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ねものがたり

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古典文学や古記録から怖い話を現代語訳したものです
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ねものがたり はじめに

古典の怖い話を読みやすい形にして公開してみよう、と思い立ったはいいが、何かシリーズのタイ…

小宮子々
4年前
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ねものがたり14 二十年

江州八幡──つまり、現代でも近江八幡と呼ばれるあたりでの話だ。 いわゆる近江商人らの活動…

小宮子々
3年前
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ねものがたり⑬ 納戸の中

寛政六、七年頃のことである。 江戸、番町に屋敷を構える千石取りの旗本家があった。おそらく…

小宮子々
3年前
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ねものがたり12 妖刀村正

──原本では「村政」の表記だが、ここでは「村正」で通したい。 言うまでもなく、千子村正の…

小宮子々
3年前
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ねものがたり⑪  雨中に凝る

血縁の牛奥某が壮年の折に体験したことである。 秋、雨風の激しい夜のこと、仕事仲間から急な…

小宮子々
3年前
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ねものがたり⑩ 法名

御三家の一角をなす紀州徳川家の初代を徳川頼宣という。 彼は生前、遺言として、 「死んだら岡…

小宮子々
3年前
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ねものがたり⑨  ひとがた

宝暦のはじめごろの話という。三河国は矢作川に橋を架ける公的事業のために、江戸から多くの役人や職人が派遣された際の出来事である。 ある日、人足頭──労働者の取りまとめ役のひとりが川縁に立っていると、川上から何かが流れてくる。何だ、とよく見てみると、板の上に人形を乗せたものが流れてくるのだ。子どものすることかとも思ったが、どうにもその人形の造形が子どもが玩具にして遊ぶものとも思われない。 奇妙ではあった。が、どことなく興味を引かれた。そこで、川の中から取り上げ、宿へと持って帰って

ねものがたり⑧「病の床」

これは大久保内膳忠寅が語ったことである。 大久保は、御三卿・清水家の家老を勤めた永井主膳…

小宮子々
3年前
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ねものがたり⑦「なんとか嫌い」

享保(1716-1736)の頃、御先手──将軍の近辺の警備にあたる役職──の役にあった鈴木伊兵衛…

小宮子々
3年前
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ねものがたり⑥「縁の下」

寛政七年(1795)、小倉藩主小笠原家の屋敷でのことである。 屋敷の奥向きに勤める女中に、と…

小宮子々
3年前
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ねものがたり⑤「内裏の鬼」

内裏といえば言わずと知れた天皇の住まいであり、国政の中心地かつ華やかなる王朝文化の本拠地…

小宮子々
3年前
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ねものがたり④「柱の手」

世尊寺という寺院が源高明という貴族の邸宅であった頃の話だ。その屋敷は「桃園」と呼ばれてい…

小宮子々
3年前
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ねものがたり③「赤い衣」

京の都の、冷泉院小路の南側と東洞院大路の東側とが交わる角に、「僧都殿」と呼ばれる屋敷地が…

小宮子々
3年前
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ねものがたり② 「上手いものだなあ」

いつの頃とは知れないが、近衛府の舎人という役職に某という者がいた。神楽をたてまつる役にでもついていたのか、歌をたいへん上手に歌う者だったという。 ある時、彼は相撲節会のために力士を集める使いとして、東北地方にまで下ってきていた。陸奥から常陸へと超えるあたりに焼山の関という場所があって、険しく深い山になっている。そこを通りかかった時だった。 長旅の疲れもあり、どこまでも深い山で退屈なこともあり、すこしばかりうつらうつらとしたのだという。しかしふと目が覚めて、(もう常陸の国か、随