ねものがたり⑬ 納戸の中

寛政六、七年頃のことである。
江戸、番町に屋敷を構える千石取りの旗本家があった。おそらく良家であっただろう。家柄相応に主人も格式を踏まえた人間だった。
その娘というのが当時八歳の可愛い盛りである。ちょうど隣家に物乞いの人々が来ていて、三味線を弾いたり歌を歌ったり、楽しげな物音を立てていた。娘が見たい見たいとせがんだが、厳格な奥方が許すはずもない。軽々しいことを言うものではない、と叱られて、それでも娘が諦めきれずに屋敷内を走り回って庭へ出ようとするのを、乳母が追いかけた。それをうるさがるように娘は納戸へと駆け込んだ。

あらあら、とばかりに乳母が戸を開けるまで、ろくに時間は経っていないはずだった──が、娘の姿はどこにも見当たらなかった。

乳母がそれを奥方へと注進し、大騒ぎになった。便所、物置は言うまでもなく、屋敷中を探し回ったがどこにも見当たらない。外出中の主人を呼び戻し、町の境を越えてまで捜索範囲を広げたが、それでも無駄だった。
もちろん奥方は嘆き悲しんで、とうとう加持祈祷にまで手を出した。

その甲斐があった、ということなのか──三日目、件の納戸で女の子の泣き声がした。急いで駆けつけたが、姿がない。どうしたことだと思っていると、今度は庭で同じ声がする。娘の声に違いない。
果たして、庭にうずくまって泣いていたのは姿を消していたその家の娘だった。
保護して薬やら粥やら与えながらよくよく見てみると、髪の毛は蜘蛛の巣だらけ、手足はいばらや茅の茂みを通り過ぎてきたように切り傷だらけになっている。手当てをして話を聞いたが、娘は覚えていないと繰り返すばかりだった。
結局何があったか推し量ることさえできないままだった、という。

ただ、その後何があったということもないらしい。
当の娘も今頃は十五、六にもなっただろう、という話だ。


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・「ねものがたり」は、古典文学・古記録などから気に入った話を現代語訳し、こわい話として再構成したシリーズです。
・話としてのおもしろさ・理解しやすさを優先しています。逐語訳ではありませんのでご注意ください。


出典
根岸鎮衛『耳袋』巻之四より「小児行衛を暫失ふ事」


底本
根岸鎮衛著、長谷川強校注『耳袋 中』1991年3月18日初版 岩波文庫