アドラー心理学の 目的論 原因論って こういうこと? 詐病的な人がいるっていうこと?「学校さぼりたいから仮病しまぁす!無職でいたいからインフルエンサー志望しまぁす!無職のレン話をいじめたいから理由を作って 誘導尋問して ひどい人物像にすり替えなすりつけ、でっち上げてでも叩きまぁす!」っていうこと?
原因があってこうなのではない、こうしたいという目的、願望や欲求があるからこそ、人はだれかの好意などにつけこみ、甘え、詐病的に、嘘やでっち上げの理由を作り出すのだ!っていうこと?
でもそれ、詐病的な場合もあれば、ほんとうにいやな誘いをされたから、理由や建前を作ってでも断らなければならない場合とどちらもあるよね。甘えが存在するかどうかの違いが重要なのでは?
こう言ったらこういう義務を免除してもらえましたぁ!じゃあ、そういうのを今度から わざと甘えてふるまえば、そうやって優遇や特別扱い、義務の免除、してもらえるんだぁ!じゃあ、それを演じたろ!
みたいなのが ほんとうにひどいやつらで
ひどいやつらじゃない 甘えなくやっている相手に、もし甘えまくりで詐病しまくりのようなやつらと 同じような対応や 態度や 説法や説教行為をしたら、それこそがほんとうに、失望や絶望で ただちに自殺しかねないような、ほんとうに思い悩む人にそれをやったら ほんとうにただちにそうなりかねないような、そんな気がするんですが、どうなんでしょう。
メモ
誘いを断りたいという欲求があったら、その結論のために、原因というか、建前の理由をうまくつけなきゃ、でっち上げなきゃというのはあるよね。でもそれは、断るときの婉曲表現、すなわちマナーのようなものだと思う。それは決して、詐病的と呼ばれるようなものであってはならないと思う。
詐病的な甘えだとして糾弾されてもおかしくないような事例は、熱を出してもいないのに、学校さぼってゲームしたい!だからおなかがいたいようなふりをでっち上げよう!そうして甘えよう!そうしたら親や学校は許してくれて甘やかしてくれて特別扱いしてくれるはずだ。というのが、はたかれてもおかしくない 甘えであって、
実際にほんとうに病気や熱があって休みたいというのは、とうぜんに要求していい甘えだと思うんだけど、
めんたね界隈のやりかねないのって、前者のような相手に取るべき態度を、後者に向けて殴りかかることなのでは?
それがほんとうに危険だって言っています。そういうネット誹謗中傷勢力のせいで、そういうやつのせいで、犯罪を起こすところだったかもしれないですよ。ほんとうにやつらのせいなんですよ。だって、やつらに原因があるのですから。こちらじゃありません。やつらです。やつらだと思います。これはこちらが他責思考だからなすりつけるんじゃないんですよ。なんでもかんでも、他人のことをなすりつけないでください。
ぬれぎぬを なすりつけられて叩かれる。なにもしない立場から成長しない!などの暴言を吐かれる。別人の人物像をなすりつけられ叩かれる。おまえのようなやつこそが犯罪者ぁあぁ!と匿名の集団からインターネット、ツイッター、掲示板でつきまとわれ罵られる。そして犯罪をおまえは犯すようなやつ!起こしそうなやつ!だから起こせよ起こせよと、煽り侮辱レッテル貼り、犯罪行為の煽動です。洗脳催眠誘導術?