【BOOK】『世界のすべての朝は』

 突然始まった新企画です。本を紹介をします。本に限らずなんでも好きなものを紹介します。きまぐれでも第2回、第3回と続けていけたらいいなと思います。


今回はパスカル・キニャール『世界のすべての朝は』を紹介する。


■あらすじ
 1650年、ヴィオルを弾く音楽家サント・コロンブは最愛の妻を亡くす。残されたのは2歳と6歳の娘。彼は僅かな土地収入と弟子から渡される謝礼で慎ましく暮らしていた。サント・コロンブは何年もヴィオルの稽古にはげみ、人間の声のあらゆる抑揚を模倣できるほどの名手となった。その音楽はひたすらに亡き妻へ捧げられる。月日は流れ、17歳の若者、マラン・マレがサント・コロンブに弟子入りをする。マラン・マレはサント・コロンブの娘と恋に落ちるも、ひどく翻弄し別れを告げる。音楽を追求し続けるサント・コロンブの元には死んだはずの妻が現れる。音楽を愛し、妻を愛する男の美しく静かな朝。


■感想
 冬の朝のような静謐で緊張感のある物語だ。それを成立させているのは、キニャールの綴るすごくシンプルな言葉であろう。簡潔で余計なものが一切ない。それでいてサント・コロンブの秘めたる激情を余すことなく描き出している。妻を思い涙を流し、語りかけて、そして言葉にならない悲しみを音楽として奏でる。その様はどのシーンも切なく美しい。
 サント・コロンブの音楽は名声やお金のためでも、誰かを喜ばせるためでもない。弟子に作曲した曲を出版しないのかと尋ねられ、このように答える。

「私は作曲などしない。何も書いたことがない。それは水からの贈り物、ときにはある名前と数々の楽しみを思い出すと浮かんでくる、浮草や蓬や青虫のようなものだ」


 そして、ヴィオルを弾くことを「宿命」と呼ぶ。
 私はこのような、自分の外部に存在する何かに働きかけられて、それに従う(というよりも、従うことしかできない)芸術家たちの物語が大好きだ。音楽に限らず、芸術は自分を超えて生まれてくるものだろう。説明のできない、言葉では表せない何かがこの世に確かに存在する。稀にそれらは形を持って人間の目の前に現れる。それが私にとっての芸術。
 
 
 サント・コロンブは音を介して自ら語らないものと繋がる。彼の音楽には言葉にならない祈りが込められている。マラン・マレは師から音楽が何のためにあるか尋ねられ、答える。

「言葉から見放された人々のための小さな水桶。子供たちの霊のために。靴屋の槌音のために。幼年期よりもさらにさかのぼるあのころのために。息をしていなかったころ。光もなかったころ」

 こうして、サント・コロンブの音楽は弟子へと受け継がれる。
 種が芽を出し、花を咲かせ、実り、種子を落とす。その生命の営みは芸術であっても同様に行われるのだ。受け継ぐには、名声や栄誉のためではなく音楽が語らないものたちにあることに気づかねばならなかった。自らを空しくし、世界に溢れる美しい音に耳を傾けなくてはいけなかった。
 このように、サント・コロンブの音楽への道を描いた小説でありながら、音楽家を志す若者が音楽とは何かに気づくまでの小説でもある。音楽、芸術を愛する人にぜひ手に取っていただきたい作品である。

 余談。この本は早川書房『めぐり逢う朝』という邦題で1992年に出版されており、今回紹介した本は復刊されたものである。数年前に『めぐり逢う朝』を読んでキニャールに魅了された私が、タイトルを変え復刊されていたことに気づいたのは1年前ほどだった。読んでみたいなあと思いながらすっかり忘れていたところに偶然立ち寄った書店で『世界のすべての朝は』が陳列されていた。この出版社は九州限定のため、まさかこんなところで出会えるとは思いもせず急いでレジに持って行った。良書を世に広めるべく頑張っている書店や出版社があり、本当に有難いことだと思う。


著者パスカル・キニャール 訳高橋啓『世界のすべての朝は』伽鹿舎 2017年


清水優輝

 

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