【第20回】チーズケーキ

 ここはとても寒い土地です。
 氷で出来た大地にどこまでも白い空、海は黒々といつも怒っています。
 ここで暮らす生き物たちは大抵、雪に似せて真っ白か、海に似せて真っ黒かのどちらかでしたが、白くもなく、黒くもない1匹のクマがいました。

 クマは鼻歌を歌って、家に帰っているようです。
 雪のレンガを積み重ねて作られたドーム型のおうちに、良い香りが漂います。
「うーん、今日も美味しくできたみたいだ」と、クマはうっとりとした顔で舌なめずりしました。
 クマが手に持った荷物を片付けていると、玄関が開く音が聞こえてきました。お客さんでしょうか。
「よう!」
 そこには、クマの体の半分も満たない小さな1匹のペンギンが立っていました。クマのお友達のようですね。
「やあ、調子はどうだい」
「どうもこうも、最近はよくないね。パンデミックが起きて株価も暴落しまくりよ」
「パンデ……?ペンギンの話すことはいつも難しいなあ」
 ペンギンは自分のバッグからノートパソコンを取り出して、数値と線が秒ごとに変動する様子をじっと見ています。クマはパソコンの画面を後ろから覗き込みます。うねうねとする線がクマには卵を溶いたときにできる線に見えておなかが空いてきました。
 オーブンが鳴りました。クマは手にミトンを付けてオーブンを開けます。部屋に出来立てのケーキの良い香りが広がりました。
 ペンギンは呆れ顔で言いました。
「へい、君はまたチーズケーキを作ったのか」
「だって、これが一番美味しいんだよ」
 クマはチーズケーキの表面がつやつやしているのを見て、幸せの気持ちに満たされていました。
「でもよー、それじゃあ君はいつまで経ってもシログマじゃなくて”キグマ”だぜ」
 ペンギンはクマの頭のてっぺんから足の指まで見て、ため息をつきました。

 そうなのです、このクマは全身が真っ黄色なのでした。

 数年前のことです。
 シロクマの兄弟たちがお母さんに獲物を捕らえる方法を学んでいる間に、このクマは家でサボってだらだらとしていました。すると美味しい匂いがしてきました。匂いの方角へ歩いていくと、人間たちに遭遇しました。人間は子熊と出会い、驚き慌てふためく者やインスタグラムに写真を投稿する者がいました。クマはサボり屋でしたが、挨拶のできるクマでしたので、すぐに人間と打ち解けました。
「突然お伺いしてすいません。脅かすつもりはないのです。この美味しい匂いについて知りたくて参りました。」
「これはチーズケーキの香りだよ。食べてみるかい」
「食べる!」
 クマは人間に言われるがまま、ケーキを口に運びました。その瞬間、サカナに翼が生えて大空へ飛び立っていったかのような革命がクマに訪れました。とてもおいしいと言って、パクパクと一人ですべて食べてしまいました。
 クマがあまりに感動して食べるので、人間たちはクマにチーズケーキの作り方を教えてあげました。また、家に帰る前にはオーブンを譲ってあげました。人間はnoteの有料記事でこの出来事を書き、莫大の富を築いたとか、なんとか。
 クマはそれから毎日のようにチーズケーキを焼いては食べていました。兄弟には変な奴だとバカにされ、お母さんには病院に連れて行かれそうになりました。それでもめげずにチーズケーキを焼いては食べていました。
 口にするのはチーズケーキだけ、それ以外のものは何も食べない暮らしを1年続けていると徐々に体に変化が現れました。足の指先から少しずつ、体が黄色になっていったのです。
 腰まで黄色くなったときには「ズボンを履いているんだ。南極の流行を取り入れたファッションだよ」と、言って体の変化を誤魔化していましたが「ここは北極だし、南極の流行なんて誰も知らないよ」と一蹴されました。
 頭の最後の一本の毛まで黄色くなったとき、家族はこのクマを家から追い出しました。もう一人立ちの時期だったからです。
 クマはオーブンを抱えて、放浪し、今の家を作りました。このクマは群れることもなく家でひたすらにチーズケーキを作って暮らしていたのでした。

「”キグマ”でもかっこいいと思うんだけどなあ」
 クマは頭をポリポリと掻きました。チーズケーキを切り分けてお皿に盛りつけます。
「そんな食生活だと早死にするぜ。ヴィーガンになった奴らはみんな不健康に陥ってる。同じことさ」
「ヴィ……?」
 このペンギンはとても物知りでした。

