ねものがたり⑪ 雨中に凝る

血縁の牛奥某が壮年の折に体験したことである。


秋、雨風の激しい夜のこと、仕事仲間から急な呼び出しがあって出掛け、部下の侍一人だけを連れて番町馬場の近所まで帰って来たところだった。
人通りが絶えるほどの大雨に、強風までが行く手を阻んでいる。それでも提灯が吹き消されないよう合羽で庇いながら先へと進んでいた。


と、道端に女がうずくまっている──ように見えた。
合羽を着ているようだったが、手持ちの傘や頭に被る笠も見当たらない。
……そもそも女なのだろうか、とさえ思った。
どうにも存在が不確かだった。何とも言えない違和感を感じながら、それの側を通りすぎた。


「……何だったか、しっかり確認するべきでしょうか」


少し行きすぎたところで、そう供の侍が呟いた。どうやら彼も同じ違和感を感じていたらしい。
が、まとわりつくような奇妙な感覚はまだ身体のそこかしこに残っている。


「……いや、その必要はない」


そう返した。
ちょうどその時、脇道からふらりと提灯の明かりが現れた。見ると、足軽風の風体の男が二人、今自分達がやってきた方向へと進んでいく。
……二人、顔を見合わせた。そのまま黙って踵を返し、後についていくようにして来た道を引き返す。
やがて、それがいた場所へ差し掛かった。


──が、そこには何もいなかった。


遮蔽物もなく、脇道もない見通しのいい場所である。戻るまでに時間もかかっていない。
どこかへ行ってしまった、とは考えにくかった。


おかしなこともあったものだ、と言い合いながら帰ったが、家の門をくぐるころには耐えがたいほどの寒気に襲われていた。
それから二十日ばかり、瘧──いわゆる熱病で寝込んでいたという。供の侍も同様だった。


熱病の気、とでもいうべきものだったのかもしれない。
雨の中にはああいったものが凝って形を成していることもある、という話だ。


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・「ねものがたり」は、古典文学・古記録などから気に入った話を現代語訳し、こわい話として再構成したシリーズです。
・話としてのおもしろさ・理解しやすさを優先しています。逐語訳ではありませんのでご注意ください。


出典
根岸鎮衛『耳袋』巻之四より「番町にて奇物に逢ふ事」


底本
根岸鎮衛著、長谷川強校注『耳袋 中』1991年3月18日初版 岩波文庫