨の記述があった。
さらにページをめくっていく。すると、それがどんな顔かという詳細な描写に行き当たった。
「随分と具体的だな……これ女の顔だろ?」
その言葉尻を捉えるように、

「……それどう考えても奥さんの顔なんだよ……!」

友人が泣きそうな声で言った。
友人が手帳を受け取る時にちらりと見た奥さんの顔が頭をよぎる……せっかくの料理を食べる気がなくなった、という。

奇妙なのは、その手帳の主であるおじさんが、どうやら鬼火の中の顔を自分の妻だと認識していないということだった。わけがわからない。そしてとにかく怖かった。

その家を後にしてから二時間は経った頃、友人の携帯電話に着信があった。二人して着信音に驚きながら発信元を見る。
「……おじさんちの固定電話なんだけど……」
無視するわけにもいかない。こわごわ友人が応答した。
「はい……はい……え?……あ、はい……………………は、はい! そうします!」
そして電話を切る。その顔がまたひどく曇っている。当然といえば当然だが、奥さんからの電話だった。
奥さんはこう言ったのだそうだ。


「大体何を書いてあったのかは分かるのですけれど、それ、焼き捨てていただいても構わないかしら?」


「……は、はい! そうします!」

そう答えるほかなかった、という。



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出典

THE 禍話 第17夜 42:40頃~ 

※著作権フリー&無料配信の怖い話ツイキャス「禍話」様にて過去配信されたエピソードを、読み物として再構成させていただいたものです。

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