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禍話リライト「幻覚のいる部屋」

それはある遊び友達のグループに起きた話だという。


彼らは全員社会に出た人間ではあった。けれど、例えば殺人事件の現場を冷やかしに行って「全然怖くねえな」と言って笑いあうような悪い仲間だった。
酒の席でどこか怖いところはないか、という話になったとき、メンバーの一人であるAがこんな話をした。

彼の母親が仕出し屋につとめている関係で知っていることなのだが、ここからそう遠くない、とある狭い路地を抜けた先に、もともとは女子社員寮として使われていた廃アパートがある。そこが怖いのだそうだ。
「なんていうか、そこ、もともと頭がおかしかったんスよ」
Aはそう表現した。
そこには寮長をしている中年女性がいたのだが、彼女はそこが寮になる前から寮長だった――そのアパートはそれ以前から何らかの用途で使われていたらしく、彼女はその時からの取りまとめ役だった、という。まずこの女性がおかしかった。
そして、この寮の二階の角には使われていない一室があった。階段がその手前にあるので、二階に上がる際にはどうしてもその部屋の前を通ることになる。その時には部屋に向かって深く、最敬礼の角度で一礼しなくてならない、そんな決まりがあったのだという。
とはいえ、それをしない入居者もいた。すると寮長は躊躇うことなく手を上げた。女子寮なのだから住人は女性ばかりだし、知らずに訪ねてきた住人の知人もいただろう。だとしても容赦なく顔を殴る。なぜ一礼しない、と言って殴る。なぜそうしなければならないかの説明は一切なかったが、あまりにも寮長が恐ろしいので異を唱える者はいなかった。一礼さえしていれば特に何もなく、温和なおばさんといった雰囲気の寮長だったが、その時だけは異常だった。
「ヤバいでしょ」
という言葉に全員が頷く。Aはさらに続けた。
そのうち、誰も入居していないはずの件の一室から生活音が聞こえ始めた。まず隣の部屋、次に下の部屋から住人が退去していった。それだけでは済まなかった。
寮の前の路地を歩く通行人から、「二階の角の部屋からおたくの入居者が何か叫んでくる」という苦情が出るようになった。
それは例えば日付であったり、何かの期限めいた数字であったり、何かを示唆するような一単語であったり、そんなものだった、という。そしてそれが妙に『当たる』らしい。〈十二日〉と言われれば、十二日に悪いことが起きる。〈自動車〉と言われれば、自動車に轢かれそうになる。〈赤いベレー帽〉と言われれば、赤いベレー帽を被った人の漕ぐ自転車にぶつかられそうになる……いずれも命にかかわるようなことではないが、不幸には違いない。
最初は「叫ぶのをやめさせろ」という苦情だったが、次第に「あれは何だ?」という疑問の声が増えていった。それを聞かされる住人たちの恐怖が増す一方で、例の寮長はその異変を完全に黙殺していたという。
「あの寮、嫌です」
そうして住人がいなくなり、それなりの時間が過ぎて、今では完全に廃アパートになっている。

……そこ怖いでしょう、と言うのだ。確かに怖い。けれどもそこは悪い仲間なので、じゃあ行こう、ということになってしまった。
ただ、まだその廃アパートが存在しているかは分からないので、あらかじめAが確認に行ってくれるという。もしもう無くなっていたなら別のところにでも行きましょう、そんな流れになって、日を改めて集合することになった。


時刻は夜。とりあえず集合したものの、実のところ、そんな場所には行きたくないメンバーがほとんどだった。おそらくそこには予言をするような何かがいる、それでも行こうとはとうてい思えない。そこへAがやってきた。
「昼間に行ってきたんですよ……」
どうにも歯切れが悪い。もしかしてなくなっていたのか、と聞くと、Aは首を振った。
建物自体は残っていた。しかし、建物の周りには黒と黄色の立ち入り禁止ロープが張り巡らしてあった。そしてそのロープで巻き付けるようにして、貼り紙のようなものが掲げられていたのだという。

『二階の角部屋には誰もいません』

そう書いてあった。

『この建物は床面が劣化しているため、二階に侵入することはできません』
『あなたが何を言われようが、それは幻覚です』

「……そんなん見ちゃったらオレ……さすがにヤバいと思うんスよ」
それは駄目だ、とみんな思った。が、
「そんなら行かなきゃな」
と言いだした先輩がいた。誰もが正気を疑ったが、先輩ではあるしいつも奢ってもらっているしで、とりあえず途中まではついて行くしかないか、ということになった。
ほど近い場所にあるというその廃アパートへ、Aに案内されてついていく。民家の間を縫うような細い路地を息をひそめて通り抜ける。と、今の今まで静かに、と言っていたA本人が小さな悲鳴を上げた。そのまま「え?ええ?」と困惑の声を漏らしながら懐中電灯で先を示している。
その光の輪の中に、くしゃっと皺になった紙が一枚落ちていた。

