【第10回】月夜に

 その女の子は名前をのぅといいました。のぅちゃんは真夜中に自転車で町を走るのが好きでした。誰もいない静かな町はとても落ち着けて、夜風が涼しくて、月が明るくて、ずっと夜ならいいのにと思っていました。

 ある夏の夜のことです。
 その日は夜になっても暑いままでずっとムシムシジメジメしていたので、のぅちゃんは海に行って夜の海水浴をしようと思いました。行動に移すのがとても早いのがのぅちゃんの長所。学校の水着とバスタオルを自転車のかごに詰め込んで早速レッツゴー!


 外に出ると満月でした。いつもは家から東の方にある町に行くのですが、海は西側、真逆です。いつもは通らない道にのぅちゃんはちょっとわくわく、ちょっとドキドキ。
 下って上って下って上ってを6回くらい繰り返したら、遠くの方にトンネルが見えました。あのトンネルを抜ければ海が広がっているはずです。のぅちゃんは「あとひとふんばり!」と、力強くペダルを踏み込みました。

 のぅちゃんが一生懸命自転車を漕いでやっとトンネルの前まで来たとき、トンネルの向こうにかすかに赤い光が見えました。のぅちゃんは最初、珍しい色の街灯かなーと思っていました。しかしよーく見てみると赤い光はピカピカと光りながらこっちに向かってきていたのです。
 お化けだ!たべられる!!のぅちゃんは引き返そうとしましたが、そういえば昔おばあちゃんが「お化けに会ったら絶対に逃げてはいけないよ。どこまでも追いかけてくるからね。逃げないでじっとしているのが一番いいんだよ。わたしは何も見えませんよ~ってね」って言ってたのを思い出し、トンネルの入口の近くに自転車を置いて、お化けが通り過ぎるのをじぃっと待つことにしました。

 だんだん赤い光が近づいてきます。トンネルから漏れる赤がガードレールや雑草を染めて現実じゃないみたい。光が強くなり、そしてついにトンネルから出てきたのは………パトカーでした。
 のぅちゃんは「なんだパトカーか、怖がって損した…」「パトカーなら早く逃げていればよかったな」と思いました。パトカーはのぅちゃんの前で静かに止まり、中から顔が四角くて眼鏡をかけてる警官と背が高くてひょろひょろしている警官が出てきました。


「キミ、こんなところでどうしたの?お父さんやお母さんは?」
四角い方の警官がしゃがんで言いました。目が少し怖いです。しかしのぅちゃん、伊達に毎晩自転車を走らせている訳ではありません。こんな風に夜中に出歩くのを「しんやはいかい」ということ、子どもが「しんやはいかい」をしていると捕まって、親や学校に連絡されてしまうことをちゃんと知っているのです。
 のぅちゃんはこんな時の為に言い訳もバッチリ用意していて、その言い訳のおかげで捕まらずに済んだことが今までに何度もあります。

 のぅちゃんは落ち着いて、得意の演技力を全開にして言いました。
「あのね、あのね、おばあちゃんが病気なの。向こうの病院に入院してるの。でもね、わたし、学校もあるし塾もあるから、夜しかお見舞いに行けないの…だから……おばあちゃんが心配で……」
 警官は困ったようにうーん…と顔を見合わせ、のぅちゃんは「キマった!」と心の中でガッツポーズ。最後の仕上げにウルウルした目で警官たちを見つめ続けます。目で訴える作戦です。

 するとひょろひょろの警官が言いました。
「キミねぇ、お見舞いって…第一この先には海しかないし、病院なんてこの辺りにはないんだけど……もしかして嘘ついてる?」

 え?
 一瞬、全身が凍ったように動かなくなり、そして一気に汗が吹き出しました。そんな、病院がないなんて……。この方法が通用しなかったことは初めてで、のぅちゃんは次の言い訳を考えようとしましたが何も思い浮かびません。汗が流れるばかりです。パトカーの中からエアコンの涼しい風が流れてくるのを感じました。

「大丈夫?体調悪いの?近くの交番まで送ってあげるから車に乗ろっか」
と、四角い警官がさっきまでとは違って優しい声で言いました。ひょろひょろの方がパトカーのドアを開けて待っています。
 やばい、このままじゃ捕まっちゃう!!!
 のぅちゃんは「ちがくて、ちょっと道に迷っただけで…」とか「あ!もうすぐ帰ろうと思ってたんだった!」とか「あの、お父さんが迎えに来るから」とか言い訳を連発していましたが警官は気にもとめずに
「はーい車に乗ろうねー」
とぐいぐい手を引っ張ります。
 あぁ、もういいや…とのぅちゃんが半ば諦めたその時。


「おーい、のぅ、待ってくれー!」
 後ろから声が聞こえました。振り向くと自転車に乗った知らない男がこちらに向かって来ています。警官が「誰?知り合い?」と聞きましたが、のぅちゃんは目が悪いふりをして「よく見えない」と言いました。全然知らない人ですが、なぜかわたしの名前を知ってるし、もうこの人に賭けるしかない、と思ったのです。

 男は息を切らしてここまで来ると、自転車から降りて
「はぁ、はぁ、もう、のぅ、速すぎるよ、、はぁ、はぁ、いえ、お巡りさん、わたしは、この子の、父親です、、はぁ、ご迷惑、おかけしました、、」
と言って頭を下げました。のぅちゃんは見ず知らずの人が自分の父親だと嘘をつく理由が分からずとても混乱しましたが、同時に、これで捕まらずに済むかも、と思いつき、とりあえず
「あ!パパだ!」
と言ってみました。

