ねものがたり⑩ 法名

御三家の一角をなす紀州徳川家の初代を徳川頼宣という。
彼は生前、遺言として、
「死んだら岡の山という場所に葬ってほしい」
と言い残していた。岡の山、という場所は確かに和歌山城下から程近いあたりに存在していた。
いよいよ頼宣が亡くなって、言われたとおりその場所へと墓穴を掘った。一丈ばかり掘ったとき、土中から何かが現れた。


……石棺だった。


開けてみると、中には鉢が一つ、杖が一本入っているだけだった。
が、石棺の蓋にはっきりと、


南陵、の文字があった。


頼宣の死に際して、菩提寺から奉られた法名が「南陵院」であったことを、誰もが知っていた。


あまりの一致に誰もが驚いて、当地では今も伝わる話になっている……と、安藤霜台から聞いた。



また、安藤霜台の家来に何とか幸右衛門という男がいた。名字は何といったか覚えていない。
この幸右衛門には息子が一人いた。五、六歳の頃には奇妙なほどに賢く、歳に似合わぬ文字なども色々書いていたというが、七歳のころにころりと死んでしまったのだという。
その少し前、子どもが、即休、の二文字を何枚も書いていたことがあった。
これは何かと尋ねると、


「法名をつけるんだよ」


などと言う。
嫌な予感がした。親たちは縁起でもないといって叱り、やめさせようとしたが、子どもは聞かなかった。それからいくらもしないうちに死んだのである。
菩提寺に連絡して葬儀などの段取りを話し合っていると、寺側から子どもの法名として、


即休


と書いてよこした。
「この法名は……もしかして家の者から何か聞いたことでも……」
そう聞いてみたが、
「いいえちっとも」
と言う。


……誰もが何を言うでもなく、ため息をついた、という。


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・「ねものがたり」は、古典文学・古記録などから気に入った話を現代語訳し、こわい話として再構成したシリーズです。
・話としてのおもしろさ・理解しやすさを優先しています。逐語訳ではありませんのでご注意ください。


出典
根岸鎮衛『耳嚢』より「前生無とも難極事」「不思議なしとも難極事」


底本
根岸鎮衛著、長谷川強校注『耳袋 上』1991年1月16日初版 岩波文庫