『二階の角部屋には誰も居ません……』

Aが見たという貼り紙だ。でもAは強張った顔で首を振る。貼り紙があったのはもっと先だったし、複数見た記憶もないのに、ここに落ちているのはおかしい、と言うのだ。誰かが剥いでここに置いたにしろ、駄目だろう……そんな空気になった。なのに、
「じゃあさあ、これ誰かがオレらを挑発してきてるってことだろ?」
と言い出したのが例の先輩だ。先輩は、Aが肝試しの下見に来たと思った周辺住民がこちらを脅かそうとしているのだ、と解釈したらしい。こんなんで退くオレじゃねえぞ!と言い出して手が付けられない。
仕方ないので一緒に先へと進んでいくと、間もなく目的地の廃アパートにたどり着いた。
実際に目にしてみると、思いのほか厳重にロープで囲ってある。侵入したとして簡単に出ることはできないだろう、という具合だった。無理矢理侵入することは可能でも、飛び越えて出ることができるというものでもない。もし警察や周辺住民に咎められでもしたら、逃げられないのは容易に想像できた。いざという時に逃げられませんからやめましょう、路地もすぐ先で袋小路になっているし、中に入るのはやめて周辺を見るだけにしませんか……そう言って先輩を納得させた。
建物の中には入れないが、周囲をぐるりと一周することはできる。先輩が懐中電灯で二階を照らしながら見て回っている間、バカだなぁ、と思いつつ、他のメンバーはタバコを吸うなりして時間を潰していた。Aは先ほどの貼り紙のことが忘れられないらしく、おかしい、と言い続けている。もし人間の仕業だとしても、貼り紙をわざわざ外して路地に置く、などという発想はまともではない、そんなことを話していた。
ここまで来て手ぶらでは帰りたくないらしい先輩は、なおも廃アパートの周りを歩き回っている。ふと、待機しているメンバーの一人が、Bという仲間の様子がおかしいことに気づいた。Bはそれまで普通に状況を怖がっていたのに、つい先ほどから妙に黙り込んで、タバコも吸わず俯いている。恐怖が爆発してるんだろうな、と誰もが思った。そして、それをからかう雰囲気でもないことを理解していた。
いい加減先輩のしつこさにいらだちを感じ始めた時だった。急に先輩が踵を返して戻ってくる。その顔が真剣で、あまりに急な態度の変化に全員がぎょっとした。先輩は開口一番にこう言った。
「なあ、おい、さっきの紙まだ道にあるか見てくれ」
はあ?と視線を路地の方へ向ける。先ほど道に落ちていた例の貼り紙は……ない。見張っていたわけでもないし、風に吹き飛ばされて、目に入らない位置に動いてしまったのかもしれない。
「パッと見ないっすねえ」
「……マジかよ……」
先輩の声は深刻だった。
さきほどまで先輩は何もめぼしいものがないことにいら立ちを覚えつつ、二階の角部屋の窓を懐中電灯で照らしながら廃アパートの周囲を歩き回っていた。五周くらいはしただろう、という。六周目にその窓を照らしていた時だった。
バン!と音を立てて窓に何かが貼りついた――しかも内側から。

『……それは幻覚です』

その文字が見えた。さっきの貼り紙だ。こんなこと、誰かが中にいない限り不可能だ……それで先輩は戻ってきたのだという。
「誰か中に入って仕込んだのか? オレがぐるっと回ってる間に」
「……そんなことオレたちがやったように見えますか?」
その表情を見て、先輩もだよな、と納得した。しかも、厳重に張られたロープを乗り越え、外階段を上がって二階に侵入するような真似を気づかれずにできるはずもない。
「……うわ怖えよ! ここやべえよ! 尋常じゃねえぞ!」
とうとう先輩までそんなことを言い出した。

「……それはねえ、一礼してないからですよ!」

突然そう言ったのは、さっきから妙に沈んでいたBだった。急に声に怒気をにじませた彼の横顔を見て気づく。俯いているのはどうやら恐怖のためではなくて、怒りを堪えているためのようだった。
「一礼しないから怖い目にあうんですよ! オレは下げましたからね!」
は?と全員が呆気にとられた。Bが怒っているのはわかる。けれどその理由がわからない。そういえば、とこの廃アパートに存在した決まりを思い出す。二階の角部屋の前を通る時は、深く一礼しなくてはならない……
「え? 何? 一礼しないと呪われるとかよくないことがあるとかそういうことだったわけ? ならそう言ってくれりゃあオレだってちゃんと……」
「だから! ちゃんと一礼しないからダメなんですよ! あんたが頭下げないからこんなことになるんだ!」
困惑しきっている先輩にBが繰り返す。困惑しているのは他のメンバーも同様だった。そもそも、この話を持ってきたAも、『二階の角部屋の前を通る時は深く一礼しなければならない』という決まりしか知らない。もし、BがAの知らない『家に近づいたら一礼しなければならない』というような決まりを知っていたとして、それを共有していれば全員従っただろう。それを黙っていて今さら怒りはじめる理由もない。
いよいよBは先輩に殴り掛からんばかりになっている。恐怖で頭がおかしくなってしまったのかもしれない、という気がしてきた。