「お、落ち着いてください、あなたがこの子の保護者ですか?」
戸惑いながら尋ねた警官に男は
「そうです、はぁ、ふたりでわたしの母のお見舞いへ行こうと、ふぅ、していたのですが、はぁ、はぁ、この子がどんどん先へ行くから、ふぅ、見失ってしまったんです」
と、膝に両手をついて、肩で息をしながら答えました。
 のぅちゃんはよく分からないけど助かって、心底ほっとしていましたが、四角い警官はちょっと納得できないような顔をして、
「しかしねぇ…この辺に病院なんてないですし…」
「怪しいですね」
と、ひょろひょろの警官と小声で話し合っています。

 その間、男ははぁはぁと息を整えていましたが、二人の警官の会話に気がつくと
「え?何ですか?病院?病院ならそこにあるじゃないですか」
と言って、トンネルの方を指差しました。
 何を言っているんだこの男は。もしかしてこの人やばい人?三人は一言一句違わずそう思いながらも、男の指差す方へ目を向けてしまいました。

 トンネルの上は小さい丘になっていました。そしてその頂上に、白い一軒家のような病院がぽつんと建っていたのです。窓は三つあり、真ん中の窓だけ明かりが灯っています。さっきまであの丘には草木が無造作に生えているだけで、あんなの無かったはずなのに。
 三人とも目を擦って、見て、もう一度目を擦りました。
 男はあっはっはと笑うと、
「あんまり有名じゃないですからね、知らない人も多いんですよ」
と言ってまた笑いました。
 二人の警官はちょっと待っているようにのぅちゃん達に言うとパトカーに戻っていきました。地図やスマホで検索しているようです。しばらくして、納得したのかしてないのかよく分からない顔で出てくると、
「いやはや、こんなところに病院があるなんて知りませんでした。疑ってしまって申し訳ない。しかし、夜道で子供を一人にするのは大変危険ですので、今後はお子さんから目を離すことの無いよう、お願いしますよ」
とだけ言って、パトカーに乗って去っていきました。
 急いでいるように見えたのは、この不気味な男からなるべく早く離れたかったからかもしれません。
 かくいうのぅちゃんも少し不気味に感じていました。今まで無かったはずの病院を出現させたり、のぅちゃんのお父さんだと言い張ったり、そもそものぅちゃんの名前を知っていたり、考えてみればおかしな点だらけで、今隣にいるこの男が恐ろしいもののように思えて、男の方を見れませんでした。


 夜なのにどこかで蝉が鳴いていました。


 得体の知れない男と二人で取り残されて、一体どうすればいいんだろう。
長い沈黙を破ったのはのぅちゃんでも男でもなく、知らない子供の声でした。
「へへ、びっくりしたでしょ」
思わず横を見ると、そこにさっきまでの男はおらず、代わりにかわいらしい男の子が満面の笑みでこっちを見上げていました。
 のぅちゃんが恐る恐る尋ねます。
「きみは?」
「ぼくはカプリート。君のお父さんのふりをしたり、病院を出したのもぼくだよ。」
「そうなの?どうやったの?」
「へへ、ぼくは愛する人の願いを叶えられるんだ。のぅちゃんが「もうすぐお父さんが迎えに来る」「病院にお見舞いに行く」って言ったから叶えたんだよ」
「ふーん、じゃあ試しに月になってみてよ!」
 のぅちゃんがからかうようにそう言ったのと、カプリートが「願いを叶えられるのは3回までだけどね」と言ったのはほぼ同時でした。

 気がつくと、カプリートはもういませんでした。
 月が、2つになっていました。


 
 トンネルを抜けるとそこはもう海でした。砂浜が白く光っています。波が寄せては返す音だけがします。とても静かな海でした。
 のぅちゃんは学校の水着に着替えて、ちょっとだけ準備運動をして、海に入りました。海の水は少しぬるくて、それが気持ちよくて、どんどんどんどん沖の方へ泳いでいきました。

 ずっと泳いで、どんどん泳いで、のぅちゃんは海のちょうど真ん中へ来ました。そこには、たくさんの水と、たくさんの星と、2つの月しかありませんでした。大きくてまん丸で、ネコの目みたいな月を眺めながらぷかぷか水に浮いていると、カプリートが愛する人と言ってくれたことを思い出しました。それから、助けてくれたカプリートにまだお礼が言えてないことと、もう言えなくなったことに気が付きました。カプリートともっと話したかった、仲良くなりたかった、一緒にいたかった。あまりにも短すぎるよ。
 わたしが馬鹿なこと言ったせいで、カプリートは。

 月が眩しすぎるから。目に水が入ったから。遠くまで泳ぎすぎて、もう帰れなくなってしまったから。のぅちゃんはたくさんの言い訳をしながら、たくさん、たくさん泣きました。

 それ以来、海の水はしょっぱくなって、空には月が2つ浮かぶようになったそうな。どこかの海の真ん中では、今でものぅちゃんが月を見上げては泣いているそうな。のぅちゃんの涙が起こす波が今も絶えないのが、その証拠だという。

とっぴんぱらりのぷう。


「はい、おしまい。おやすみなさい…」
「もっかい!もっかい!」
「もうお母さん眠くなってきちゃったよ…」
「ぼくまだねむくないもん!もっかいよーんーでー!」
「じゃあこれで最後だからね…ふわぁ……これはまだ月がひとつしかなかった頃のお話…その女の子は名前を………」


魚宮のぅ


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