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私の家の周りには緑が多い。 地球自体がサウナみたいだった今年の夏が終わり、少し涼しくなった今の季節にはスズムシがなく。 リンリンリンともジリジリジリとも言っているように聞こえるこの音は、小さい頃地元の岐阜で聞いていたそれと似ている気がする。
私には大好きな場所がある。 不規則な丸をひとつ大きくくり抜いたアップルパイのような空間。 中は空洞、コンクリートの壁。
28歳になり、会話の大切さを実感する日々。 今でも伝えることは難しいなと感じることもあるけれど、それでも自分の伝えたいことは昔よりは口に出せるようになったなと思う。 それは雑談も、報告や相談も含めて全てのコミュニケーションに言えること。 10代〜20代前半の頃は特に人に自分の気持ちを伝えるのが苦手だった。 なぜ苦手に感じるのかというと、 これを言えば相手に自分が良くないように映るかなとか 怒らせてしまったらどうしよう とか 悲しい気持ちにさせたらどうしよう など自分の
ざらざらやつるつるした手触り、 紙とインクの香り、 冊子になった紙の重み。 幼い頃から本を読むことが好きでその影響か分からないけれど、紙を触ることも好きだった。 本は、自分の中に知識を蓄える方法の一つで まだ自身で味わったことのない経験や失敗や感情を疑似体験しているようだった。
周りからはやさしいと言ってもらえることが多かった。 だから私は自分でも自分は優しい人間だと思っていたけれど、 喧嘩をしたり、話し合うことで解決していくような人間関係の経験値が人一倍少なかっただけなんだろうなと感じている。 気が弱いところがあって自分の意見は言いづらいから 深く関わり合う前に違うなと思えば自分から離れていく、 そうすることで関わりを切って来てしまったことは子どもの頃から大人になった今でも思い当たることが多い。
色とりどりのお野菜に、海鮮、お肉。 旬の食材たちが料理人さんたちの手によって温かなお料理に生まれ変わっていく。 そんな気持ちのこもったお料理をいただきながら昔話をしていた。
岐阜にいた中学生までの頃は、東京に出て誰も私を知らない土地で生活をすることが夢だった。 たった15歳の私は全部を振り切って、地元を出た。 清々しかった。 その時に本当にやりたいことを叶えたからだ。 ところが東京に出て、実際に仕事に就くとみるみるうちにやりたいことが分からなくなった。 ただそれでも仕事がある恵まれた場所にいられて、高校という居場所もあって私は生きていくことができた。 20代後半になった頃から、私はやりたいことの壁にぶつかっていた。 自分が何になりたいの
最近、17〜18歳の頃に出演した「16人のプリンシパルdeux」をよく思い出す。 知らない方はそのシステムをネットで調べてみてほしいが、あの頃の私は結果が出ない事にかなり疲弊していた。 誰かの真似をしてみたり、特技を披露してみたり。 でもそんな自分で設定した自分の範囲を超えない主張ではお客さんの心は打てなかった。 びっくりするほど自分の中から出せるものが空っぽで周りが輝いて見えていた。 今思えば、 その現実を見ているのが辛くて あの頃はかなり不貞腐れていた。 ただ
学生時代、 「フルーツバスケット」というアニメを姉がよく見ていたので私も一緒になって見ていた。 とあるシーンで、主人公の女の子がふとこんな風なセリフを行っていたことを思い出した。 「人の背中の梅干しは見えるのに、自分の具はなかなか見えないんですよね。」 前後の文脈がないとよく分からないとは思うが、要は人の良いところはよく見えるのに自分の良いところは見えづらいという意味だったと思う。
ずっとずっと分からず、 私はただただ個性が薄いんだ。 と半ば諦めていたこの問い。 最近手に取った本に目から鱗な一文を見つけた。
私は自分の意見を対面で言葉にして伝えることがとにかく苦手だった。 これを伝えたらなんて思われるだろう? これを言ったら勘違いされるだろうか? 生意気だと思われるだろうか? 本当に1番伝えたいことを伝える前に、自分自身で悪く考えられるだけの結果とパターンを考えて言うことをやめてしまう。 そんなことが続いていた。
最近買ったお気に入りの絵本の一言。 人に優しくされるのを待っているのではなく、自分に優しくなればいいんんだよ。 という一文があった。
あの人に比べて私はなんて出来ないんだろう。 こんなことも出来ないのは自分だけだ。 自分には能力がないからダメなんだ。 ここから先には行けないんだ。 といつも思っていました。 人と比べたって良いことなんかなくて、 個性は人それぞれなのにそれを比べて劣っている部分に勝手に落ち込んで、悩んでしまう。 逆に人より優っていることは、心の中でできない人のことを蔑んでいたりもする。 そんな気持ちになることは私自身よくありました。 でも、人と比べない事や、人が出来る事を真似しない、同
ふと思い出すと、 私は幼い頃からよく自分の中でネガティブな感情が生まれた時に こんな風に思う自分は性格が悪いとか 人にこんな風な感情を抱いちゃダメだ と感じることがありました。 きっと誰にだってある人間味のある部分。 何かあると全部自分のあの行動が悪かったかな? あの言葉が良くなかったかな? と自分の責任に感じすぎてしまうことがあります。 もちろん、全部が他責で良いわけではないと思うけれど1人で抱え切れる感情には限界がありますよね。 コップに容量以上のお水や飲み