 そもそもこの土地にはペンギンは暮らしていません。ではなぜ、このペンギンがここにいるのでしょうか。
 答えは簡単です。このペンギンは空が飛べるのです。それに鰓呼吸もできるのです。生まれたときから地上で唯一無二の存在になるべく日々鍛錬に鍛錬を重ねて、他のペンギンの雛たちがようやくふかふかの羽毛から卒業して大人の体になった頃、このペンギンは空陸を制覇し、完璧な存在となっていました。それだけでは飽き足らず、人間社会に飛び込んで事務、営業、コンサルタント、アナリストを経験し、最後に開発業務に携わりました。Linuxのキャラクターがペンギンであるのは、このペンギンをモデルにしているためなのです。というのは、さすがにペンギンのデマですけどね。
 兎にも角にもバリバリと輝かしいキャリアを積み上げるペンギンは、最後の目標に取り掛かりました。世界で唯一、北極に暮らすペンギンになろうと決めたのです。アメリカの不動産投資の運用がうまく回り始めたので、北極へ転居をしようと決めたのですが、そこで最大の問題がペンギンに襲い掛かりました。天敵、シロクマの存在です。北極に裸一貫で降り立ったが最後、一瞬で捕食されてしまうのは明白でした。この問題には長く頭を悩ませました。船で乗り込んで、そこで暮らすことも考えましたが、それでは北極で暮らしているとは言えません。しかし、一秒でも北極の地に居座ることは自分の命をゴミ箱に捨てることと変わらない。大変悩んでいる間にもお金は貯まっていきます。これだけの資産があっても、北極で暮らすことさえままならない。ペンギンは無力感を打ち消すべく、空手や中国武術、キックボクシングを習いました。アジアのさまざまな国を転々とし、アフリカの紛争地域にも忍び入って敢えてリスクを冒して、肉体を逞しくしました。確かに強くはなりました。拳銃や短剣の扱いは一流の兵士顔負けです。それでもペンギンは不安で北極には行けませんでした。
 そんな中、ペンギンに一通のニュースがやってきました。友人のキョクアジサシがペンギンにこんな話をしました。
「面白い話を聞いたよ。北極に肉を食わないクマがいるらしい。どうやら全身真っ黄色なんだって。そんなのが実在するのかね」
「ははは、面白いジョークだね」
 ペンギンはコーヒーを啜りながら、笑い飛ばしましたが、その晩はなかなか眠れませんでした。ずっと黄色いクマの噂が頭から離れないのです。
「もし……もし本当にそんなクマがいるのだとしたら……」
「私は北極に行けるかもしれない」
 ペンギンは翌朝、居ても経ってもいられず荷物を抱えて船に飛び乗りました。事実を確認するためでした。

 その日、ペンギンとクマは出会いました。
 ペンギンは噂で聞いた通りの家を見つけ出すと、深く息を吐きました。もし、このクマが本当は肉を食べているのだとしたら……そう思うと緊張で心臓が飛び出してしまいそうでしたが、ペンギンは決死の覚悟でドアをノックしました。
「やあ、誰だい」
 クマは噂通り、頭から足まで真っ黄色でした。
「よう!俺はペンギン。お前は肉を食べないらしいな」
「ペンギンだって!?初めて見たなあ。遠くから遥々よく来たね」
 クマは腰をかがめてペンギンの匂いを嗅ぎました。ペンギンは恐怖で体が震えます。
「おや、体が震えているじゃないか。寒いのかい。ほら、今チーズケーキが焼けたところだから一緒に食べよう」
 ペンギンは円形のダイニングテーブルに案内されて、背の高い椅子に座り、チーズケーキを食べました。これがとてもおいしいのです。ニューヨークの有名店で食べたチーズケーキよりも美味しく感じました。
「こりゃまあ、ずいぶん美味しいチーズケーキだ。君はどこでケーキを習った」
「人間に教えてもらったんだよ」
 クマは嬉しそうでした。作ったチーズケーキを誰かに食べてもらうのはこれが初めてだったのです。
「それで、君。肉を食べないってのは本当か」
 ペンギンは真剣な顔でクマに尋ねました。
「うん、もうずっとチーズケーキしか食べてないよ。チーズケーキは最高だからね!」
 この言葉を聞いたペンギンはついに北極に移住する決心をしたのです。

 ペンギンはクマの家のすぐ隣に小さな家を建てました。
 危険が身に迫るとクマの家に逃げ込み、海外に仕事があるときは空を飛んだり、海を泳いで会社に戻ったりしてペンギンは暮らしています。
 ペンギンは北極の暮らしに満足していました。ひとつだけ心配なことがあります。

「人間の場合は栄養が偏るとビタミン剤を飲むぜ。君も飲んでみたらどう」
「うーん、美味しくないのは嫌だよ」
「早く死ぬよりはましだと思うんだけどよー」
 クマの食生活と健康状態に文句を言うペンギンを黙らせるように、クマはチーズケーキをペンギンの前へ置きました。
「さ、難しい話はやめて、チーズケーキを一緒に食べよう」
 クマはそう言うと、黄色い両手を合わせました。ペンギンは無神論者なので食事の前のお祈りはしたくないのですが、クマがほら早くと言わんばかりに目を輝かしているのを見ると無視できません。ペンギンも手を合わせます。
「はい、それではいただきます」
「いただきます」
 チーズケーキは今日もとても美味しく仕上がりました。二人は笑顔でぺろりと完食しました。


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