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愚者のポテンシャル

ある方のインスタのリールにて、「つべこべ言わずにやれ!」という内容の投稿をしていた。最初は強い圧をかけられているように感じた内容だったが、よくよく見てみるとなんだかスカッとした気持ちになった。

投稿主は美尻インストラクターであり、彼女の投稿にはしばしば「どうやってやれば良いですか?」「何から始めたらいいですか?」などの質問がされていたそうだ。美尻に関する投稿を挙げているんだから、質問の内容には既に答えているのにも関わらず、試すこともせずに質問ばかりする人たちに喝を入れていたのだ。

そのリールのコメント欄では「やってみればいいのにくだらない質問する人が多いですよね!本当になんでとりあえずやらないのでしょう!」「その意見に同感です!」などと彼女を称賛内容のコメントに溢れていた。

かくいう私もこのリールやコメント欄で、誰かわからないがとりあえず質問する「愚者」を成敗したような気持ちになり、心の中で嘲笑した。「失敗してもいいからやればいいのに笑笑」と。

しかしその数時間後、まさに「とりあえずやってみる」ことができていない自分に直面してしまったのである。

同じくインスタを見ていた時、「彼女と出会って僕はここまで変化した」という海外の男性の垢抜けビフォーアフターのリールを目にした。私も常に垢抜けたいと思っているからこそ、同一人物とは思えないほどの変化がある動画に羨ましさを感じた一方、きっと何か特別な才能か何かがあったんだろう、と浅ましいことを考えた。男性がした努力について逡巡することなく自分にはできない理由を探して納得したのである。

そこでふと、さっき見た女性の投稿を思い出し我に返った。「とりあえずやってみる」ことすらしない「愚者」と非難していたその最たる人間が私ではないか、と。自分が吐いた言葉が自分に返ってくるとはまさにこのこと、情けなくなったのと同時に、なぜとりあえずやってみることもできないんだろう、と疑問に思った。

始められない理由の根本は「努力が大変だから」。同時に垢抜け動画が好きな理由もわかった。リールのような動画では、努力せずとも他人が「なんの努力もしていないかのように」一瞬にして垢抜けていくために、自分も一瞬で垢抜けられるかのような錯覚に陥れるからである。

もちろん、実際は長い時間をかけて「努力」することが大切にも関わらず、私は自分を変えない理由ばかり探している。でも、そろそろ自分を変える時が来たのかもしれない。

そのきっかけとなった言葉は「つべこべ言わずに試してみる」もそうなのだが、決定的な言葉がこれである。

"before realizing my potential"

垢抜け動画の男性が垢抜ける前の画像に添えてあった言葉である。

そうか、今の私は自分のポテンシャルに気がついていない状態だと考えたらすごく前向きになれるじゃないか。新しいものに変えていくのではなく、原石を削っていく感覚。そもそも垢抜けって後者のイメージに近い。やらなければ変わるか、変わらないかなんてわからないのに、やる前から自分のポテンシャルを過小評価しすぎているなんてもったいない。
そう感じて、最近は垢抜けるための努力を手当たり次第やっている。

何も垢抜けだけではない。何か新しいチャレンジをする前に臆病になって踏み切れないことは多いけれど、やってみなければわからないんだから「つべこべ言う前にやってみよう」、もっと自分のポテンシャルを見出していこう、そんな心境に今はある。




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