「だって頭下げないと顔見ちゃうだろ!」

……今こいつ変なこと言ったぞ。誰もがそう思った。
「ほら! ドア開いててさあ! あの女の顔まともに見ちゃうだろ!」
とBが二階の角部屋を指さす。ちょうどドアが見える位置だったが、何の異常も見当たらない。もちろんドアは閉まっている。
「そういう意味だったんだよ! 顔見ると頭おかしくなっちゃうから! そういう意味だったんだよ一礼しろっていうのは!」
Bはそちらから必死で顔を背けつつ、叫ぶように言う。ドアを指したままの指先が、怒りのためか恐怖のためか震えている。
「オレは分かってるんだ、お前ら今からでも遅くないから早く頭下げろ!!」
こいつは何を言ってるんだ?と互いに顔を見合わせた。
「……いやお前、ドア開いてないし、もしドア開いてたとして二階だぞ、ここからじゃ中にいる奴の顔なんて見えねえよ。大丈夫だって、お前怖くてちょっとおかしくなってんだよ」
落ち着かせようとしたAがそういい終わらないうちにBが遮った。

「いやもうさっき爪先まで見えたんすよ!!」

爪先。剣幕に押されて誰も何も言えない。
「さっきドア開いてて中に立ってるのが見えて危ない!って頭下げたときにはもうオレの目の前に爪先があったんですよ! みんなは普通にしてたけどさっきからずっと爪先があったんですよ! はだしの爪先が!」
言っていることが確かなら、Bが見た何者かは彼の目の前に瞬間移動してきたことになる。

「はだしの……幻覚の……爪先が……目の前ににあるんですよ……」

幻覚、とBは言った。

「オレうわって思ってずっと下向いてて……なのにみんな助けてくれなくて……見ちゃいけない見ちゃいけないって思ってずっと下向いてるのに幻覚の爪先がどこにも行ってくれないんですよ……! そしたら先輩が帰ってきて顔上げたらいなくなっててああよかったって思って見たらほらドア開いてまた幻覚がこっち見てるじゃないですかあ!!」

帰ろう、と誰ともなく言い出した。Bはずっと頭を下げろ、そうしないと幻覚が来るから!と口から泡を飛ばして言い続けている。それに従わなければ半狂乱のBが動きそうにない。しかたなく全員深々と頭を下げ、すいません、と謝るような格好で元来た道を引き返そうとした。
「うわっ!!」
叫んだのは先頭にいた先輩だった。その声が怖くて、走り出した先輩の後を追う。全員悲鳴を上げていたが、もう近隣の迷惑など考えもしなかった。
路地を出て明るい場所にたどり着いたところでやっと立ち止まった。いやいきなり叫ぶのはナシでしょう、と先輩に言う。
「いや、オレさ、先頭にいたわけじゃん。オレ、さっきの窓ので怖くなってるわBは普通じゃなくなってるわでそうしなきゃって頭下げたらさ、」
もしかして爪先ですか、と聞いたが、先輩は首を振った。
「いや、オレの爪先に何か当たって……それさあ、あの紙なんだよ……『それは幻覚です』って見えて……もう我慢できなくってさあ……」
全員が絶句した。そして気が付いた――Bがいない。
先輩の悲鳴で走り出した、その途中まではいたような気がする。けれどみんなパニックになっていたためにどこで見失ったかはっきりしない。まさか、どうしよう、と思った。けれど怖い。あまりにも怖い。

……冷たい話だが、何も知らない後輩を二人呼び出した、という。ひとつは場の空気を変えるため、もうひとつはBを探しに行ってもらうためだった。ちょうど飲んでいたらしく、ほろ酔い気分で現れた二人に、Bが飲み過ぎたようだから見に行ってくれないか、と頼んだ。深く考えず路地に入っていった二人はすぐに走って戻ってきた。
「ちょっとBさん頭から血流して倒れてますよ!」
何も知らない二人は酔って転んだものと思っているらしい。ぐったりして何か唸っているBに肩を貸して連れ出してきてくれた。急いで救急車を呼んだ。
手当てを受けて分かったことだが、Bの頭の傷は転んでできた打撲ではなかった。
アスファルトの地面に何度も頭をこすりつけたせいでできた酷い擦過傷だった。
搬送される間、Bはずっと「こんなに頭を下げてるのに幻覚が消えない」「幻覚が来る」と繰り返していたという。


そんな話だった。
「で、ヤバいってんでお寺行ったんですけど、結局総本山的なところまで行くことになって……」
という体験者の言葉を聞いて何となく、ああ、Bくんは元気になったと続くんだろうな、とそう思った。
体験者はこう続けた。

「……おかげで失明は免れました」

それ以上のことは何も教えてもらえなかった。


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出典

禍話緊急放送スペシャル 43:05頃~ (Wiki掲載タイトル「一礼の部屋」)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/556132326

※著作権フリー&無料配信の怖い話ツイキャス「禍話」さんにて過去配信されたエピソードを、読み物として再構成させていただいたものです。

・過去の放送回はこちらから http://twitcasting.tv/magabanasi/show/
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「心霊マスターテープ2」出演おめでとうございます!